調べてみたら(この書き方はよくありますが、何を調べたか全く分らないんで意味がないですよね)
それで「高川原村史」等を見てみると「烏の森」は石井町高原の「王子神社」境内のことでした。いくつかの遊具もあり「烏の森児童公園」となっているとの記載がありました。
GoogleMapで場所を調べていても「豊玉毘売神社」としか表示されないので、とにもかくにも行ってみると「王子神社」でありました。
主祭神はもちろん「豊玉比売命」
由緒として
延喜式内の神にして、もと王子権現と称す。「名西郡誌」に「社殿宏壮千歳の神樹は鬱然として森厳を粧いしが大正二年五月焼失し再び新築を起工同四年一月竣成、廟貌厳然旧時に増す」と見える。俗に「からすの森」と称す。飛地境内社に野神社(桑島148)野神社(池北107)山神社(池北186)八幡神社(桑島6)幸神社(池北64)の五社がある。
立派な鳥居と広い参道があります
いかにも「森厳を粧いしが」という雰囲気です。
ここ(境内入ってすぐ左)に「豊玉毘売神社」の碑が。
神殿はこの奥にも二つ
「社殿宏壮」「廟貌厳然」のままです。
見てください。いかにも「烏の森」ですね。
写真を撮ったときも子供たちが遊んでました。
この地で豊玉姫が機を織っていたなんて想像すると、わくわくしてきますね。
さて、今回はもう一つ。
これも昔話からですが
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天皇さんの由来 笹田 嘉吉
天皇さんと呼ばれる所は各所にあるが、この天皇さんは外の所と違う。
桑島の南端から南島の二ツ森神社東側に通じる道路の南側、すなわち桑島の最南端に木立があり昔は塚や五輪塔があった。
この塚が天皇さんである。
この天皇さんは、神功皇后が三韓征伐のみぎり、阿波に立ち寄ったとき、しばし留まった所である。
祖先、豊玉姫神社に詣で、ここで休息したのであろう。
人呼んで天皇さんという。
歴史家や村長森氏が調査をしたが資料となる物は何一つ出なかった。
老樹が二、三本あったが伐採されて残っていない。
伝説として子どものころよりよく聞かされていたので記しておこう。
いしい乃昔話藍と農業史 上田利男 著
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「神功皇后」と「豊玉姫」がここにも登場します。
「しばし留まった所である。」と断定しているのがうれしいですね。
位置関係としては、南から北へ「二ツ森神社」「天皇さん」「豊玉姫神社(王子神社)」です。下の地図を見てください(クリックすると拡大します)。
「天皇」の文字と赤い枠は後から付け足しました。
こんな所です。
これが五輪塔跡かとも思いましたが跡はないようです。
小さな鳥居と祠があり覗いてみると「大山祇命」が祀られておりました。
調べていると(いけね!)次から次へと新しい材料が出てきてキリがありません。
石井町はどうなってるんでしょうか。
中王子神社、神宅神社等々のことがいつになっても書けないじゃないですか。
(ほんとは喜んでる)
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