2011年5月5日木曜日

中津峰山 如意輪寺

徳島県徳島市多家良町にある「中津峰山如意輪寺」へ行ってきました。
新四国曼荼羅霊場の第81番札所。阿波秩父観音霊場の第1番札所。阿波七福神霊場
であります。


より大きな地図で 中津峰山如意輪寺 を表示

縁起について如意輪寺のHPから転載いたしますと


当山は、古来より補陀落山という山に形が似ていることから観音様の霊場とされています。補陀落山とは、伝説の観音様の住居の御山のことで、チベット語ではポタラといい、ダライラマ(観音様の化身)がお住まいをポタラ宮と呼んでいます。

永正年中(1504)の頃、当山伽藍、堂宇は傷み、観音様も京の都に修理へ出向かねばならない状態になりました。 ところが、上洛はしたものの都も不穏な情勢で修理もできないまま、観音さまはとうとう行方不明になってしまいました。ときは過ぎまして、小松島の元根井に住む彦太夫さんという人が船頭をしておりました。その彦太夫さんが、ある時、現在の兵庫県尼崎市の浜に、悪天候のため足止めされておりました。そこへ一人の小僧さんがやってきて「私を阿波の国まで乗せてください」と申し出ました。彦太夫さんは、おりしもの悪天候と見ず知らずの小僧を怪しんで追い返しました。しかし、翌日も、小僧さんは姿をみせ、「私を乗させてくれたら、阿波の国まで一時(現在の2時)で渡してあげよう」といいます。彦太夫さんも長い間足止めされておりましたので、一か八か出航してみることにしました。


尼崎の浜を出ると激しかった雨と波はやみ、追い風となり、未の刻(午後二時)に出帆すると申の刻(四時)に小松島の元根井の浜に到着しました。無事帰れたことと、そのスピードにおどろいた彦太夫は、小僧さんの乗っている船室にお礼に伺いました。しかし、目の前には小僧さんの姿はなく、観音様のお姿がありました。彦太夫はびっくりしながら急いで観音様の御上陸の用意に村の衆を集めてきました。村の衆が集まりますと、観音様の姿はすでに船上にはなく、浜の岩の上にお座りになっておられました。浜辺の岩の上ですの観音様は傾いて、右に左にゆれております。


彦太夫さんは、近くにあった石を拾ってきて傾きを直おしてあげました。この石は『助石』と呼ばれ、現在でも当山の内陣に安置されております。また、観音様を支えた石、観音様をも支えることができる石として霊験あらたかな石と言われ、体の痛いところ、悪いところをさすると、それが直ると言われております。彦太夫さんはその後、助石屋とあがめられ、現代も京都に子孫が住んでおられます。観音様は「彦太夫よ、渡してもらったお礼は何がいいか?」とお尋ねになりました。「この界隈から火事をなくしてください」とお願いしました。爾来「小松島に五軒以上の火事がないのは中津峰の観音様のおかげ」といわれるようになりました。


以下略


うん、開基からの縁起が書かれてないのが何とも言えませんな。
まあ、一般的にはこれでいいのかな。



八多の金山神社、立岩神社からまっすぐ(って道は凄いですけど)進むと着きます。
JR徳島駅からタクシーで30分って案内にあったけど、ホントに30分で着くか?
何で突然行ったかと言いますと(どうでもいい?)いつもボクをいじめるイコピコさん
がコメントで中津峰山の事を書いてたので、「なんか書いたろかい」と調べてましたら
何と4月28日から5月7日までが結願御開帳だったんですね。
「来い!」と言われてるようなもんじゃないですか。
天気は曇り気味からだんだん晴れてきて、日頃の善行の賜物と言う事ですな。
(ほーら、突っ込みたいでしょう)




この奥に御本尊の木造如意輪観音坐像 (国指定の重要文化財)がございます。
写真は当然ありません、撮影なんてできません。


このような観音さまでございます。

境内には高野山の遥拝所がありまして。
天気のいい日(今日は黄砂で全然ですけど)には和歌山まで見渡せるそうです。
そして

徳島南部には、弘法大師が太龍寺山の舎心ヶ嶽・太龍寺から中津峰山の方向に北斗七星を拝して、悪星を祈り落としたという伝説が多く伝わっている。中津峰山の南麓には弘法大師が祈り落とした悪星を封じ込めたという星の岩屋・星谷寺がある。
中津峰山山頂(天津神社)と如意輪寺にまつられる総鎮守の三十八社大権現は九曜二十八宿の星々と地元の神の三十八の神々を合祀した神で、如意輪観音の本地とされる。
古来より如意輪寺の位置する中津峰山が、観音の居所とされる補陀落山に擬せられることから観音の霊場とされた。 Wikipediaより

今回はこれ以上書きませんけど、下の写真が「三十八社大権現」です。


石楠花(しゃくなげ)も咲いてました。
徳円寺にはいけてません。
で、中津峰山の頂上までは行ってません。
一人じゃなかったもんですので。
いろいろ、怪しい事を書くのはまた今度ね♡

5 件のコメント:

  1.  中津峰山は中学生のときよく自転車で行きました。登るのに45分くらいかかります。下りは15分で快感です(危ないけど)。

     山門に向かう階段の途中に、「立木観音」さんがありますね。大正時代に、生きている杉の木に直接、彫り込んだものです。観音さんは段々と木に包み込まれていってます。木が成長しているので、子供の時に見たときより高くなっています。

     5日に徳円寺のシャクナゲを見に行きました。見頃を過ぎてました。もう花に勢いがありません。またしても、タイミングを外しました。大川原高原の方から下って行きましたが、反対の嵯峨川から上がっていくコースも一方通行規制はありませんでした。昔に比べたら対向できるところも多くなっていますね。

     嵯峨川沿いにある「嵯峨天一神社」は好きな神社です。境内に立派な木が何本もあってテンションあがります。
     ここの手水舎が最高です。水がこんこんと湧き出ているのです。蛇口から水盤に水を落とす形ではなく、蛇口を水盤に埋め込むスタイルです。まあその水の清浄なこと。佐那河内の米はうまいと言われるのは、この水質のよさからくるものでしょう(^ω^;)(;^ω^)

    返信削除
  2. 伊古彦リカルド2011年5月5日 19:33

    中津峰山は中学の頃よく自転車で行きました。おにぎり持って。登りは集落が無くなるところから結構かかったね。お寺に着くちょっと前に、北東の方角が見遥かす場所があって、小休止。そこから小さい観音さまが、等間隔に道ぶちに祀られていて・・・。大坂峠と同じようだけど、私は中津峰山フリークでした。(笑)
    ふと、カルロスさんのコメントを読ませて貰ったら・・・。おんなじようなことしよった人がおるんやねえ。(笑)年代的に5段変速の自転車世代でしょうか?
    ワイも名前変えて、リカルドぐらいにしょうかいな。(笑)

    返信削除
  3. to カルロス さん and 伊古彦リカルド さん(誰がリカルドなんやねん)
    眉山は中学生のときよく自転車で行きました。登るのに50分くらいかかります。下りは15分で快感です(危ないけど)(笑)
    正月開けて風の強い日に凧を持って山頂で揚げると糸がいくらでも出て行って、快感なんです(バカでしょ)
    巻き糸を三束くらい持ってってつなぎながら揚げるんです。
    途中に剣山神社(遥拝所)や忠霊塔なんかがあって、その頃は「気味悪いなあ」なんて思ってました。
    ふと、カルロスさんや伊古彦リカルド さんのコメントを読ませて貰ったら・・・。おんなじようなことしよった人がおるんやねえ。(笑)年代的に5段変速の自転車世代でしょうか?(そうです)
    下りで崖に突っ込みそうになって真っ青になりながらブレーキを握りしめてました。
    みんなスペイン系できてますね。
    ボクのことは「フェルナンド」と呼んでもらって構いません「フェルナンド・ぐーたら」(笑)

    返信削除
  4. ガブリエラ・さくら2011年5月5日 21:36

    フェルナンド・ぐーたらさん、こんばんは(笑)
    皆様、子供の時はわんぱくだったのですねー。
    読んでいるだけでうらやましく・・・
    イヤイヤ・・・怖いですね(笑)

    去年のもみじの頃、中津峰の頂上まで行ってきました。
    私の足で1時間くらいだったかな~?
    ぐーたらおにいちゃまなら30分くらいで登れると思いますよ(笑)
    景色も良いし・・・
    何より石垣が興味深いです。

    私のことは「ガブリエラ」と呼んでもらって構いません「ガブリエラ・さくら」(笑)

    返信削除
  5. to ガブリエラ・さくら さん(誰がガブリエラなんやねん)
    男子中学生はみんなバカなんです。(断言)
    どんなに賢そうな中学生でも男子は何を考えてるか分らない、というか
    な〜んにも考えてないんですね。
    「面白そう」の基準しかありません(笑)

    >去年のもみじの頃、中津峰の頂上まで行ってきました。
    >私の足で1時間くらいだったかな~?
    あ、1時間くらいでいけるんですね。
    近々再挑戦ですね。2時間くらいかければいけるでしょう(笑)
    石垣(石段?)がぜひとも見たいんです。

    返信削除