2012年3月17日土曜日

石井町国実 武市神社

ホンットに疲れてるんだよぉ。
じゃあブログなんて書いてないでとっとと寝りゃあいいんでしょうが
なんか書かないといけないような気がして、これは強迫神経症なんで
しょうかね。それとも誰かの呪いがかかってるんでしょうか(笑)
(あぁ、きっとそうだ、そうに違いない)
ホントなら(こればっか)もう一箇所廻ってから書くべきなんですが
いつまで経っても行けそうにないんで、いいかげん書いちゃいます。
石井町国実(くにざね)の「武市神社(武市大明神)」
場所はここ。

より大きな地図で 武市大明神 を表示

徳島県神社誌には載ってないので「石が語る阿波」より引用いたしますと

石井町国実の水田のまん中に、ぽつんと十坪くらいの敷地に「武市大明神」という
石造の小さい社殿がある。
武市神社ともよばれ、毎年十月二十二日の秋祭りには、付近の神社以上の盛大な祭典が
催されるが、その日は、社殿の主の武市常三の命日供養といわれている。
常三は美濃川辺城主六万石右京亮(うきょうのすけ)通栄の二男として生まれた。
十五歳にして濃州表の合戦にでて以来、数々の合戦に参加し、蜂須賀家政の供をして
阿波に入り家老格として、徳島の築城に林道感とともにさい配をふるった。
居宅をたてるため家来の桑村八蔵に城裏の助任川を泳がせ、小島を下検分して屋敷を
建て、武家屋敷としたが、そこを常三の名をとって「常三島」と呼ぶようになった。


中略


この武市家は孝霊天皇の末葉といわれ(現在も家系図が現存している)その子孫が
国実の屋敷跡に社殿を建て、武市一族の氏神としてまつった。


まあ「常三島」までは分ります。
ただ、家来に助任川を泳がせるなよ、なんては思いますがね。
「この武市家は孝霊天皇の末葉といわれ(現在も家系図が現存している)」
はどうでしょうか。
家系図なんて、今も昔も怪しげなものの筆頭ですからね。
この、「徳島城築城した人」って書き方、なんだかなぁって感じですね(笑)

なんですが、ここにありました由緒を見てみますと

武市大明神由緒
抑々武市本家ノ祖ヲ経ルニ伊豫ノ國越智族ノ流レニ而
河野四郎通信十一代ノ孫彦六ノ小千通生ノ嫡男ナリ
初而関東ノ足利持氏ノ横暴弾圧為出兵シテ濃洲ニ
留ル武市右京亮小補ノ通高ハ河辺城主六萬石ニ有シ
嫡男右京亮通祐其ノ嫡男右京亮通栄ノ三男に武市常三
有リ其ノ母方ハ神洲諏訪大膳大夫頼方ノ娘常三ハ天正
十二年丹波ニ而一萬石給ル常三病身ニ而禄を返上ス
御腰物信國ヲ賜フ天正十三年五月蜂須賀家政公ノ
重臣トシテ阿波ノ國ニ入国三千五百石給ル渭城(徳
島城)築城後天正十九年十月禄ノ二千五百石ヲ返上
シ千石拝領嫡男ノ十左衛門忠方ト共ニ常三ハ阿波
領内名方郡内浦庄國実ニ隠居今ノ常三島ハ
常三拝領ノ地ナリ室ハ栗山備前守政久ノ娘ナリ
文禄二年巳年十月二十二日 冥界ス

以下略

ふむ、伊豫國河野家の末裔ですな。
河野家は饒速日(にぎはやひ)命の後裔であると言われる越智族の流れです。
それならば孝霊天皇の末葉であってもいいかな、なんて思ってしまいますね。
というのは、越智氏の祖とされる彦狭島命(ひこさしまのみこと)は
何を隠そう(誰がじゃ)孝霊天皇の皇子なんですね。
河野氏については阿波の方じゃあまり有名じゃないかもしれませんが愛媛の
方では超名家でありまして、伊藤博文も河野氏出身であるそうです。

で、さらには武市姓でありますが「武市」は「武知」と同根でありますことから
同じ石井町内の武知神社との関係が伺える....か.....な.......
とか書こうかなと思ってたんですが時間がない。
尻切れトンボの記事で申し訳ない。

ホントに年度末にかかわらず、なんでか忙しいんだよぉぉぉぉぉぉ。
ボクは仕事が嫌いなんだよぉぉぉぉぉ。(←笑ってやってよ)


というわけで「常三島」は「武市常三」から来てますよってことです。(フン)

26 件のコメント:

  1. ヤバイ!  呪いがバレてしまった!!
    えぇい、さらに呪ってやるぅ~
    「あなたはもっと書きたくな~る 書きたくな~る」

    オレも年度末で忙しいですが、頑張って読みますから♪(読むだけかよっ)
    仕方ないなぁ、常三島の由来を周りに言いふらすってコトで手を打ちましょうw

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  2. きよっさん ( ̄▽ ̄)2012年3月17日 9:47

    どうも。お仕事と旗当番お疲れさまです。m(_ _)m

    私的には曽我氏神社の武知神社と今回の武市常三(武市大明神)は直接は繋がらないと思いますねぇ。(←根拠ないので自信ないっすけど!笑)
    曽我氏⇒蘇我氏は渡来系氏族でありますし。ただ源流が欠史八代の系譜である孝霊天皇の武市氏、蘇我氏派生の武知氏が同根であること、同町に祀られていることを考えたら面白いですよね。

    今日は雨で予定が流れたので散策してきまーす!

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  3. ピコちゃんマン2012年3月17日 11:05

    ぐーたら先生。こんばんは。(ぺこり)
    曽我、武市、武知と徳島県に多い氏族の名が繋がりましたね。
    話しは変わるんですけど、小・中学時代、頭脳も優秀、絵を描かせたら抜群の
    同級生の消息が判明したので、ご紹介しておきます。
    曽我康司氏(現在は米国製薬会社勤務)です。
    Koji Soga Art Gallery というご自身のブログを開設されておられます。
    http://kojisoga.home.mindspring.com/japanese/

    彼があまりに絵を描くのが上手過ぎて、絵を断念、音楽に進路をとったものの・・・。
    人生思ったようには・・描けませんでしたね。
    ああ。人生模様。とほほ。(笑)

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  4. to たろさん
    知らんかったぁぁぁ。
    やっぱ呪われてたのかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!(笑)
    夜な夜な耳元で「書けぇ、書けぇ」とささやく声がするのは。
    は、ともかく書くことの断片はけっこうあるのよ。
    でもまとめる時間と書く時間がないだけ。
    ちっとずつでも書きますんで、またコメよろ。

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  5. to きよっさん
    どもです、その節はお世話になりました。
    書くのが遅くなりまして(*⌒∇⌒*)テヘ♪
    とは言いつつも、突っ込み足りなくて申し訳ない。
    確かに武市神社と武知神社は直接は繋がらないんでしょうね。
    考証不足っす。(~ヘ~;)ウーン
    こっから、さらに蘇我氏、孝霊天皇へと遡りたかったんですが(ノ△・。)
    また資料探してみますんで、ヨロ!

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  6. to ピコちゃんマン
    同級生にも武市はけっこうおりましたし、県知事も武市でしたよね。
    石井町国実のあたりは一族が固まってて武市の宝庫(?)みたいです。
    で、曽我さんですか。
    ページ拝見しましたが、凄いですねぇ。
    でも平穏なのが一番ですよ。
    ボクも一時佐野先生の教室で油絵書いてたんですが
    続きませんね(笑)。

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  7. はじめまして。
    調べものをしていたらここにたどり着きました。
    見た事ある景色(近所)が写ってる(笑)
    よくこんなマイナーなものを見つけましたね。

    確かに10/22には一族で今でもお祭りをしていますが、村の神社の祭より派手ではありませんよ。

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  8. to タケイチさん
    ども、はじめまして。
    よくぞこんなマイナーなブログへ(笑)
    個人的には「武市常三」はマイナーじゃいけないって思ってます。
    以前うちの奥さんが石井で勤めてて、あそこらは武市さんが多いって
    言ってましたし(笑)。
    でも一族でのお祭りがきちんと行われてる事が素晴らしいですね。
    もし、孝霊天皇からの家系図があるなら一度拝見させて下さい。
    (↑あつまかしい)

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  9. こんにちは

    家系図ですが
    「孝霊天皇第三皇子伊豫皇彦狭島命後胤
     伊豫国守護河野四郎通信裔胄」

    から始まるから、孝霊天皇から河野通信までの間の経緯は分かりません。
    愛媛の河野一族の家系図をさかのぼって、越智一族を経由して調べたらむりやり繋がるようになってるんじゃないかな。
    徳島に来る前は岐阜の川辺町にいたので、そこの武市一族の家系図もそんな感じと思います。

    勉強不足ですが、武知さんとは縁はないと思います。

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  10. to タケイチさん
    貴重な資料ありがとうございます。
    こういうのは中々表に出てこないので、非常に有り難いです。
    いきなり◯◯天皇末裔とか後胤とかはよく見かける記述ですね。
    確かに間が飛びすぎてて、なんだかなぁって感じですが(ごめんなさい超失礼ですね)
    ただ口伝とか伝承でそう言われていた事が残って書かれたのなら
    それは尊重すべき記述だと思います。
    後世になるに従って、あちこちの◯◯家との縁があり、系図も
    ややこしくなって行った事は想像に難くありません。
    >徳島に来る前は岐阜の川辺町にいたので
    それはどこかの資料で見かけていましたが、それ以上の記載が
    見つからなかったので、そのままです(笑)
    武知さんと縁がないのは後から指摘されました(涙)
    たぶんそうです。
    でもご近所ですよね(笑)

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  11. ふたたびこんにちは。

    河野氏が越智氏と無理矢理つなげるために家系図を創作したかもしれませんね。
    そんな記事を以前、何かで見かけたように思います。


    岐阜の武市一族とは15年くらい前に対面したと聞いてます。
    岐阜側の人が常三の子孫は石井町にいると突き止めたみたいで、連絡があったと年寄りたちに聞きました。
    私はその時大学生で県外にいたので、後日談で聞きました。
    400年ぶりに子孫対面ってシーンに立ち会えず、悔しい思いをしました。
    そんなこともあるんですね〜。

    一度私も岐阜に訪ねてみたいと思いつつ、未だに行けていません。

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  12. to タケイチさん
    いやぁ、面白いですねぇ(これも失礼!)
    以前に石井の轟神社の事を書いた時に九州の「近藤勘右衛門正次」の子孫の方から
    コメントをいただいた事があります。
    http://goutara.blogspot.jp/2010/08/blog-post.html
    その後徳島在住の子孫の方からのコメントもいただいたりして、なかなか鳥肌立ちました。
    http://goutara.blogspot.jp/2010/09/blog-post_08.html

    これはいい機会です、ぜひぜひ岐阜に行ってあげて下さい。
    こんなの偶然じゃないですよ。

    それにしても石井は凄いなぁ(笑)

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  13. 突然に失礼いたします。私は、高松市在住の北島と申します。(48歳会社員です)

    実は、徳島在住の昨年叔父がなくなり、河野家のゆかりと思われる、
    折敷三文字の家紋がついた甲冑を譲りうけたのがきっかけで、河野家のことを調べているうち、
    こちらのブログに行き当たりました。
    また、嫁の実家が石井町なので毎月近くに行ってましたが、石井にこんな史跡があるとは驚きです。
    貴重な情報をありがとうございました!

    石井町つながりでも奇遇ですが、さらに驚きなのが、
    問題の甲冑の家紋(折敷三文字で三の字が毛筆書体)と
    武市大明神の由緒書にある家紋がそっくりだったからです。
    甲冑の制作年が江戸中期頃なので、これまでは河野家諸流の稲葉家の関係と思っていましたが、
    出所が徳島なので、武市家の関係の可能性が大きくなってきました。

    ぜひ、ご子孫の方とコンタクトを取り、お話を伺ってみたいと強く思っています。
    現地に行って地元の方に聞けばよいのでしょうか?(もしくはご存じでしょうか)

    また、ブログを拝見したところ県内各地を調査されているようなので、
    もしや、「河野家」あるいは「折敷三文字」につながる情報をお持ちでしたら、
    ぜひご教示いただければ幸いです。

    何卒、よろしくお願いいたします。

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  14. to キタジマさん
    これは、これは、どうもはじめまして。
    奥様の実家が石井ならば武市家の可能性が高くなると思います。
    河野家ならば、鴨島の方が多いようですので。
    で、残念ながら、ワタクシ石井町の武市氏に知り合いがおりませんので
    なんともなんですが、上のGoogleMapの石井自動車学校から北方面
    武市神社近辺は「武市氏」の密集地域ですので、もしお時間が
    許すようであれば、神社近辺でお聞きいただくのが一番早いのでは
    と思いますが。
    上でコメントをいただいている「タケイチ」さんがもう一度
    連絡いただけるのがありがたいのですが。
    それと河野家についてですが、鴨島の「河野」に知り合いが
    あることはあるのですが、それがいわゆる伊予の河野氏の
    系列であるかどうか、まだ聞いた事が無いですので。
    あまり、お役に立てなさそうですので、せめてということで
    もう一度呼びかけの記事を書いてみます。
    それで、何かも反応があればいいんですが。

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    1. 早速にレスありがとうございました。
      ホントですね、上の記事のタケイチさんとはちょっと違いでニアミスだったようで・・・。
      わかりました、来週末に石井に行き武市大明神の近くで伺ってみます。

      鴨島の河野さんの呼びかけていただくとのこと、お手数をおかけし恐縮です。
      ちなみに鴨島の河野さんは、伊予の河野氏の系列にほぼまちがいないかと思われます。
      もし家系図を引き継いでおられたら素晴らしいのですが・・。

      ちなみに、鴨島の山奥の「樋山地」に河野家の先祖碑があり、伊予河野の系列がわかります。
      また、同町の「西麻植八幡神社」があり、その敷地内に「河野大明神」というのもあります。
      (実はつい先日行って来たところなんです・・)

      ではでは。

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  15. こんにちは、タケイチです。
    香川の方が訪ねてこられていたと聞こえてきたので、もしやと思いプログを見ると・・・。
    ビックリです。

    謎は解決したのでしょうか?

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  16. to タケイチさん
    情報早いですね。
    さすが一族ネットワーク。
    あとのコメントをどうぞって、もう見たでしょ(笑)

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  17. そういえば、徳島大学付属図書館のデータベースで阿波藩家臣団の系譜史料を自由に見られます。
    他家の系譜も見られるので、検索すると結構楽しめますよ。
    ただ、くずし字が読めない私にとって、ほとんど暗号に近いですけど(笑)

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    1. タケイチさま

      たびたび失礼します。
      実はこのデータ、私も最近知って調べていたところです。
      蜂須賀家には、かなりの「河野家」の子孫が士官していたようですね。

      「折敷三文字」の家紋を使用している家を調べたところでは、
      河野、武市をはじめ、有岡、陶山、宮本、木村、広田の各家が該当していました。

      私も古文書はちんぷんかんぷんです・・・(笑)

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    2. そうなんですよ。春日局が結婚してた稲葉家も同じ家紋ですよね。みんなたどり着くとこは河野家なんだと思いますよ。子孫は末広がりにいっぱいいるから、面白いですよね。

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  18. はじめまして、岐阜県に住むマサといいます。
    たまたま先祖のことで 色々検索していたら ここに辿り着きました。
    私の母が旧姓武市で、何年か前に 徳島の方へ 祖母や母の兄弟そして川辺町の武市の先祖が建てたとしてる金昌寺の住職達が行ってきたという話を聞いてました。
    まぁ 私は外孫なので詳しく知らないのですが 川辺町の方の家系図は 江戸か明治か
    それくらいに 火事があり家系図も燃えてしまったとのことです。

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    1. お返事遅くなりまして申し訳ありません。
      ご先祖の事って言うのは気になるもんですね。
      それにしても川辺町の家系図が燃えてしまったというのはいかにも惜しいですね。
      岐阜に移った経緯とかも分れば面白いんでしょうが。
      また、機会があれば徳島へもおいでて下さい。

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  19. このコメントを初めてみました。武市大明神が二つあるんですね。写真の場所のすぐ南に武市という姓ばかりの集落があります。そして、その真ん中にその神社はあります。昔から鳥居さんがあり、昔ながらの神舎です。その神社はよくわかりませんが60年以上前から毎年、その集落の人が集まって祭祀を行っています。そして、そのいわれは殆ど同じだと聞いています。いつ頃、写真の神社はできたのでしょうね。60年前にはブロックの囲み、建物もなかったと、近くの80代の人に聞いたことがあります。しかし、いろいろな歴史的ないわれなどに興味を持つ人というのは多いようですね。
    PS 投稿するのが難しいのでうんざり。方法がよくわかりません。

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  20. いろいろ興味深いことが書かれていて、楽しく読ませていただきました。実際に、二つの武市大明神を見ましたが、南の集落にある大明神は古くて江戸時代からあるみたいですね。上記の写真の大明神は近くの人に聞くと、すぐ近くの家の老人が五十年くらい前に自費で建てたと言っていました。
    何となく、何かおかしいと思いました。それに写真の大明神に武市常三の墓があったことも。近くの人に聞くと、武市常三の墓は徳島市の寺町にあると言っていたからです。それで、暇だったし、興味本意でその寺に行ってみました。確かに、そこに常三、子、孫の墓がありました。見て驚いたことは、墓に彫られた家紋です。上記の写真の大明神にあった家紋と違っていました。聞くと、[子持ち角切り三]
    という家紋でした。この家紋は南の集落に住む武市の家紋のようです。これってどういうことなんでしょうか。知っている人はいたら教えてほしいと思います。

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    1. 寺町の武市家墓所はまだご参拝はしておりませんが、武市家の家紋は伊予河野氏の折敷三文字ですので、上写真の家紋で間違いないと思いますよ。
      子持ち云々ということなので枠線の有無だけの違いなんでしょうか?

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    2. ありがとうございました。私も少し興味をもって考えただけなので、何が本当なのかわかりません。つまり、結論から言えば、上記の写真の大明神は同じ愛媛県から来た武市姓であっても、武市常三とは関係がないグループの武市だということでしょうか。





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