2015年5月6日水曜日

仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(6)追記

仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(1)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(2)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(3)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(4)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(5)
の追記です。
連休中に書き上げとこうと思いましたとさ(笑)

1. 勘注系図と阿波との関係
海部氏系図(あまべしけいず)は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる系図であり、『籠名神社祝部氏係図』1巻(以後「本系図」と称す)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』1巻(以後「勘注系図」と称す)とからなる。

と言うことで、どうして丹後、海部氏の系図と阿波が関係あるんじゃい、と仰るでしょうが、この系図、第14世までは『旧事本紀』の「尾張氏系図」と共通する神・人名が見られることはよく知られております。
そして、松浦長年による「阿波國続風土記起稿」において「凡直(おおしのあたい)」「粟凡直(あわのおおしのあたい)」や「海部氏」は海神にゆかりがあり、「尾張連(おわりのむらじ)」「凡海連(おおしあまのむらじ)」「安曇連(あずみのむらじ)」と同祖であると断定しております。
無論、「阿波國続風土記」を脱稿した際、籠神社の「勘注系図」の存在を知らなかったであろうことは想像に難くありません。
にもかかわらず、この記載。

継体天皇御巻は、まだ確認しておりませんが、「粟凡直(あわのおおしのあたい)」「海部氏」、「尾張連(おわりのむらじ)」「凡海連(おおしあまのむらじ)」「安曇連(あずみのむらじ)」が同祖ならば
「仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(4)」
の内容にも多少なりと信憑性が増そうというものでしょう(笑)

2. 「開化天皇」について
まあ、これはこじつけですけど(笑)和風諡号の「稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)」、「若倭根子日子大毘毘命」はともかく「開化」天皇って「開いて」「化した」ってことですよね。
卑弥呼=天照大御神ならば天岩戸が開いて、男王が天皇と化し.....いや、うまく当てはまりすぎでしょう(笑)

3. 崇神天皇について
開化天皇の御子「崇神天皇」が「神武天皇」と同一人物であるとか、初代天皇ではないかとの説がありますが、ワタクシはそう思いません。
欠史八代の天皇もなんらかの形で実在したと思っております。

日本書紀 崇神天皇条
四年冬十月庚申朔壬午、詔曰「惟我皇祖・諸天皇等、光臨宸極者、豈爲一身乎。蓋所以司牧・人神、經綸天下。故能世闡玄功、時流至德。今朕奉承大運、愛育黎元、何當聿遵皇祖之跡、永保無窮之祚。其群卿百僚、竭爾忠貞、共安天下、不亦可乎。」
即位4年冬10月23日。天皇は言いました。 

「わたしの皇祖や諸天皇たちが宸極(アマツヒツギ=皇位のこと)についたのは、自身のためであろうわけがない。人神が増えるように整え、天下を治めるためです。奥の深い仕事をして、徳を広めよう。今、私は大運(アマツヒツギ=皇位)を受け、黎元(オオミタカラ)を愛で育もう。こうしてついに皇祖の跡に従って、長く終わりの無い祚(アマツヒツギ=天から正統な支配権)を保とう。群卿百僚(マヘツキミタチモモノツカサ=多くの氏族と多くの役人)、彼らの忠貞をつくし、共に天下を安らかにしていこう」

初代天皇が「皇祖」とか「諸天皇」とかは言わないと思います(笑)。

以上、追記でしたが、まだ何かあったら追記いたします(笑)。

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