2010年2月5日金曜日

御瀧神社と尼寺古墳群

石井町尼寺の御瀧神社を参拝しました。
いつも横の道を通ってるんで気にはなってたんですが、ここも駐車場がないので
行きづらいこと、行きづらいこと。
で、祭神は国常立尊。石井町史および徳島県神社誌には
「明治43年同地鎮座の稲荷赤馬両神社を合併」
と、これだけ。なんのことやら。
例によって(よらねーよ)石井町公民館で白い目で見られながら(変なおっさんなんで)
資料を繰ってたんですが、どうにも見つからなかったです。
どなたかご教示ください。(こんなのだれもみてねーよ)
まあ、自虐の詩はこれくらいにして、気になるのはここが尼寺古墳群の一部であることと
白鳥宮の東であるらしい海城がここらじゃないかなと思ってみた訳です。

手前の鳥居より。

二の鳥居






お社。裏はすぐ切り立った崖です。


で、下の写真はお社のすぐ南側の崖です。
見にくいですが立派な石垣が組まれています。
ここまでが御瀧神社。そしてこの小山の西へ廻って。
尼寺古墳群の表示のある登り口。
すぐ西はかの鳥坂城跡

尼寺古墳群の表示から登っていった所。
この写真で分りますか?
古墳といえばそうなんですが、どう見ても山城、下の写真、こんな感じの石組みが
びっしりと。
この付近の国道192号線沿いを見てください。
「仏壇のもり」手前から喫茶「花杏子」を過ぎるあたりまでずっと石組みが残ってます。



で、ここからは勝手な想像です。
下の写真の青く囲んであるあたり
もし海城が実際に存在しこの辺りであったなら
城跡の範囲はこうでなければならないと考えます。




(訂正)後で分りました。海城は加茂名なんですね。「海の宮」の地名があることを知ってながらこのていたらく。ああああああああああ。
でも、下の文は残しておきます。この範囲が意味持つ可能性もなきにしもあらずということで。





鳥坂城は多分古墳の石組跡を利用して作られたはずであるし
2つの山の北側にずっと石組みが残されているのを見ても
この範囲でなければならないと(個人的に)考えます。

あくまで私見(妄想とも言う)ですが。

ちなみに上の写真の尼寺古墳群のピンを立ててある場所の少し北側に
こんな石室が祀られておりました。



ああ、今日は長編(ワタシ的に)






3 件のコメント:

  1. 匿名でゴメンなさい。
    ピンで挿してある・・・とこの?石の?囲まれている・・・そこは、
    その昔、『はがみさん』と、呼ばれていました。地元民で、なければ知らない場所です。

    いろんな事を書けば、どこの誰がバレちゃうので・・・ここまで!ww

    よくぞ徳島の事を、ここまで・・・調べ尽くしている・・・すごいですね^^
    なんとなく、このブログに行き着いて、いっぱい読んでしまいました。

    いろんな事で、今模索中なので勉強になります。
    また・・・読ませて下さいね^^

    と、いいながら・・・矢野?うわおぉ!ですwww

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    1. お返事遅くなりました。
      『はがみさん』って言うんですね、そこらは地元の人しか知らないトコでしょう。
      どんな字を書くんでしょうか?
      「葉上」「端上」「葉神」「端神」とか。
      また近辺の事でご存知の、面白い事があれば教えて下さい。
      身バレしてもいいじゃないですか(笑)

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    2. 匿名何度もしません。^^;

      漢字は、解りませんが、昔から不思議な事が、ある場所です。
      色々伝えたいけど、誰が………ですから^^;
      ヒントは、330友の会だったかなw
      そこを、知っていたら、私の事も分かるかもしれません。
      なんせ、何十年も昔でしたし………
      いつか、お会いできたらお話しします。

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