バカヤロー年度末!!
でも、当てつけみたいに書くんだもんね。もうヤケクソ。
矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ、べらぼうめぇ。
という訳で(おっと)先の御所神社の後に行ったのが
香川県東かがわ市水主「水主神社」。
場所はここ。
より大きな地図で 水主神社 を表示
有名な神社だしみんながブログでいっぱい書いてるので目新しくもないでしょうが
ちっとばかし重箱の隅をつつかせて下さいませませ。
水主神社(延喜式内社)
御祭神 倭迹々日百襲姫命(日本書紀)
夜麻登々母々曽毘売命(古事記)
◎倭迹々日百襲姫命
奈良県黒田慮戸(現在の奈良県磯城郡田原本町黒田)に居を定 める。
御年七才より黒田を出、八才にて水主宮内に着き給う。
成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆成し水徳自在の 神と称へられ
奈良時代にはすでに神社形成をなしていた。
◎水主三山(熊野三社)
山嶽信仰 増吽僧正が遷宮すると伝えられる。
● 新宮神社(虎丸山)御祭神 伊邪那美命(国生冥界との深き神)
● 本宮神社(本宮山)御祭神 早玉男命(禊祓を司どる神)
● 那智神社(那智山)御祭神 事解男命(龍神(水)・食物豊穣司どる神)
◎水神社 御祭神 水波女命(井戸を司どる神)
◎水主神社別当寺 大水寺(開基は不詳)
水徳山宝珠院神宮寺、寛文年中に大水寺と改める。
本尊は、 阿弥陀如来(円光寺へ)
不動明王、二童子(与田寺へ)
十一面観音(坂手・観音寺へ)
● 江戸末期まで、神仏混合 ● 明治元年三月、神仏分離令
● 明治二年二月二十五日、正式に廃寺となる。
◎伝教大師 最澄(七六七~八二二)
延歴九年(24才の時)水主神社・大水寺に参籠する。
比叡山延暦寺創建す。(22才の時)天台宗
◎弘法大師 空海(七七四~八三五)
水主神社境内地に於て閼伽井水を掘り水主神社に奉献する。
高野山金剛峰寺・善通寺・真言宗 (現在の閼伽の井戸)
境内案内より
水主神社
弥生時代後期、女王卑弥呼の死後、再び争乱が繰り返 され、水主神社の祭神倭迹々日百襲姫命は、この争乱を 避けて、この地に来られたと伝えられています。
姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々 のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを 助けたといわれています。
境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは 縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され、 山上には姫の御陵といわれる古墳もあり、宝蔵庫には多 くの文化財が納められています。社殿はすべて春日造り で統一されており、社領を示す立石は大内・白鳥町内に 今も残っています。
與田寺へ向う途中の弘海寺付近には昔有名な「石風呂」 があり、宿屋が栄え、「チンチン同しに髪結うて、水主 のお寺へ参らんか。」とこどもたちが歌ったほどにぎや かな土地でありました。
境内案内より
で、御祭神の倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
ですが、孝霊天皇の皇女です。
『日本書紀』では、母は、倭国香媛(やまとのくにかひめ)。
同母兄弟に、倭迹迹稚屋姫命、彦五十狭芹彦命らが、異母兄弟に孝元天皇がいる。
『古事記』では夜麻登登母母曾毘売命。同母兄弟に日子刺肩別命、比古伊佐勢理毘古命
倭飛羽矢若屋比売がいる。
wikipedia
また
倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。箸墓古墳は、彼女の墓と伝わる。
ともありますが。
まずは
これも神社の看板にありましたが本社の右脇に「神陵」ってありますよね。
「神陵」。誰の?
これが「神陵」です。陵(みささぎ)はお墓のこと。
一般的には天皇・皇族の墓のうち、天皇・皇后・太皇太后・皇太后のものを
陵(みささぎ・りょう)、それ以外の皇太子や親王などの皇族のものを
墓(はか・ぼ)と呼ぶそうですので。
では、誰の?御祭神のでしょう。
そして神陵の祠を覗いてみれば。
見たこと無いですか?
複数の七福神。ここでは大黒天かな?
ボクのブログでも紹介したことがあります。
七代孝霊天皇の第二子日子刺肩別尊を祀る天佐自能和気(あまのさじのわけ)神社裏
の祠。
八倉比売神社の摂社「山神社 」祠
続いて
見にくいかな。五角形の「地神塔」ですね。
阿波と讃岐の一部にしかない地神塔。基本的には阿波起源のものです。
由来の神廟があるのでしょうか。
そして水主神社には2種類の大般若経が伝来しています。
ひとつは内陣(ないじん)に安置されていたといわれるもので、国指定重要文化財となっている。すでに公刊されているが、経函の墨書には「箱ノマハリノ木ハ皆阿州吉井ノ木工ミ成法之助成也」とあり(『大内町史』上巻、大内町、1985年)、現在の阿南市吉井町・熊谷町方面との交流がうかがえる。他のひとつが、外陣(げじん)に安置されていたといわれる。未だ奥書の全体は紹介されていない。
この「他の一つ」の大般若経奥書に「阿波州海部郡薩摩郷」という記載があるということです。
奈良市平城宮跡から出土した8世紀の木簡にも「阿波国那賀郡薩麻駅」という駅名があります。
阿波に薩摩があったんですね。
のらねこ大師匠も「徳島 那賀町の興味深い地名」で那賀町の「薩摩」について
書いております。
地図で見れば
どうです、「長門」「近江」「加賀」「薩摩」。
これが近年付けられた地名ではなく、和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)
承平年間(931年 - 938年)以前からの地名なのです。
薩摩って九州の中では一番最後に名付けられた国ですし、下手したら、本家「薩摩」より
古いかもしれませんぜ。
ということはどちらが本家か?
ということが「水主神社」の大般若経から読めるんです。
そしてこの大般若経、全体のうち80巻までが、1398~99年(応永5~6)に
阿波国海部郡薩摩郷八幡宮に奉納されております。
さて
まずはここまで、まだ続きますぜ。
明日は無理かもしんないけど。
とにかくオヤジは疲れるんですわ。
お疲れ様・・・。
返信削除私も大変お疲れ気味です・・・(笑)!!
忙しいと・・・よけいに書きたくなったりして・・・。
早く4月になって欲しいです!!
無理をしないでくださいネ♪
(*^。^*)♪
お疲れ様~
返信削除今月はすごいペースの更新ですな
水主神社はイロイロとアル神社だから、今回も三部作かな?
ってことは・・・毎日更新すれば3月中に完結ですな!!(おいおい)
お体 ご自愛しながら、適度に更新してください
寝込まれて更新なくなるとオレの楽しみが・・・w
お疲れ様です。
返信削除年度末はみんな忙しいのですね。
お体ご自愛下さい。でもブログはなるべく書いてくださいね(笑)
那賀町のあの地名は、そんなに古いのですか?
薩摩と牟岐以外は新しいと思っていたので、うれしいです。
to すえドンさん
返信削除ホントにお疲れで〜す(涙)
で、仰るように忙しいと書きたくなります。
テストの前の日に部屋の模様替えをしたくなるようなもんですかね。
to たろさん
返信削除疲れてます〜(笑)
そっすね。いつの間にか今月は書いてしまいましてねぇ。
やっぱ呪いのせいですかね(笑)
水主神社、次は凄いっすよ(ウソウソ)。
でも後2回くらいかな。
to サクラサク4869さん
返信削除業種とか会社の決算時期にもよるんでしょうけどね。
とにかく忙しいです。
>でもブログはなるべく書いてくださいね(笑)
そうきましたか。
で、那賀の薩摩は記事の伝で言えば8世紀頃、西暦七百何十年かのころには
「すでに」あったということですね。
それと水主と阿南とがかかわり合っていたことも驚かされます。
「箱ノマハリノ木ハ皆阿州吉井ノ木工ミ成法之助成也」の段ですね。
ぐーたらさん、ご無沙汰しています。水主神社やっぱりすごい所ですね。
返信削除でも、何よりびっくりしたのが、大般若経が伝来しているということ。
実は、今日ある場所にあった大般若経を読み、その内容を知りました。それは大山祇神社と十六皇子に関係するお寺なのですが、その後、更に大山祇神の新たなことを発見しもう前身鳥肌でした。。。。そして、なんとなくこのブログを開いて更にびっくり!今日は、何が何だか自分でもよくわからくらいすごい一日になりました。ぐーたらさんとは一度いろいろお話してみたいです。すみません。支離滅裂な文章になってしまいました。失礼しました。。。
to 愛姫さん
返信削除すんません、コメ遅くなりました。
ご無沙汰です。
なんか、よく分んないですけど(笑)大発見のようで
ブログの方で書いてみて下さい、ゆっくり読ませていただきます。
水主神社が凄いというのは同感です。
一度お話ししてみたいと言うのも同感です(笑)
またおいで下さいませ。
ぐーたらさん、今回の内容はブログには載せれないかもなのです。繊細というかデリケートな問題といいますか。。もしかしたらなんだそんなことと言われるかもしれませんが。。。。
削除to 愛姫さん
返信削除それは残念。
また私信の形でも、ちょびっとだけでも聞かせて下さいね。
了解です^^
削除五角形の地神塔は一部ではなく広範囲にあります。
返信削除情報ありがとうございます。
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