2015年5月4日月曜日

仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(4)

仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(1)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(2)
仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(3)
それでは 海部氏勘注系図を見ていこうと思いますが、ちょっとだけレクチャーを。

海部氏系図(あまべしけいず)は、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる系図であり、『籠名神社祝部氏係図』1巻(以後「本系図」と称す)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』1巻(以後「勘注系図」と称す)とからなる。
ともに古代の氏族制度や祭祀制度の変遷を研究する上での貴重な文献として、昭和50年(1975年)6月に重要文化財、翌51年(1976年)6月に国宝の指定を受けた。

「本系図」は、現存する日本の古系図としては、同じく国宝である『円珍俗姓系図』(「智証大師関係文書典籍」の1つで、「和気氏系図」とも呼ばれる)に次ぐもので[2]、竪系図の形式を採っていることから、系図の古態を最もよく伝える稀有の遺品とされている。 wikipediaより

以下に記載する項目は他のサイトにも同様の記載が見受けられます。

邪馬台国と卑弥呼の謎を解く!海部氏系図に隠された謎
日本建国史 第三章 倭人伝と日本書紀の接点『勘注系図』が明かす卑弥呼と台与

この辺、先に書かれている方がいらっしゃるのを承知の上ですので。

さて、この「勘注系図」には二人の「大倭姫(おおやまとひめ)」が記載されています。

一人は始祖である天火明命の六世孫の「宇那比姫(うなびひめ)」別名として「天造日女命(あまつくるひめみこと)」「大倭姫(おおやまとひめ)」「竹野姫(たかのひめ)」「大海靈姫命(おおあまのひるめひめのみこと)」「日女命(ひめみこと)」。

もう一人は七世孫建諸隅命(たけもろずみのみこと)の娘、「大倭姫命」
桂川光和氏の説によれば

『日本書紀』や『古事記』で、倭(やまと)の名がつくのは、天皇の妃か子供くらいである。中でも大倭(おおやまと)と「大」が付くのは、古い時代の天皇と七代孝霊の妃、意富夜麻登玖邇阿禮比賣(おおやまとくにあれひめ)くらいのものである。
この女性は天皇と同格の、大倭(おおやまと)の名前を持つ。
大倭とは古い時代「大和朝廷」が支配した国の名である。「大倭」が「大和」となり、後に「日本」となる。大倭姫は大和朝廷の女王の名である。

確かに「大倭」の名を関する女性を見かけたことが無いような気もしますが、そのあたりの検証はできておりませんので、参考程度としたいと思います。
以下「勘注系図」図面は「神道大系」より「海部氏系図翻刻図」より
確かに
「宇那比姫(うなびひめ)命」亦名天造日女命 六世孫大倭姫 一伝、竹野姫 亦伝、大海靈姫命 亦伝、日女命 云々と記載されております。
ここに出てくる「竹野姫」の名、これが本当ならば


父は第8代孝元天皇。母は皇后で欝色雄命(内色許男命、穂積臣遠祖)の妹の欝色謎命(うつしこめのみこと、内色許売命)[4]。
第二子であり、同母兄弟には大彦命・少彦男心命・倭迹迹姫命、異母兄弟には彦太忍信命・武埴安彦命がいる。
妻子は次の通り。
皇后:伊香色謎命 (いかがしこめのみこと) - 元は孝元天皇の妃。
第二皇子:御間城入彦五十瓊殖尊 (みまきいりびこいにえのみこと、御真木入日子印恵命) - 第10代崇神天皇。
皇女:御真津比売命 (みまつひめのみこと:古事記) - 日本書紀なし。
妃:丹波竹野媛 (たにわのたかのひめ、竹野比売) - 丹波大県主由碁理の娘。
第一皇子:彦湯産隅命 (ひこゆむすみのみこと、比古由牟須美命)
妃:姥津媛 (ははつひめ、意祁都比売命) - 姥津命(日子国意祁都命、和珥氏祖)の妹。
第三皇子:彦坐王 (ひこいますのみこ、日子坐王)
妃:鸇比売 (わしひめ) - 葛城垂見宿禰の娘。
皇子:建豊波豆羅和気王 (たけとよはづらわけのみこ:古事記) - 日本書紀なし。
wikipediaより
上の記載は「開化天皇」の系譜について書かれた部分です。

なんと「開化天皇」の妃であった「丹波竹野媛 (たにわのたかのひめ、竹野比売)」のこととなるのです。
そして、この「宇那比姫(うなびひめ)命」亦名天造日女命 六世孫大倭姫 一伝、竹野姫 亦伝、大海靈姫命 亦伝、日女命と呼ばれる方が「卑弥呼」ではないかというのです。
確かに「卑弥呼」は「日女命」と通じます。
では、仮に「大倭姫 一伝、竹野姫」が卑弥呼であったといたしましょう。
そして、七世孫建諸隅命(たけもろずみのみこと)の娘、「大倭姫命」の部分を参照いたしましょう、すると
拡大しましょう
説明が要りますか?
  一云 豊受姫 荒魂命
  一云 大宜都日女命
伊勢神宮外宮に奉祀される豊受大神の荒魂であり、大宜都比売神のことであるとの記載です。
卑弥呼の次代を受けた「臺輿(トヨ)」が「豊受姫」として当てはまってしまうのです。

ちょっと短いですけど、これで材料は出揃いました。
次回でまとめてみますが、大体言いたいことは分かっていただけたのではないでしょうか。


続く

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