2011年1月23日日曜日

六十六部大権現

書く事がありません。終わり。

なんて言ってると、「あれはまだか」とか「あれ書いてないぞ」とかいろいろ
いじめたり、責めたりする人が、きっといますので(ねえ「サ・・・・」さん)
ちょっと間つなぎに、パワースポットじゃないけど、ご利益のある所を紹介し
ておきます。

でも、パワースポットがブームだなんて、騒ぎ立てるのもどうかな?と思います
がねぇ。危ないスポットもありますが、もちろん書きません。

余談ですが、自分自身、近所で絶対に近づかない場所が2箇所あります。
仮に近くを通ったとしても、見ません、顔も向けません、それ以前に遠回りして
でも近づきません。ただ、一つはよく通る道沿いにあるんで困ってます。

え〜、話を戻して
そこは「六十六部大権現」でございます。
場所はここ、伊予街道が鮎喰川に突き当たる所。
下の地図では国道192号線が「伊予街道」になってますが、本当は青い線を引いて
ある旧道が伊予街道です。堤防に突き当たって鮎喰の渡しで対岸に渡ってました。


より大きな地図で 六十六部大権現 を表示


こんな所です。車をすっごく止めにくいんで注意。
で、「六十六部」とは何ぞや?
一般的には「六十六部信仰」と言われてて古くは鎌倉の頃から、日本全国六十六カ国を
巡礼し、一国一カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める行者の事を言ったそうです。
カーブミラーの向こうに立っている「申し伝え」を刻んだ碑から転記します。


申し伝え
 今からおよそ二百数十年前、伊豫の国宇和島の六十六部喜衛門は
両親に死に別れ守り本尊を背におい諸国修行、遠くは信州御岳山に
修行なされ神仏よりさずかった秘宝の灸 これは今に伝えるお灸を
さずかり伊豫の国宇和島に帰る途中、阿波の国名東郡加茂名村鮎喰
(現在市内鮎喰町)神田家にワラジをぬぎ中風、カッケ、その他の
病気にナンギしている人々にお灸をすえてなおしたのを誰となく聞
き伝えてきた。元文五年七月二十四日病気のため死亡した 生前の
徳をしたう者達が鮎喰川の東岸に石碑を建てて冥福を祈った。
 その後中風、カッケ、その他の病気に苦しむ人が話を聞いて六十
六部喜衛門の墓にもうで祈願した。ところがうす紙をはぐように
快方に向い間もなく全快したため、喜んで遺言にその事を書き六十
六部喜衛門が生前諸国を修行した健脚にあやかる為、特大のワラジ
を作って奉納した。これが評判となり墓に訪れる者達が引っ切らず
大小さまざまのワラジが次から次えと供えられ「六十六部さんの墓
えお参りしたらカッケは必ずなおる」とますます有名になった。
 伝えを聞いた病人は近くは淡路、兵庫 遠い所では北海道あたり
から杖にすがってきた者も帰りにはワラジ、杖まで置いていくほど
だった。それが約二百年にわたり続けられて、つい最近までおよん
だ。六十六部の墓は徳島市バス上鮎喰終点から北へ約五十メートル
旧道つき当りの堤防きわにある。
 元は、ずっと南にあったのを鮎喰川改修工事のためにここへ移さ
れたもので、明治から大正へかけて空をこがすかと見られた線香の
煙も今は、すっかり絶えていたが戦後、信者により復活し毎年春秋
護摩供養をおこなっています。


 春   三月二十四日   秋   九月二十六日
                       六十六部大権現


だそうです。
残念なのは、最近ではカッケで歩けなくなる人が、ほとんどいなくなってしまったって
ことですね。
でも、足の病気や故障にはご利益あると思いますよ。

正面から見た所

これは「経(王)塔」ってありますね。

奥が「六十六部喜衛門」の墓、「了本墓」ってあるのは法名でしょう。
もう一つ縁起を刻んだ碑があったんですが、これは読めませんでした。
「六十六部信仰」に関しては、あまり資料が見つからなかったんですが

阿波における六十六部の痕跡は、中世末期の16世紀にまで遡ることができます。
県外所在の資料では、島根県大田市南八幡宮鉄塔検出の銅製経筒群(16世紀)
に、阿波在住の六十六部聖が廻国していることを物語る銘を持つ経筒が見られます。
また、奈良市中之庄経塚出土の納経請取書(承応2~4年[1653~55])には、西国
36カ国の六十六部廻国霊場が見られ、そのなかに阿波国那西郡の大瀧寺(阿南市の太龍寺)
が確認されます。
一方、徳島県内にある資料では次のようなものがあります。三好町馬岡神社の享禄2年(1529)銘の棟札に「本願六十六部越後国心海」とあったり、宍喰町願行寺の天正18年(1590)銘の山越阿弥陀三尊浮彫板碑に「為奉納大乗妙典経六十六部供養」等と見えるのが、かなり古いものとして注目されます。

おっと太龍寺の名前も挙がってますね。
また

近世の六十六部廻国巡礼に関しては、六十六部廻国供養塔などの石造物が少なからず
見られます。
こうした石造物の銘には関係者の名前や地名などが刻まれているので、実際に六十六部
廻国聖がどのような行動をしていたか知るための有力な手がかりになります。

ですので、上の「経(王)塔」って書いてある塔の写真も、六十六部廻国供養塔かも
しれません。

いかがでございましょうか。足でお悩みの方は一度参拝してみては。
わたくしみたいに足の短いのには、ご利益なさそうですが。

さて、次回もなじられちゃおうかな。

5 件のコメント:

  1. サクラサク48692011年1月23日 22:16

    ぐーたらさん、こんばんは♪
    (サ・・・・)ですよー(笑)

    六十六部大権現・・・初めて知りました。
    またまた勉強になりました。ありがとうございます。
    太陽と緑のお店は行ったことがありますが(笑)鮎喰川沿いにこのような場所があるとは・・・
    護摩供養も毎年されているんですね。

    足が太いのにも、ご利益ないでしょうか(笑)

    ぐーたらさん、もっとお願いしますね←プレッシャー?
    知らないことを知るのは、ホント楽しいです。

    ぐーたらさんの読書量は凄いのでしょうね?

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  2. to サクラサク4869 さん
    こんばんは。
    ホントに町中でしょ。
    よそは知りませんけど、ちょっと探せばすぐに何かしら出てくるんで、徳島は面白いですね。

    読書は好きですけど、凄いかどうかはよく分りません(笑)
    引っ越してきてからは、本もあんまり買ってません(置くとこが無いから)
    その時に段ボール箱20箱くらい古本屋に出したのが惜しくて惜しくて(涙)

    まあ、プレッシャーに負けずに頑張ります(笑)

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  3. ぐーたらさんのお陰を持って、
    八十八ヶ所に加えて六十六、合わせて百五十四ヶ所も
    死ぬまでに廻らなければ行けないところがあると知って、
    ぼんやりと日々を過ごしていてはいけないと思いながらも
    未だ、蒲団の中に潜っている、年寄りの猫兄弟でした。

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  4. to 猫の兄弟 さん
    まだまだ、「西国三十三箇所」があるじゃないですか(笑)
    187箇所ですよ。
    こりゃ、なかなかですよ。
    命が終わるまで死ねませんね。

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  5. そうでしたね。
    西国三十三ヶ所は意識しないで(朱印集めの趣味がない)
    大分廻ったので、忘れてました。
    言われてみれば他にも
    「○○△△箇所」とか「□□××社」とか「◇◇七福神」とか
    一杯ありますね。
    全部廻るまで死ねないなら、とっても有難いけど、
    きっともの凄く疲れるんだろうな?????

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