2011年7月8日金曜日

オフナトはん(2)

では、猫さんも疑問に思ってらしたように「オフナトはん」って何なのでしょうか?
「オフナトはん」つまり「ふなと神(岐神)」のことですが、記録(?)として現れ
るのがまず古事記です。
伊邪那伎大神が黄泉の国に伊邪那美命を尋ねていき、あまりの変わり様に逃げ帰りま
すが、逃げ延びた後、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓(みそぎ)したときに
投げ捨てた杖がから生まれたのが衝立船戸の神でございます。

原文では


是以伊邪那伎大神詔 吾者到於伊那志許米上志許米岐(いなしこめしこめき)
【此九字以音】穢國而在祁理【此二字以音】故吾者爲御身之禊而 
到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】
原而 禊祓也 故於投棄御杖所成神名 衝立船戸神


是を以ちて伊邪那伎の大神、「吾は伊那志許米志許米岐【此九字以音】
穢(きたな)き國に到りて在り祁理(けり)【此二字以音】 
故、吾は御身(みみ)の禊(みそぎ)爲(せ)ん」と詔りて、竺紫の日向の橘の
小門(おど)の阿波岐(あはき)【此三字以音】原に到り坐して、禊祓(みそぎ)しき。
故、投げ棄(う)つる御杖に成れる神の名は衝立船戸(つきたつふなと)の神。

の部分になります。

日本書紀においては泉津平坂(よもつひらさか)で投げた杖が岐神となります。

愛也吾妹、言如此者。吾則当産日将千五百頭。因曰。自此莫過。即投其杖。
是謂岐神也。又投其帯。是謂長道磐神。又投其衣。是謂煩神。又投其褌。
是謂開齧神。又投其履。是謂道敷神。

のところです。

「フナト」は道の辻を意味し、船戸神は悪霊が入り込むのを防ぐ神として祀られます。
道祖神、塞の神も同様の役割だそうです。
混同されておりますが、その話は後にいたしまして。

「オフナトはん」実は県内各地にあるのですが、まずは神山町の「オフナトはん」の
特徴である「おかまご」と丸石についてですが。
見方にもよるとは思いますが、どう見ても「磐座(いわくら)」でしょう。
神社の形となる以前の古代の祭祀跡にしか見えませんがいかがでしょうか?
そして丸石は、当然「玉」であり「魂」ですよね。

「おかまご」内に石を一箇だけ祀る形
親石の周りに子石をいくつか祀る
多数の丸石をとりまぜ中の一箇が御神体
等の形式があるようです。
どれにしても何かの「神」を丸石として祀ったのです。

ちょっとだけ脇道にそれますと、このような形を残した神社も少しだけ残っています。
例えば、佐那河内の六社神社
ちょっと見にくいですかね。
六つの祠の前に丸石が1つ乃至2つ祀られております。
「おかまご」の形を残した、或は「おかまご(磐座)」から少し神社の形へ進んだ
形態でしょう。

話は神山町の「オフナトはん」に戻ります。
この辺り「ふなと神考」からの引用です。

先に少しだけ書きましたが、「ふなと神」は「道の辻の神」でもあり「道祖神」でも
あり「塞の神」でもあり「船止神」でもあるのです。
神名も「くなどの神」「ちまたの神」「みちのかみ」「どうろく神」「たむけの神」
「さいのかみ」などなど多彩です。
神山の「オフナトはん」に限れば「道の辻の神」か「塞の神」の色合いが濃いのでは
ないでしょうか。
前回書いた船盡比売神社の「おかまご」に関しては「塞の神」だと思われます。
神山町の入口に配し、悪しき物の進入を防いでいるように見えます。
船盡比売神社なので本当なら「船止神」であるのでしょうが、どこかで混同されている
のでしょう。入田町に船盡彦神社があるようですので(まだ行ってないけど)そちらと
カンチガイされたと思ってます。(ここら辺自信無し)

ここら辺りの事を考える前に県内各地の「オフナトはん」について引用してみます。
そうなんです、県内各地にあるんです。

神山町広野
某家の庭の石垣の中に「おかまご」を作って川原の丸石を御神体として祀り、祭り方は
家の内神と同じように祭る。正月にはオシメを飾る。手足の神としての信仰が厚い。

石井町高川原
この地域では「船止神(フナト)」と書く。ふなとの地名あり、昔はここへ船が着いて
いたので、渡しの神といわれている。小石殿の中に川原の丸い石二ヶお奉祀する。子供
を十三人生むとオフナタさんがおじぎをするといわれる。
同地、久米川家のご先祖と、オフナタさんが並んで祀られる。祭りには幟が立ち、この日
小豆めしを供える。

(ワタクシ註)
高川原のオフナタさんをだいぶ探し廻ったんですが、みつけられていません。

石井町利包(としかね)
部落の道の辻に旧セメント製のホコラに祀る。正月十六日、十一月十六日の二回に祭り
がある。子供が知らないようにかくれておまいりをする。

(ワタクシ註)
利包(としかね)の「オフナトはん」は、たぶんこれです。
祠の中が見えにくいんですが、まんま「道祖神」様です。
となれば、男女和合の神様でもありますので、子供にはかくれてお参りしなきゃなら
ないですよねぇ。

ちょっとボリュームが少なめで読み応えがあまりございませんが、体力無くて最近
バテ気味なんで、今回はここらへんにさせてくださいませ。
まだ何回か続きますので、おつきあいくださいませませ。
驚天動地の結論は「待ってません」。

あ、もういいやって人はストップかけてね(笑)

4 件のコメント:

  1. 徳島県のいたるところにある小祠・・・。
    私も興味津々でその分布を秘かに(笑)調査しておりました♪
    「お船戸」さんに「秋葉」さん・・・!!
    たくさんありますねぇ・・・♪吉野川市山川町船戸・・・
    凄い地名かも・・・!!
    (●^o^●)♪

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  2. to すえドン さん
    調べれば調べるほどに「ありすぎる」んですよねえ。
    続けて書いていきますが「こんなところに」って所にも
    あったりして、ひじょ〜に面白いです。
    >吉野川市山川町船戸
    ですか。
    う〜ん、ですね(笑)

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  3. やっぱり、衝立船戸神で「御フナトはん」ですか。
    それなら、各地に多数点在するのも頷けますね。

    それに、「おかまご」さんが古代磐座と云うのは実に納得!
    神社以前の形式、良く分かります。
    祀る石の数あるいは配置の仕方で神を区別してるでしょうか?
    そこまでの話はないんでしょうね。

    次回の展開が楽しみです。(後押ししますよ!)

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  4. to 猫の兄弟 さん
    大筋では
    >衝立船戸神で「御フナトはん」
    のようです。
    が!
    頑張って次の展開を書いてみますので。
    ご期待に添えるかは、また別のお話ということで(笑)

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