2010年2月7日日曜日

産八幡神社

徳島市の南蔵本町1丁目1にある産八幡神社です。
「海の宮」にあります。もちろん古からの立派な地名です。
元は「宇弥の宮」といっていたそうです。
GoogleMap、YahooMapで見てもちゃんと表示されます。
御祭神は誉田別命、息長足比売命となっております。

息長足比売命については

神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))は、仲哀天皇の皇后。『紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。 父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母。Wikipediaより


徳島県立中央病院の東からまっすぐ南に突き当たると、上の写真の神社の入り口が見えます。


このように立派な灯籠も建っています。入り口から少し右(西へ50m)に駐車場もあります。

で、鳥居を潜って登っていきますと、


うーむ、これはないでしょう。神功皇后をお祀りしているんですよ。
と、思って裏を覗くと。


おお、神々しいお社が、いや逆光になってるだけですが。
でもこのご本殿もだいぶ痛んでおりました。



灯籠には「宇弥八幡」(弥の文字にさんずいがついている)と刻まれてます。


さて、「徳島県神社誌」にて由来を見てみると。(長いぞ、入力めんどくさい)

創立年代不詳「阿府志」に「宇弥祠荘村にあり、宇弥すなわち海也。三代実録に従八位
上海直豊宗、外少初位下千常等あり蓋し遺廟也、或は曰く日本書紀に足仲彦天皇九年皇
后新羅に従い帰り十二月朔誉田天皇を筑紫に産む、時人其所を号て宇弥と曰う。恐くは
迎えて之を祭る也」とある。

「筑紫に産む」この部分さえ解れば何のことはないですね。
筑紫は地名ではなく、形容詞です。いわゆる「櫛でといたように(日の光が)さんさんと」降り注ぐ様を表してます。ちなみに日向は「日当りがよい」ことを示します。
もちろん「ひむか」と読む時はです。
そして「時人其所を号て宇弥と曰う」の部分、最初に書きました。ここは「海の宮」
もとは「宇弥の宮」、「宇弥すなわち海也」
ここじゃないですか。この地じゃないですか。応神天皇がお生まれになったのは。
こんなに分りやすい説明ないですよね。どうですか。

「徳島県神社誌」もこんな記述を載せている所を見ると、このことが言いたくて
仕方なかったように見えるんですが、多分当たってますよね。

福岡県の宇美八幡宮じゃありません。いずれ詳しく調べて書きたいと思ってますが
応神天皇は徳島市の応神町で幼少の時期を過ごし、眉山近くの恵解山古墳に葬られ
ています。
また、応神天皇の3人の妃は石井町の東王子神社、中王子神社、西王子神社に祀ら
れております。こんな場所が他にありますか。
(この三社については何度か詣でてます。もう少し調べてから書きたいですね)

そして三韓征伐の帰りにとのことですが、どうも仲哀天皇は新羅に行っていないとの
説もあり宇美八幡宮でとの通説は個人的に怪しんでおります。
(あくまで個人的にね)







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