2012年1月15日日曜日

竹取物語に関する備忘録

お正月以来、いよいよ書くことが無くなって来たのでおとぎ話でも紹介しましょうってね。
え〜と「竹取物語」って知ってますか?(笑)


昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは竹を切ってかごやざるを作って暮らしていました。
ある日のことです。いつものように竹林に行くと、光っている竹が一本ありました。切ってみると何と女の赤ん坊が入っていました。おじいさんとおばあさんには子供がなかったので「かぐや姫」と名づけて育てることにしました。それからというもの竹を切りに行く度に、おじいさんは竹の中にお金を見つけお金持ちになりました。


原文に近い形で紹介すれば

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに 使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋あ りける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる 人、いとうつくしうてゐたり。翁、言ふやう、「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におは するにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて、家へ持ちて 来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。




成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、写本は室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古といわれ、完本では安土桃山時代の天正20年(1592年)の奥付を有する「武藤本」が最古といわれる。しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名で書き改められたと考えられている。  wikipediaより

藤原不比等がモデルとなった「庫持皇子」が現れている所から「平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半」というのが妥当な線でしょう。

で、万葉集 巻十六の第三七九一歌の題詞として「竹取翁」について長歌が読まれております。(下記「題詞」参照)
[題詞]昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸T徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌]


で、この竹取物語にでてくる「かぐや姫」これもモデルがありまして、無論いくつも説はありますが、その一つに、垂仁天皇妃である迦具夜比売(かぐやひめ)が挙げられます。
この迦具夜比売命、大筒木垂根王の娘で垂仁妃となり袁那辨王を生んだとされますが、大筒木垂根王は開化天皇の孫、その兄弟が「讃岐垂根王」、物語の「竹取の翁」こと「さぬきの造」と妙に符合してしまうんですね。

さて、ここらの関係はややこしいんですが(間違ってたら教えてね)
開化天皇の皇后は物部氏の祖である伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。
古事記では伊迦賀色許売命と書かれますが(もう書きたいこと分った?)
この伊迦賀色許売命を祀る「いかがし」の名のつく「式内社」は全国でただ一つ
川島町の伊加加志神社だけなのです。

御祭神は
伊加賀色許売命、伊加賀色許雄命、天照大御神となっております。
写真は伊加加志神社(いつの間にか行ってるのよ)
字「大明神」に鎮座しております。
古の洪水前には川島中学校近くの「伊賀々志」の地にあったそうです。


つまり何が言いたいのかといえば
迦具夜比売(かぐやひめ)は伊迦賀色許売命のひ孫。
叔父は「讃岐垂根王」。
どこに住んでたんでしょうね?

もちろん、「竹取物語」のお話の事なんで、これでどうこう言う訳じゃないんですが
ちょっと面白いでしょ。
また、迦具夜比売(かぐやひめ)を神功皇后に比定する説もあります。
で、神功皇后の名は息長帯日売とされるが、これは諡名で、実名はカグヤヒメとの説も
紹介しておきます。
ややこしいでしょ。
神功皇后は山城国にすんでいたそうですが、阿波に山城があったりするのも余談です(笑)

ま、今回は備忘録なんでこの辺りにしておきます。
だって神功皇后とか息長氏の事を書き出したらきりがないもの。


あ、もひとつ備忘録なんで

聖徳太子の祖母、即ち用明天皇の母后は、「かぐや姫」と伝承される。
ってのも書いておきます。
聖徳太子の住んでた上宮ってどこだったんだろな。

文字ばっかりで御退屈様でした。

6 件のコメント:

  1. 昨日はお世話になりました‼ (^O^☆♪2012年1月15日 22:43

    ぐーたらさん、こんばんは!
    今日は偶然にも伊加加志神社に参拝したところなんです。( ̄▽ ̄)(ニヤリ…)
    まさかこんなエピソードがあったとは驚きです!
    今日は伊加加志神社の場所がわからず、西にある八幡神社で地元のおばあちゃんに「伊加加志神社って知りませんか?」と聞いたが最後、20分くらい世間話に付き合わされ、なぜか長楽寺までの案内を3回ほど聞いたあと、結局知らないとの事でお礼も早々に済ませやっと自力で辿り着きました。
    結果、長楽寺の横にあったんですけどね…。
    そんなこんなで色んな阿波の魅力?に取り憑かれ当分、阿波の神社巡りは止められそうにありません。
    それではまた。
    どーでもいい話を長文ですいませんでした。m(_ _)m

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  2. to きよっさん
    今回のは自分ではちょっと物足りない感じです。
    大筒木垂根王から始めて奈良の讃岐神社についても書きたかったし。
    (奈良の讃岐神社を竹取物語の舞台にしてることについてね(笑))
    また伊迦賀色許売(いかがしこめ)の命の父親は、穂積の臣等の祖先、内色許男(うつしひこ)の命
    で、伊迦賀色許売命は孝元天皇の后となったことも書きたかったのですね。
    ここは伊賀々志の地で伊加加志一族が住んでいて、孝元天皇の后がおいでませることが
    どういうことなのか、簡単ですよね(笑)

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  3. まだまだ勉強不足…。。・゜・(ノД`)・゜・。2012年1月16日 22:49

    ぐ、ぐーたらさん、こんばんは。

    アタマノナカガパニックデス!
    ぐーたらさんが一休さんに無理難題のとんちをけしかける足利義満に見えてきました…。(笑)

    とにかく阿波に欠史八代天皇が存在していたということ、穂積の臣の一族が川島町に存在していると言うことで簡単と言われた謎掛けの解答として勘弁してくれませんかね。(苦笑)
    ギブアップ…。(´Д` )

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  4. to きよっさん

    (ΦωΦ)ふふふ・・・・

    (意味なし)

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  5. サクラサク48692012年1月20日 16:31

    ぐーたらさん、こんにちは。
    かぐや姫の話からでも、ぐーたらさんにかかればこうなるんですね。
    大筒木垂根の王のおばあちゃんが「竹野比売」っていうのは、何も関係ないのでショか。
    「竹」だけですけれども・・・(早口言葉みたい(笑))

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  6. to サクラサク4869さん
    ま、要は「伊加加志神社」の事を書きたかったんですね(笑)
    「開化天皇の孫に「讃岐垂根王」って人がいてその姪の「迦具夜比売命」って人が、垂仁天皇の后になってる 」
    ってのも知ってたので引っ付けてはみましたが。
    >大筒木垂根の王のおばあちゃんが「竹野比売」っていうのは、何も関係ないのでショか。
    あるかもしれませんね。
    物語なんで、どうにでも意味を持たせられますので、何かの意図があるのかも。

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