2013年2月10日日曜日

補陀洛山 清浄光院 志度寺

2月10日、今日行ってきた話です。
ホントは、もうちょっと資料をそろえてから書こうと思ってたんですが、面白い事があったので書いておきます。

補陀洛山 清浄光院 志度寺

志度寺(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある寺院。宗派は真言宗善通寺派で、四国八十八箇所霊場の第八十六番札所。詳名は補陀洛山清浄光院志度寺。
謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。 wikipediaより

山号の補陀落山(ほだらくさん)については観音菩薩の住処、あるいは降り立つとされる山のことだそうです、香川の方には失礼ですが、志度はもともと補陀落山に向かう場所の事を指し、もともとは黄泉地へ向かう入口、つまり「死戸(しど)」と言っていたのが「志度」となったとの説もあります。


さて、ここ志度寺の縁起としては
本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。創建は626年(推古天皇33年)のこととされている。681年(天武天皇10年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、693年(持統天皇7年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。 wikipedia

とあり、不比等に関わる「海女の玉取り」伝説についてはこうあります。

一人の海女の悲しい伝説が志度に伝えられている。

 時は千三百余年前、天智天皇のころ。藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、三つの宝物を贈った。
 しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち「面向不背(めんこうふはい)の玉」が竜神に奪われてしまった。  鎌足の子の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ。海女と契り、一子房前をもうけた。不比等は数年後、素性を明かし、玉の奪還を海女に頼む。
海女は「わたしが玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」と竜宮に潜っていった。
 腰に命綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、海女の手足は竜が食いちぎっていた。が、十文字に切った乳房の下には、玉が隠されていた。
 房前は藤原家を継ぎ、大臣に出世した。ある日、不比等から母の死の理由を聞かされ、志度を訪問。千基の石塔を志度寺に建て、菩提(ぼだい)を弔った。



この「面向不背(めんこうふはい)の玉」は奈良の興福寺に納められたとの事ですが、現在はどうも滋賀県竹生島、宝厳寺の弁天堂にあるようです(違ってたらごめんなさい)

無論、海女と物語は作り話であるともいわれていますが、海女の墓と呼ばれるものが残っているのも事実です。
この「玉取り」にちなんで志度の浦は玉浦と呼ばれていますし、海女が玉を奪い返したという真珠島や不比等が住んだ淡海屋敷、玉を洗ったといわれる淡海堀やそれを祀ったお釈迦台、海女の腰掛け岩などの遺跡が残されています。


でねぇ(と突然口調が変わって(笑))ボクがこの「海女の墓」を拝もうとしてたとき、一人のお婆さんが話しかけてくるではありませんか。
「ここ海女の墓でよ、はよ、ここから拝みな」
正直、ウザかったです。

で、また言うには
「あんたはな、ワタシがこのロウソクを点してから燃え尽きん間にここへ来た、それはな、縁があるんでよ」
「毎月1日と16日はな、花を飾ってロウソクを立てるんでよ」
今日は10日だけど、なんで花を飾ってロウソクを点してるのかは聞けませんでした。
けど、ロウソクが燃え尽きるまでの数十分でしょうか、たくさんの参拝者、お遍路さんのうち、この「海女の墓」にお参りする人は誰もいなかったのも確かです。
「見てよ、まん中がお墓でその両脇のは中が空洞になってるんでよ」
ごめんね、一応知ってるのよ。
両脇のは「納経塔」ってことも。

 「海女の墓」
納経塔
「両脇のは中が空洞になってて、元は◯◯◯とか◯◯◯が納められとったけど、今はお経とかが入っとるんよ」

うわぁぁぁぁぁ〜、ホンマかいなぁぁぁぁ!!!
これは書けんなぁぁぁぁぁぁ..................(大げさすぎ)

「どっから来たんで?徳島?徳島の人は皆いい人じゃ」
「また友達や知り合いを連れて、絶対に来るんでよ」
絶対と言われてしまいました(笑)
「絶対また来るわな」
としか返事のしようがないではありませんか(笑)
しまった、言挙げさせられてしまった!
どっちにしても、不比等を追いつめにやって来てますので(笑)、真珠島や淡海屋敷を調べにまた来るでしょう。
あと「死戸」の在処を確認できればと思ってましたが、これはもうよしと。
それにしても、ねぇ.........
あと、何枚か写真を出しておきます。


五重塔
ところで、これはなんなのでしょうか?
誰かご存知の方いませんか?


2 件のコメント:

  1. おもしろいですね~。
    崖の上のポニョを連想しますが…、サッパリわかりません。
    その納経塔に秘密が?

    藤原不比等に淡海公という諡があるとは知りませんでした。
    能にはその娘が唐(の皇帝?)の妃になるというくだりもあったりして、中臣の出自を暗示しているようですごく面白いです。

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    1. あ、崖の上のポニョだったんですね(笑)
      確か「閻魔堂」の上にあったんです。
      で、境内図を出せばよかったんですが閻魔堂の向かいに奪衣婆堂があり、その間に堀があり(今は水なし)
      三途の川を表していました。

      淡海公という諡は引っかかるでしょ(笑)
      「狐の帰る國」で言ってたところの「近つ淡海」との関連は?
      ってとこですね。

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