2011年6月25日土曜日

入田瓦窯跡

まあ、行ってきましたのでとりあえず書いちゃいます。
入田瓦窯跡(にゅうたがようあと)でございます。
場所はここ
気延山南側でこの前書いた「艮神社」から車で1分
でも車じゃ乗り込めないですよ。

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で、ここも駐車にひじょ〜に困る場所です。
射撃場からは歩くとちょっとあるし(と言っても十分くらいかな)
バイクが一番いいかも(それか路上駐・・・あ、見なかった事にしてね)
ゴミの集積場から山にちょっとだけ上がりますとすぐです。
なんだかよく分らない場所です。
近づけば、このような立て看板が。
内御田窯跡群の中のひとつであり、気延山南の東斜面にある。奈良時代に屋根瓦を焼いた
窯跡で、外に須恵器も焼かれている。
18段の小さい段状の燃焼部と煙出し部分が確認されているが、燃料を燃やす焚き口部分は
残っていない。全長10m、幅1.3m、勾配45度の瓦窯様式である。
軒丸瓦と軒平瓦が出土しており、阿波国分寺跡・阿波国分尼寺跡・石井廃寺跡などで見つ
かっていることから、瓦を供給されるために作られたことが分かる。
第二次世界大戦後に偶然発見され、1968年(昭和43年)に発掘調査が行われた。
1953年(昭和28年)7月21日に徳島県指定史跡となる。

とWikipediaにございます。
無茶苦茶重要な場所でございます。


ここが窯ですね。
ところで、またしてもヘタクそな図を載せて恥を曝してしまいますが、この徳島市入田町
地名、字名が面白いんです。
見てください。「内の御田」「海先」「月の宮」「神ノ池」ってなかなかの地名でしょ。
「安都真(あずま)」なんてどうにでも邪推できそうですね(笑)
ま、それはさておき
奈良時代から平安時代初頭と案内の看板には記されておりますが、石井廃寺跡出土瓦
と同形式であるならば白鳳文化と呼ばれる頃と推測される訳です。
ちなみに「石井廃寺跡」は
場所はここ

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前に書いた「品陀真若王社跡 」のすぐ近くです。
住所は「徳島県名西郡石井町城ノ内

看板にありますように「大化の改新」すぐ後であるならば孝徳天皇2年(大化2年)春正月甲子朔(西暦646年)あたりでございましょう。
ならば「入田瓦窯跡」の成立もその頃と言う事になりますよね。

石井廃寺は、南に緩く傾斜する段丘面上にある古代寺院である。
古くから瓦の出土などにより寺院の存在が推定されていた。
1957年(昭和32年)~1959年(昭和34年)発掘調査が行われ、東に塔、西に金堂が並ぶ
法起寺式の伽藍配置であることが分かった。
また、明瞭な遺構は確認されないものの、二つの伽藍の北に講堂、南に中門が存在した
と推定されている。
出土遺物には瓦・土師器・須恵器の他に瓦塔などがある。
瓦の文様などから奈良時代前半に建立されたと考えられる。
「阿波国造墓碑」に記された、国造家の粟氏との関連も推定される。

 国道192号から県道石井神山線を南下、県営曽我団地から南西へ約1。金堂と塔の礎石が見学できる。また、同廃寺跡からの出土遺物の一部は同町所在の童学寺に保管されている。
徳島県立埋蔵文化財総合センター オフィシャルサイトより

だそうです。
童学寺とか空海の話を書き出すと連載になっちゃうので、これはここらへんで止めといて。



あと、これは小さな声で言っときますが
すぐ近くに「曽我氏神社(そがうじじんじゃ)」がありまして、「曽我氏」(蘇我氏)を
祀っております。裏山の「曽我氏神社古墳群」からは出土品がてんこもりです。
大化の改新は宮を飛鳥から難波宮に移したんですよねぇ。
うーん、いろいろ書きたいなぁ。
まあ、ここらは「のらねこ大先生」が書いてくれるでしょう(笑)

という訳で、思わせぶりばっかりで何の考察もなく、今回も終わってしまい慚愧の念が
体を駆け回るのでした。

6 件のコメント:

  1. きよっさん2011年6月26日 19:09

    ぐーたらさん、こんにちは。(^O^☆♪
    今回は気延山を南から北へと広範囲での内容でしたね。ここ最近は土日が雨という状況が多かったので史跡探訪も行けず楽しくない休日を過ごしておりましたが今回のレビューを読み、さらに"道は阿波より始まる"を読んで復習するという流れで楽しませて頂きました。

    ひとつお聞きしたいのですが曽我氏神社の左にある武知神社って記紀の内容に関係するものなのでしょうか?蘇我氏と関係するものなのでしょうか?
    前から自分の中で謎だったので。。。ご存知であれば教えて頂ければ有難いです。

    それではまた気が向いたら気延山関連UPして下さいね〜。(^-^)/

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  2. サクラサク48692011年6月26日 20:40

    ぐーたらさん、こんばんは。
    頭痛は治りましたか?

    天の原 ふりさけみれば 春日なる 三かさの山にかかる月かも

    ぐーたさんのわかりやすい地図で私のような地図オンチでも
    手に取るようにわかります。
    この歌はまさに入田ですね。

    P.S 今、ゴードン・スミスのニッポン仰天日記を読んでいます。おもしろいですね。

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  3. to きよっさん さん
    武知神社は一応、曽我氏神社に祀られてる曽我十郎祐成の家来の武智麻呂を祀ってある事になってます。
    確か四国放送の武知アナウンサーのお宅もこの近くです。
    でも、曽我氏神社になぜ曽我兄弟が祀られているか自体が謎となっておりますので一筋縄では行かないと言う訳です(笑)
    曽我氏神社は実は蘇我氏を祀り、武知神社に家来の武智麻呂を祀り多分、武智麻呂も蘇我氏の系統かなと思います。
    古くには藤原武智麻呂っておりましたしね。これがなんと藤原不比等の長男。
    母親は蘇我氏です。

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  4. to サクラサク4869 さん
    そう。
    「天の原」があり、目の前に「春日」「笠木」ですね。
    ここらへんの解釈はMさんの独壇場でしょう(笑)

    で、「ニッポン仰天日記」面白いでしょ。
    ゴードン・スミスはけっこうお調子者だしね。

    頭痛というか、このシーズンは鬱なんで(いわゆる「うっしょう」ですな)
    なかなかパワーが出ません。
    天気がよければどこかの大木をハグしにいくんですが。

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  5. きよっさん2011年6月26日 23:14

    ぐーたらさん、回答ありがとうございます。m(_ _)m
    いやはや、これまたスゴい内容でびっくりしました。(;´Д`A 汗汗汗…

    このような歴史的に貴重な場所が身近にあり、直に触れることができる今の環境に感謝ですね。古代史に興味がなかった昔はスダチと阿波踊りしかPRがない徳島が嫌で関西に出たこともありましたが…。

    やっと6月も終盤に差し掛かり、ぐーたらさんも回復の兆し有りですか?くれぐれも無理なさらぬようご自愛下さい。

    それではまた。

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  6. to きよっさん さん
    曽我氏神社はよく分らないんですよ。
    あんまり資料ないし、なんで曽我兄弟が・・・ばっかしで。
    調べる人がいないんですね。こんなに面白いのに。
    でも、調べる人がいないからそのまま残ってるのかな?

    回復の兆しですか?
    8分くらいですかね、年取っちゃうとねぇ(笑)

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