2013年9月21日土曜日

鴨島町 麻塚神社

どうも長い間書かないと、懺悔の旅に出てるんじゃないのかとか、とっくに死んでるんじゃないかとか言われたりしているようですので(ホントか?)重い腹回りを引きずって、長らくぶりに書いております。
まあ、ビョーキなのは今に始まったことじゃなく、何かしらぶり返してきたら、また沈んでしまうかもしれませんので、ご容赦を(笑)





御覧の鳥居も無い、小さな小さな祠、神社でございます。


徳島県吉野川市鴨島町牛島に鎮座いたします「麻塚(おづか)神社」。
場所はここ

より大きな地図で 麻塚神社 を表示
御祭神は「天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)」
忌部氏の祖神である天太玉命の后神名であります。
『古語拾遺』によると、阿波忌部の一部は、天富命に率いられ黒潮で房総半島に渡来し、故地(阿波)の地名にちなんで「安房」と名付けた。
とあります。
また「安房忌部家系之図」にも

「阿波國忌部の居まいし地(ところ)なれば安房と称す」との意味の記載があります。
また「天比理刀咩命」を主祭神とする神社としては、安房国であった千葉県館山市の洲崎の「洲崎(すのさき)神社」、洲宮の「洲宮(すのみや)神社」があります。
宝暦3年(1753年)に成立した「洲崎(すのさき)神社」の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが当社の始まりであるという(wikipedia)。

あるいは、東京都品川区北品川三丁目にある品川神社(しながわじんじゃ)の主祭神も「天比理刀咩命」でありますが、こちらは文治3年(1187年)源頼朝が安房国の洲崎神社から天比理乃咩命を勧請して祀ったのに始まると伝えられております。

で、「天比理刀咩命」については同「安房忌部家系」に記載される「斎部宿禰本系帳」部
「天比理刀咩命」一伝「稚日女命」とあったりして、なかなかにドキドキさせていただきます(笑)。
もちろん、この前後を読んで、もっとドキドキしていただいても結構です(笑)

その「天比理刀咩命」を祀る神社が上記以外にない事から、延喜式 式内大社「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社」の元社が、このショボイ(笑)祠であることは、まず疑いなかろうと思いませんか?

また、「安房忌部家系」には、こんなことも書いてあって、イロイロ考えてたんですが、いつまでたっても考えが纏まらないんで、とりあえず出すものだけ出しておきますので、煮るなと焼くなと(焼くなよな)如何様にでもなさって下さいませ(笑)。




13 件のコメント:

  1. これ、ドキドキいたしましたよっ。
    その後、頭が、こんがらがりましたっ。
    時代的にも、ね。国の名とかも、ね。
    うれしいカルチャーショックでした。
    ジグソーパズルが、手のひらの上で空を舞っています。

    先日は、はじめまして、でした。
    ありがとうございました。

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    1. 先日のメールありがとうございました。
      メンタル的に死んでた時なんで、ありがたかったです(笑)
      手持ちのネタはいくつかあるので、少しでも海面に浮かび上がった時に書いていきます(笑)

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  2. 「稚日女命」って大日孁の幼名だとずっと思ってました。
    それにしても、"安房忌部家系之図"なんて資料よく見つけましたねぇ~

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    1. 一般的には天照大御神の子、あるいは妹ってなってますねぇ、一般的には(笑)
      スサノオの乱暴な仕業で死んでしまったのは別人だとの説もありますよね。
      ホツマでは「天照カミの中宮セオリツ姫ホノコの妹ワカ姫ハナコ」だそうです(wikiより)
      >それにしても、"安房忌部家系之図"なんて資料よく見つけましたねぇ~
      これが見つからなかったら今回の記事は書いてません(多分)。

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    2. >>「天比理刀咩命」を祀る神社が上記以外にない事から、延喜式 式内大社「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社」の元社が、このショボイ(笑)祠であることは、まず疑いなかろうと思いませんか?

      「稚日女命」と「「稚日留女命」って同じなのでしょうか?
      川田町史 に、こんなのが在りました

      "二攸大権現(奥戸権現)加久名麻久戸にあり流失して今は無し
      祭神 稚日留女命 保食持神

      當社は往昔大社にて小笠原殿時代置文に見えたり・・・・ ”

      かなりの大社みたいで、祭日には酒、魚、餅など沢山用意していたようです。



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    3. >「稚日女命」と「「稚日留女命」って同じなのでしょうか?
      同じじゃないでしょうか、漢字での表記は変わったりするんで。
      >"二攸大権現(奥戸権現)加久名麻久戸にあり流失して今は無し
      >祭神 稚日留女命 保食持神
      これは面白いですね!
      大社があったんですね。
      特に「加久名麻久戸」これどこなんでしょうね?
      うわぁ、面白い。

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    4. >>特に「加久名麻久戸」これどこなんでしょうね?
      「當社はなんの時か流失その名のみ殘れり今に的場と伝地名の田地あり・・・(中略)流失して名のみ奥戸に埋り玉ふ」 と在ります。
      今の住宅地図の目次を見ても旧三加茂町等は、字(あざ)名をなくして数字に変わってしまっています。寂しいものです。・・・・

      ちなみに"攸"の意味は、「禊ぎする、体を洗う」だそうです。

      話は少し逸れますが、「雨降神社」が台風15号で社殿が被災して"仮遷宮"しています。
      社殿の屋根に隕石でも落ちたかの様な大きな穴が開いていました。
      伊勢神宮、出雲大社が式年遷宮の年に被災して仮遷宮とは・・・(涙)

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    5. 「雨降神社」は横の道をよく通るんで(隣の建物に行ってるんじゃないっすよ)あの惨状はよく知ってます。御神体は、不動の八幡宮に納められておりますので安心してますが。(何回かお参りに行ってます(笑))

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  3. こんにちわ。

    この記事を読ませていただいて、とても驚いております。
    「えっ? ……あれって………神社だったの??………(絶句)」

    実はこの祠の写真の南側…えっと、南に振り返って、次の四つ角=用水沿いの道の西側に立つ農家は、私の愚妹の嫁ぎ先なのです(汗)。庭先から牛島小学校が見えちゃう家です。
    いつも妹の家に行くときは、北から…この祠の真横を通って行っていたので…すごい衝撃を受けました。

    今度からは通るときに、ちゃんと敬意を払って通ろうと思いました。

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  4. こんにちは
    たくさんのコメントありがとうございます(笑)
    こんな過疎のブログよく見つけられましたねぇ(笑)

    そうです、神社だったのです、それも無茶苦茶由緒正しい。
    全国にこんな神社ありません、間違いないです。
    ホントなら大麻比古神社クラスの社殿でもおかしくないと思います。
    地元じゃないボクが言う事じゃないけど、通りかかったら手を合わせていただけたらと、思います。

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    1. こんばんわ。

      妹の旦那にきいてみたところ、「あ~あ~、いんべさん?」
      ………そう!
      地元の人たちは、この神社をそのものズバリ「忌部さん」と呼んでおりました!
      正式名称は知らなかったようで…(汗)。
      けど、「あー、『麻植塚』の植の字とった感じやね」と云うてました。そうですね、近くに駅がありますよね?

      それと、月に一度は回覧板が回ってきて、常会の人らがここで何かしてるらしいです。
      あと、近所のおばあちゃんらがよく掃除とかのお世話もしているらしい。
      ちょこちょここの神社のことについて、講演とかもあるそうで…市報とかに載っているそうなので、今度見かけたら置いといて!と厳命しました!

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  5. はじめまして。
    ネットで天比理刀咩命を検索してこちらへ参りました。

    私は品川生まれで氏神様が品川神社です。
    普段は時間の許す限り全国の神社へ巡拝させて頂いておりますが、今回の麻塚神社へも昨年ようやく参詣させて頂くことが出来ました。

    私の氏神様でもある天比理刀咩命については諸説ありますが、同一視されてるとも言われてる天速玉姫命ともども訪ねておりまする。

    天比理刀咩命を御祭神とする神社が全国的に少ないので残念なのですが、関東では群馬県以外ではその御名を見つけることが出来ます。

    奈良県にも天比理刀咩命の伝承があるので近いうちに・・・と思っています。

    安房神社の元宮が麻塚神社という発想、なかなか面白いです。
    この発想はなかったなぁ・・・

    安房忌部家系、貴重なものを拝見させて頂きました。

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    1. ご遠方まで、おいでいただき誠にありがとうございます。
      阿波忌部(ホントはこう書くと叱られるんですけど「麻植忌部」と言えって)の事を調べていただければ、いかに関東の礎となったかがお分りいただけると思います。
      奈良に関しても同様、忌部様式の古墳が発見されてないことなど、いわゆる中央忌部が阿波忌部の派生であることがお分りいただけると思います。
      また阿波においでになる機会があれば、忌部神社、岩戸神社、向麻山、種穂神社などお寄りいただければ幸いです。

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