2010年2月22日月曜日

下加茂神社と鴨神社と加茂神社

唐突に今日仕事が休みになってしまいました。
家には犬しかいないし、図書館は休みだし、と言う訳で以前から一度はと思って
いた下加茂神社と鴨神社へ行って参りました。
残念だったのは町立図書館も休みだったのです。詣でた後で郷土資料など調べようと
目論んでたのに。
高速を使わずにとぼとぼと1時間何十分かかけてまずは下加茂神社へ
天気はどピーカン(最近あんまり使わないかな。おじさんですから)

えー、思ったより小さなお社でございました。
無論、お社の大小と神社の由来とかには何の関係も
ありません。

他のブログで最初にこの扁額の写真を見た時は
まさか徳島に「下加茂神社」とは!と本当に驚いてしまいました。
京都のほうは「下鴨神社」でしたね。



二つ葵だったかなこの御紋は。



ご祭神は玉依姫命
で、例によって「徳島県神社誌」では

創立年代不詳、山城国下鴨神を遷祀せしものと伝える。
明治五年郷社となる「阿波志」に「加茂祠鴨宮に在り」と記し「寛保改神社帳」には
「加茂野宮村賀茂大明神禰宜加茂宮村佐藤遠江」とある。


昭和四十九年発行の「三野町史」をみると
由緒によると、往昔京都下賀茂神社の分霊を奉遷し、当村へ勧請したと言い伝えている。
その後文化8年春、京都から従三位上阿部加賀守が社参として下向し、旧い記録をそれ
ぞれ改め京都賀茂宮より勧請したに相違ないので、葵祭やその外の諸神事など京都と同様
に執行するようにとのことだった。

平成十七年版の「三野町史」では
古書に延暦13年(794)平安遷都を加茂社に報告とあり王城鎮護の神として確立する。

とあるだけ。


さて次に「鴨神社」へ「下加茂神社」からは車ですぐ。
東みよし町役場の前を通って1キロほど。

鳥居の前に立っただけで立派な造りが実感できます。


由緒書きです


これも立派な石段


本社


弓射りっていうのかな?神事を行っていましたので
そそくさとお参りを済ませて退散いたしました。


昭和48年の「三加茂町史」に
当社より一里川上に貴船神社、村内に奈良神社、沢田神社、民神社、若宮神社、新宮神社、
大田神社、片岡神社 以上八社があってこの地を京都に因んで創建されていた。

とあったので貴船神社には行きたかったんですが、土地勘がなくてしばらく探してみましたが、ぶらっと出てきたこともあって場所も調べてなく、迷子になりそうだったのであきらめました。

ご祭神は上の写真にもあるように「別雷神」
由緒として

延喜式内小社、往昔此の地は京都加茂別雷神社の社領で守護神として、同社の分霊を奉斎
したものである。
当社の祭式は壮厳を極め奉仕の神主三人と十人の社人により行われて、福田庄時代には
京都上賀茂神社摂社の神官毎年出張神事を奉掌していた。
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば勧請した時より創立が古いと
いうおかしなことになりますね。
上の写真の由緒書きでは貞観二年以降の創建となってますので861年以降でこの場合年代
に関しては合います。

京都下鴨神社は鎮座年代がよくわからなく、一説には崇神天皇7年(紀元前90年)、また
一説には天平の頃(729年から749年までの)京都上賀茂神社(あー、京都だの三加茂だの
ややこしい)から分祀されたとのことです。

で、要は鴨神社、下加茂神社とも京都から分祀されたということらしいんですが、ここに
それは逆ではないかとの説があるようです。
つまり「鴨神社」「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮ではなかった
かとの説です。
少し上に書きましたように京都上賀茂神社の創建より鴨神社の創建が古いかもしれないと
いう事、また「阿波志」にある「旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」の伝でいえ
ば「事代主の神孫、鴨王是也」鴨族の王の祀られている所がいわゆる本家、本元といえな
いでしょうか?
もうひとつ、これには異論があるでしょうが、まず京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)です。
Wikipediaなど見てますと「賀茂別雷命」の「別雷」について「『別雷』は『若雷』の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。」となってますが、見方を変えれば「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味にとれないでしょうか。

下の写真は詣でてみたものの詳しい資料がなくて
そのままにしていた、徳島市加茂名町の
「加茂神社」です扁額は「加茂宮」となってます。


由緒書です

ここも加茂族(鴨族)の居地であった加茂名であり「別雷命」を祀った神社でありますが
京都から出張神事を行ってたなんて話聞いた事もないです。
ほんとに京都の上賀茂神社、下鴨神社が本家本元なら全国の加茂社へ毎年毎年「出張神事」
を行ってなくちゃおかしくないですかね。
「鴨神社」「下加茂神社」に何かがあるからこそ「出張神事」を行ってきたんじゃないでしょうか。
ただ、本当に「鴨神社」が京都「上賀茂神社」の元宮だったかどうかといえば「?」
としか言えないでしょう。状況証拠だけですからね。
特に京都「下鴨神社」の鎮座が崇神天皇7年(紀元前90年)で正しいということになれば。
でも、かなりワクワクする説ではありますね。

ワタクシゴトではありますが、学生の時、京都上賀茂神社の近く(50mくらい)に下宿
しておりました。(うわ、学校がわかってしまう)
校歌も、なんと「天地の開けし時由....」で始まってしまうんです。
学校のある場所も「神山(こうやま)」なんですね。

偶然か否か。いやいや「奇縁」と思うばかりです。




19 件のコメント:

  1. とても、興味深い内容でした。

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  2. はじめまして 大阪在住の Jun-kun と言います.
    三加茂の丹田古墳や鴨神社と関連して,西庄平の貴布禰神社にも興味があるのですが,こちらの貴布禰神社と京都の貴船神社の関係はご存知でしょうか?また貴布禰神社の「キブネ(キフネ)」の名前の由来等についてもご存じであれば教授お願いいたします.

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  3. 鴨神社近辺にはご存知の通り貴布禰神社があり、下鴨神社もあります。
    一般的には6世紀頃白川氏が京から貴船神社を勧請し、位置関係をも模したと云われていますが、仮に丹田古墳に眠っていらせられるのが阿遅志貴高日子根神であるならば、話は全く変わってきます。
    貴布禰神社の「キブネ(キフネ)」の意味は浅学にして存じ上げませんので、調べてみます(笑)

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  4. ご返信ありがとうございます。よろしくお願いします。

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    1. 勉強が足りなくてすいません。
      精進いたしますね(笑)

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  5. ぐーたら様
    のらねこブルースさんからコメントをいただけました。
    http://m.blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/52818632.html

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    1. おお、さすがのらねこ師匠。
      鋭い考察ですね。

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  6. こんにちは。
    おうかがいですが、グータラさんは天椅立神社宮司で 国学者であった近藤忠直氏の延喜式や古事記の事が書かれってあるという古文書を読んだ事はありますか?

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    1. ボクが持ってるのは「阿波国風土記編輯御用掛」くらいですかね。
      これならボクが別にサイトを作らせてもらってますのでご覧ください。
      https://sites.google.com/site/awakokufudoki/
      ただし、どの部分が近藤忠直氏の著作部分かははっきりしませんが。
      説明は、これもワタクシの記事で申し訳ありませんが
      http://goutara.blogspot.jp/2013/03/blog-post_15.html
      http://goutara.blogspot.jp/2013/03/blog-post_16.html
      http://goutara.blogspot.jp/2013/03/blog-post_19.html
      http://goutara.blogspot.jp/2013/03/blog-post_23.html
      http://goutara.blogspot.jp/2013/03/blog-post_28.html
      でどうぞ。
      これでなければ、ごめんなさい。

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  7. すいません、私の質問の仕方が変だったものでお手数をおかけしましたね。
    読んだならいらない情報かと思ったのですから聞いてみたのです。
    東みよし町の生涯学習センターにこの方が古文書などを調べてまとめた資料があるそうです。
    1冊じゃなく2,3冊。一部しかないそうですが見せてくださるそうです(今のところ平日のみ)。内容は私も見たことないのですが氏が延喜式や古事記などを勉強されてまとめられたものかもしれません。管理する方も延喜式や古事記の本とおっしゃっていました。これもまたパズルの1ピースになろうかと思いまして情報提供です。
    半田に来られる時に思い切って旧三好町まで足を伸ばして 目を通されてはと思います。またこの神社についても延喜式内社のかどうかぐーたらさんの見解が知りたいものです。

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    1. いえいえ、ありがとうございます。
      ぜひとも行ってみますので。
      天椅立神社は近藤忠直氏が式内社だと認定したそうなので、いろいろ気になるところがあります。

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  8. すみません誤字が多かったのはこの記事なのにどこに引っ付けてるやら。お恥ずかしい。
    では、これからこの神社を調べられるなら、もう一つある昔の氏子から聞いたお話を。
    天椅立神社は大宮さんと呼ばれていて、川向いの丁度真正面にある井川町のいつつみ神社(飯裹神社 三好市井川町野津後75)と姉妹だという言い伝えがあるそうです。大宮さんがお姉さんで、飯裹さんが妹なのだそうです。だからお祭りは同じ日に行われ、飯裹神社のある高台から向かいの大宮さんを見ていて、大宮さんの神輿(だんじりもかも)が先に出発したのを確認してから、飯裹神社の神輿も出るのだそうです。(今は人手不足で氏子の休みの日曜日にかわってるそうです)
    大宮さんはイザナギイザナミが御祭神ですけれど、女神さんとしてのこんな面白い言い伝えもあるのだそうです。また調べていて何かのピースになるかもしれないのでちょっと記憶の隅にフックしてみてください。役に立つかは保証しませんが。あいつとんでもないガセネタを、とならない事を願ってます。;^_^A 私もこの春休み頃 読んで来ます。では。

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    1. ということは、御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命じゃないんでしょうね。
      元は羽津明神で妹がいつつみ神社(飯裹神社)。
      羽津明神は天津羽羽神の転かも。
      飯裹は「いなり」とも読めるのと、鎮座地が川を前にした山裾。
      このパターンは阿波でよく見られる天照大神を祀る位置関係ですね。
      となれば、飯裹神社は「◯◯」ですね。
      気になるでしょ〜(笑)

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  9. え"〜! 気になります(>_<)。知ってることをみんな吐け、吐くんだ! と、つい思ってしまうじゃないですか。お暇なときにでも是非おきかせください。
    昼間って地名にも関係があるのか、とか、イケ、井川、井関、井内、祖谷と妙にイがついてることとかあの地域のことは、なんかうっすら、クラゲの断片のようなパズルのピースが、フワフワ捕まりどころなく浮いています。山側が下の子 平野に上の子・・・。

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  10. お久しぶりですグータラさん。最近はお忙しいのでしょうか。新しい記事を心待ちにしている愛読者はまだかまだかと毎日アクセスカウンターをコロコロ回している日々が続いております。(それはそれで良いことですが)
    さて最近知人が三好郡神社取調指上帳という明治初期に取りまとめられた本を送って下さいまして、その中に飯裹神社の御祭神が記されていました。
    御祭神が 五座
    保食神
    蒼稲魂命
    埴山姫命
    大己貴命
    少名彦命
    勧請年月日不分明
    旧称 飯裹大明神

    末社
    篭(旧字)神社
    奥津彦命
    奥津姫命
    天神社
    でした。

    天椅立神社は

    祭神 伊奘諾尊
    副祭神 伊奘冊尊
    神日本磐余彦命
    末社 荒神社 素戔嗚尊
    地主神社 大地主神
    社幣能神社 八衛比古神 八衛比賣神 この衛の字はないのでこうしてます。
    ピンポーンでしたね^_^スッキリしました。
    また新しい記事を書いてくださいね。古墳付き神社の一覧なんかあると助かるなぁ
    では

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    1. 忙しかったです(笑)
      カウンターアップ狙いじゃないですよ(笑)
      ボクはジジイなんで体力なくて、仕事が忙しかったらブログに手が回らないんです。
      は、さておきwww
      飯裹神社の御祭神が面白いですね
      保食神、蒼稲魂命、埴山姫命、大己貴命、少名彦命
      よく見かける地神塔の天照大神と保食神が入れ替わってるだけですね。
      ボク流に言えば、社名も含めて意味があるんですけどね(笑)

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  11. 保食神、大宜都比売、八倉比賣、豊受、諸々。
    名前が一種類だったら楽なのに、、、。
    久しぶりのグータラさんの記事、何が凄いってあの猫こそ隠し玉でしたね。
    あんな短い足が組めるなんて。衝撃姿勢でした。
    ぐーたらさんちの猫ですか?いやー笑ったわ〜(^o^)

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    1. すんません、拾い物の写真です。
      書くのに飽きたらあんなの
      貼りたくなるんですwww

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