2011年5月29日日曜日

那須与一はいましたか?

台風でございます。
外にも出られませんので、愚にもつかないブログなどちょこちょこっと書いております。
お暇つぶしにどうぞ。

別にミステリーゾーンでもなんでもありませんので、その辺りを期待している方には
申し訳ございません。(って元からミステリーツアーなんてやってないっすよ)

ま、いいや。
「那須与一」ご存知ですよね。
治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わり、源義経に従軍。元暦2年(1185年)の屋島の
戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げ、源頼朝より丹波・
信濃など5カ国に荘園を賜った。  Wikipediaより
とあります。
この「那須与一」伝説が(伝説って言いたくないけど)阿波国にもいらっしゃったという
お話です。
もちろん讃岐の屋島で戦ってたので近所の阿波に来てても不思議は無いんです、が。

石井町に「新宮本宮両神社」という神社がございます。
場所はここ。

より大きな地図で 新宮本宮両神社 を表示
地図を見ればもうネタバレしてるんですが、まあ知らないふりして書きますと。
「新宮本宮両神社」です。

雨の日の写真ですが、今日撮ったんじゃありませんよ
(そんなバカじゃないです。いや、もっとタチが悪いという噂も)

主祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉男命(はやたまのおのみこと)
由緒 「新宮さま」と俗称される。元二十八ヶ村の氏神。「社記」によれば
「成務天皇の朝の創祀なり」という。
新宮は諾冉二神を祀り本宮は速玉男の神を祀る。社殿宏壮。一説に寿永年間下野の
住人那須与市宗隆(市の字は記載のまま)屋島合戦の功により文治年中此処に移封
せらるるや熊野の神を勧請し新宮神社と称し、古くよりの神社を本宮社となし併せ
て新宮本宮両神社と称す。又この南二町余を距て与一宗隆を祀れる廟あり。もと本
宮境内西北隅にありしを移したものと伝う。     徳島県神社誌より


社殿宏壮です。
さて、まず「那須与一宗隆」より気になるのが
「社記」によれば「成務天皇の朝の創祀なり」という。
「(十三代)成務天皇の朝」って、普通は
成務天皇元年1月5日(131年2月19日) 〜 同60年6月11日(190年7月30日)
の事を言いますので。通説に鑑みれば神功皇后(じんぐうこうごう)のちょっと前
別の見方をすれば卑弥呼がいたであろうと推定される時期以前の創祀だということ
ですね。
成務天皇の実在自体を疑う説もあるようですが、徳島には欠史八代天皇のうち
七代孝霊天皇の第二子日子刺肩別尊を祀る天佐自能和気(あまのさじのわけ)
神社やこれもまた孝霊天皇の皇子である稚武彦命を祀る宅宮(えのみや)神社が
あるのはどういうことでしょうね。

まあ、普通は信じてくれませんでしょう。徳島県神社誌もすらっと書き飛ばしてますな。

で、ここには「矢神のイチョウ」というのがありまして。
ちょっと写りが悪いですぅ。
ご覧のように「那須与一」伝説より「矢神」とされております。
りっぱなイチョウです。
雨が降ってたのでハグできませんでした(笑)
大樹と美人のおねえさんには、すぐハグしたくなるんですぅ。(←バカ)
では、「又この南二町余を距て与一宗隆を祀れる廟あり」の廟は?
ここです。五輪塔が残ってたということなんですが、左下に見える石かな?
とも思ってましたが。
これもちょっと見にくいんですが「那須与一神社」と扁額にあります。
「伝説」って書かなくても「那須与一五輪塔跡」でいいじゃない、ねえ。
(誰に言ってるんだ)
鳥居脇の石が五輪塔跡なのか?
この右脇にある五輪塔がそうなのかこの時は確認できませんでした。
だって車がくるんだもの。
言ってみれば分るけど、前の道が細くて車なんて置けないの。
焦って、拝んで、写真撮りまくってたら、すぐに車が通るんです(涙)
で、「那須与一」が所領をもらってこの地に住んでたかどうかは分りませんが
子孫がいると言うのは記録に残ってます。


左の方に「奈須氏」として「与一宗高」(隆でなく高になってる)孫平氏 云々とあり
「那須」から「奈須」として子孫がいたことが分ります。
ですので、没したのがここかどうかは別にして、一定期間石井にいたのは間違い無さそう
だとは思っております。
一般的には貞永元年(1232年)に中風のため摂津国で没したということになっております。

その頃は良い病院もなかったでしょう。
ナースの与一もいなかった、なんちって。
お後がよろしいようで。(よろしくない?)

おまけにYouTUBEより琵琶演奏「那須与一」を張っておきます。
凄いですよ。琵琶がこんな素晴らしいものだとは知りませんでした。
もちろん演者によるんでしょうけど。



12 件のコメント:

  1. きよっさん2011年5月29日 17:14

    ぐーたらさん、またまたこんにちは。m(_ _)mペコリ
    も〜、ぐーたらさんはイケズですね。更にぐーたらWorldにハマってしまいました。今度はそっちネタに来ましたか…。ファンのツボを押さえてらっしゃる。(;´Д`A

    私も昨日、県立図書館で地方の資料や伝説など色々読みあさっていましたが徳島はネタの宝庫ですね。ネタはあってもなかなかわかり易く、面白く、読み易い内容でまとめるのは簡単にできる事ではありません。

    これからも"あっ!"っと驚くようなネタに期待してます〜。
    ぐーたらさんのハードルを更に上げたところで、これにて… ""ドロン"" ε= (´Д` ) =3

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  2. 伊古彦のひとりごと2011年5月29日 17:27

    ぐーたら先生。こんにちわ。(笑)
    またお前かって顔せずに(ほらほらその左手にかくしている生卵もしまってね。)、那須与一の子孫は、現在でも生き残っていますよ。(笑)彼はドラムを叩かせると、当時の徳島では右にいないくらいアカデミックなドラムもたたけましたよ。
    ああ。それから那須与一でひとつ思い出した話があります。
    ・・・昔々、ナスの夫婦が住んどったんじゃと。ほら、仲のええ夫婦だったが、子宝には恵まれなんだそうじゃ。もう無理じゃと諦めておった頃、婆さんが身ごもり、赤ん坊が生まれたそうじゃが、それから間もなく夫婦は死んでしもうた。
    だが、赤ん坊は親の愛を知らないまま、それでも元気にすくすくと大きく育ったそうじゃ。
    近所の人々は不思議がった。子供は成長すると、親とは似ても似つかぬソテツになったからじゃった。
    そんなことがあってから、
    「親はナスでも、子はソテツ。」(親は無くても子は育つ)と云われるようになったそうじゃ。めでたしめでたし。

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  3. to きよっさん さん
    >も〜、ぐーたらさんはイケズですね。
    カワイイ女性に言われるのならねぇ(笑)
    でも、気に入ってもらえたのなら嬉しいですね。
    確かに地図を見れば何かがあるし、資料をめくれば引っかかる所はいくつも出てきますが、おっしゃるように記事の形にできるものは少ないです。
    断片だったらいくらでもあるんですがねぇ。
    またヨロシク。

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  4. to 伊古彦のひとりごと さん
    >「親はナスでも、子はソテツ。」
    いやあ、面白いですねえ。大爆笑しちゃいました(えと、タマゴ、タマゴ)
    それと、アカデミックはもういいですから(笑)
    あ、こちらで書いちゃいますけど、息子さんのご就職おめでとうございます。
    この大氷河期に口があるだけありがたい事ですね。
    でも就職したらどこに行くかわかりませんよ「ナスのつぶて」なんちって。

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  5. 欠史八代から源平まで、守備範囲が実に広いなあ、
    徳島にぐーたらさん。
    機会がありましたら、是非とも日子刺肩別尊と稚武彦命を
    お願いします。

    それから「大樹を見るとハグ」は実に良く分かります。
    小生はハグしませんが、いつも右の掌をベッタリ当てて
    頭を垂れ、生気(字はこれですよ)を抱いております。
    他人からみると”気持ち悪い”光景らしいです...

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  6. to 猫の兄弟 さん
    欠史八代だなどと、また無理難題を(笑)

    >いつも右の掌をベッタリ当てて頭を垂れ
    いや、そっちの方がいいですね。
    ハグするのは人目をはばかります。
    絶対、ヤバいおっさんだと思われている事でしょう。
    そのうち通報されるかも(笑)

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  7. イコピコちゃん2011年6月2日 6:52

    ぐーたら先生。おはようございます。(ぺこり)
    ありがとうございます。(笑)
    息子が無事(ってすぐ大手製作所に就職したにも関わらず、
    見事に1カ月で辞め、バイトやったり何もしなかったりしてたんですが)就職できて良かったです。
    ネットオークションってやつが息子を、本物のぐーたら息子にしてたんですよ。実は。
    ものの価値がわかるみたいで、確実に利益を出して売買してましたから。小遣いには不自由しなかったんです。
    まあ、それも将来役立つのかもしれませんが。
    漫画喫茶が出来るくらい、漫画があります。新旧。
    そのまま出て行かれるのは、我慢ができませんが・・・。(笑)

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  8. to イコピコちゃん
    >本物のぐーたら息子
    ここにいます(笑)
    でも、ヒッキー以外のことはなんでも将来役立つ事でしょう。
    今は亡きうちの父親も二十数回転職したと言っておりました。
    ま、要は数日と続かなかったって事かなと今は思っております。
    存命中はもちろん言いませんでしたが(笑)

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  9. 国府町における源義経の行動に興味がありまして、行ってまいりました。
    車は両神社の境内に止めて、2町余は徒にて。
    お堂の中に、五輪塔が祀られています。2基。

    桜間の八幡神社に鎌倉時代とされている五輪塔があります。
    比較するのもなんですが、参考になるとは思います。
    (グーグルマップに写真を貼り付けています)

    1年も前の記事に対するコメントなので、解決済みでしたらお許しくだされ。

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    1. to kaseijinさん
      ありがとうございます。
      お堂の中はまだ確認してませんでした(汗!)
      「宗隆」の碑は後日確認したんですが(汗、汗!!)
      でも確かに両神社に車を置いて歩いていくのが正解ですね。
      桜間八幡神社の五輪塔は見てきました。すぐ近くに塚のような
      土盛りと小祠がありますよね。あそこも気になります。
      GoogleMapの写真も拝見いたしました。
      ダイレックスに買い物に行くついでに、あの近辺はよくうろうろしてます(笑)
      五輪塔跡や板碑は仰るように多分鎌倉期のものでしょう。
      桜間八幡神社の五輪塔がそうであるように源義経と関係があるやもしれませんね。
      面白いです。

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  10. 先日、東かがわ市の水主神社を参拝した後、このブログを読ませてもらいました。
    貴ブログに詳しく載せられている通りで、大水主大社(大水主御襖)、那智・新宮・本宮の水主三社、並びに二ツ森社、他社が有りました。
    全体の俯瞰では、中央の大水主大社を囲んで、北:那智山、西:本宮山、東:新宮山(虎丸こちえ・とんぷう:籠、清瀧・青龍?)の配置となっています。
    ここで、石井町の今回の神社として、新宮本宮両社並びに那須与一神社ですが
    まず、両社とは二ツ森、即ち曾尸茂利のことで大水主御襖即ち素盞鳴尊ではないでしょうか。那須与一とは「真名井の水」で那智のこと。従って、石井町のここの神社は東かがわ市「水主神社」と同じ形態となっています。ここの二ツ森にも物語りが有るようですが、三輪山の倭迹迹日百襲姫と似ているが、結論は、蛇が殺されて、姫が生きている事です。この物語は、後に舞台が大和(三輪山)に移るのでしょうか。
    なお歴史的な人物の那須与一については、今、私は考慮しませんでした。

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    1. 那須与一神社については穿ち過ぎでしょう。
      普通に人物として考えたらいいのでは。
      「宗高」碑もすぐ近くにある事ですし。

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