2010年2月19日金曜日

御瀧神社と尼寺古墳群(追記)

2010年2月5日の記事で御瀧神社と尼寺古墳群について、海城が徳島市の加茂名だったなどと
世迷い言を追記してございましたが、その後に「道は阿波より始まる(その3)」を繰って
おりますと

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気延山の北端に茶臼山と記された右側に「尼寺(にじ)」の地名がのって
いますがこのたりが有名な阿波国一の城海城(あまぎ)のあった所で、阿
波国古城記で倭建命の皇子長田別王より以後代々国王の城とせし古城跡と
記されていますが......
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とあり、この伝でいえば、先の記事もあながち間違いではないのではないかと、もうすこし
言えば結構当たってるんじゃないか、さらに言えばかなりいい線......
という訳で、古代史は難しいということですね。



で、おまけとして「続 石井昔話と藍の歴史」なる冊子をを繰ってみると
(「続」しか見当たらないんです。先の「豊玉姫の機織り」の参考書は
「いしい乃昔話藍と農業史」だったし、なんでかな?)

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鳥坂辺りの昔話   坂本 新太郎
御瀧神社の石段は尼寺の地盤石を使用した気延山上の駒撃松を切り倒した
時に根基が雨で洗い出して義経の守本尊観音さん一寸八分が露出していた
ので........
(以下ちょっと差し障りがありそうなので略)
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変な文章でしょう?
神社の石段が何なのかさっぱり分りません。
(じゃあ、書くなよって?)
御瀧神社の名前が出てきたのでちょっとだけ紹介してみました。
写真はないし、後半は訳分んないし、いよいよ痴呆症が始まってますね。
単に材料がないだけかも。

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