tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post7664610357908140745..comments2024-02-27T03:02:49.317+09:00Comments on ぐーたら気延日記(重箱の隅): 石井町国実 武市神社ぐーたらhttp://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comBlogger54125tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-79509150110948716402022-10-21T07:44:33.049+09:002022-10-21T07:44:33.049+09:00大阪の武市さんが言っていた南の集落の西にある野神さんをみてきました。確かにいい感じの野神さんですね。...大阪の武市さんが言っていた南の集落の西にある野神さんをみてきました。確かにいい感じの野神さんですね。鳥居には大正11年と彫られていました。聞くと、この野神さんにも当家がローテーションで決まっていて、毎年幟が上がるようです。<br />さて、ついでに久しぶりに南の集落の中心にある武市大明神を見てきましたが、22日がお祭りみたいで幟が立てられていました。幟には大きな字で「武市大明神と」書かれていました。興味のある人は22日の午前中に神事が行われ、済むとすぐかたずけると聞きましたので、見に行くのもいいかもしれませんね。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-46666536539815322402022-10-12T21:55:44.084+09:002022-10-12T21:55:44.084+09:00大阪の武市さん、ありがとうございました。大阪の武市さん、ありがとうございました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-9777880255808624722022-10-12T09:19:36.805+09:002022-10-12T09:19:36.805+09:00大阪の武市です「石が語る阿波」は1956年に徳島新聞社が出版した書籍で徳島新聞に読み物として掲載され...大阪の武市です「石が語る阿波」は1956年に徳島新聞社が出版した書籍で徳島新聞に読み物として掲載された記事をまとめたもののようです。様々な「石」にまつわる物語が掲載されておりその記事の一つが「徳島城を築いた武市常三」であり、「武市大明神」の写真が掲載されているのです。新聞社が出した本だけあって、精度よく取材されていると思います。写真の背景と現場を見比べようと思ったのですが台風で天候が悪く断念して帰ってきました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-60823703807118983912022-10-03T23:13:35.368+09:002022-10-03T23:13:35.368+09:00大阪の武市さん、教えてください。文章の中に、「石が語る阿波」というのがあるのですが、どのような本です...大阪の武市さん、教えてください。文章の中に、「石が語る阿波」というのがあるのですが、どのような本ですか。その中に「武市神社」という言葉が載っているのですか。初めて知りました。大阪の武市さんはいろいろ詳しいのですね。歴史を研究しているのですか。<br />聞いた話ですが、参考になればと思い書いてみました。南の武市大明神の近くには他に三つの大明神があるようです。名前は、中村大明神、田村大明神、船戸大明神と言うようです。もし興味があれば、調べてみてください。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-45488407323270987452022-09-27T23:15:50.379+09:002022-09-27T23:15:50.379+09:00大阪の武市さん、行動力がありますね。。すばらしい。灯籠が解体されていたのは聞いた話では、亡くなった長...大阪の武市さん、行動力がありますね。。すばらしい。灯籠が解体されていたのは聞いた話では、亡くなった長老に、この灯籠は南の集落にある武市大明神の灯籠と違うのかな、と南の集落の武市さんが言った途端、解体したらしいですよ。灯籠の傘の部分にある紋が長老の集落(3軒)家紋ではなく、南の集落の武市の家紋ですもんね。<br />ところで、もったいなかったですね。時間があれば、南の集落の武市大明神を見てほしかったですね。南の大明神の鳥居には江戸時代の文政◯◯と言う文字が彫られていますよ。<br />自分も乗りかかった船で、岐阜に友人がいるので、川辺町へ行ってみようかなと少し思ってきました。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-52760616896469878382022-09-23T19:38:05.104+09:002022-09-23T19:38:05.104+09:00ぐーたらさん、皆さんこんにちは。武市大明神にお詣りしてきました。
灯篭は地震で倒壊したのでしょうか、...ぐーたらさん、皆さんこんにちは。武市大明神にお詣りしてきました。<br />灯篭は地震で倒壊したのでしょうか、パーツごとに置いてありました。<br />本体側面には太田忠介(何某)と読めました。忠介の下の文字は風化が進んでいて読めなかったです。<br />「徳島藩士譜」によると、太田忠介(助)信昆さんは、「太田彦兵衛養子となり後武市常三信昆名跡相続仰せつけられる」とありました。<br />代々太田忠介(何某)さんは、4名いらっしゃるようなので、このなかのどなたかが奉納なさったものでしょうか。<br />また、南の住宅街にある、鳥居のある神社と西にある石の祠も訪れました。<br />徳島駅から鉄道で下浦駅に降り立ち、台風の接近を気にしながらの訪問で、私の計画が悪く、滞在時間はそれぞれ数分でした。また時間を作って訪問したいと思います。<br />「石が語る阿波」誌のP257に掲載されている写真の祠は、西にある祠のほうがイメージが近いと感じていたため、この祠が「石が語る阿波」誌に記載されている「武市神社」ではないかと一人勝手に感じていました。「ぽつんと十坪くらいの敷地」との記載もその理由のひとつです。写真の背景の山の形と実際の風景とを比べてみたかったのですが、台風の接近で遠方は全く見えず、でした。以上は私の勝手な想像なのでスルーしてください。<br />以上、乱文乱筆すみませんでした。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-83996856163233275822022-09-14T23:32:18.349+09:002022-09-14T23:32:18.349+09:00川辺町の武市様、こんにちは。「広報かわべ No.257 1990年12月号」
https://www...川辺町の武市様、こんにちは。「広報かわべ No.257 1990年12月号」<br />https://www.kawabe-gifu.jp/wp-content/uploads/2015/09/199012_257.pdf<br />の記事を読ませていただきました。情報ありがとうございました。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-68836923498118392842022-09-01T23:30:50.129+09:002022-09-01T23:30:50.129+09:00今日は、久しぶりにこのサイトを開いてみました。少し前、聞いたのですが、徳島県で三好長慶の研究をしてい...今日は、久しぶりにこのサイトを開いてみました。少し前、聞いたのですが、徳島県で三好長慶の研究をしていて、ドラマ化を進めているという泉さんという方がきて、南にある江戸時代初期に造られたと思う武市大明神を参拝したと聞きました。どうしてきたのか聞いたところ、南の集落に知り合いがいて、武市大明神がもう一つあることを知りきたそうです。その知人の家はこの辺りで多分一番古い家で、家系図など古い資料があるらしいです。泉さんは北の武市という長老から南の集落に北より古い武市大明神があることを教えてもらっていなかったと言っていました。存在に少し驚いていたそうです。長老はどうして教えなかったのでしょうね。少し前、石井町の有線テレビで武市常三について、根津さんという人が「ふるさとの歴史を、、、」という会に講師として呼ばれ話をしていました。泉さんの知人は一度、根津さんに会って、家にある資料を見てほしいと言っていました。泉さんは三好長慶のドラマ化で忙しいらしいです。最後に、岐阜の方の話の中で徳島に一度来たいと書いてありましたが、きた時は南の集落の武市大明神を見たらいいと思います。北の大明神よりかは、重みがあると思いますよ。そして、南の集落で一番古い武市さんという家に行くのもいいかもしれません。ひょっとしたら、古い資料などを見せてくれるかもしれません。ぐーたらさんも一緒に行けばいいかもしれませんね。ただし、連絡をして、会ってもいいと言ってくれたらね。<br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-70214662182285470952022-08-04T22:22:39.992+09:002022-08-04T22:22:39.992+09:00あ、ホントですね。あ、ホントですね。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-88899991885266474682022-08-04T08:10:06.720+09:002022-08-04T08:10:06.720+09:00こんにちは、バスのフロントガラスに団体名がありました。「石井町ふる里の歴史を学ぶ会」の皆様のようです...こんにちは、バスのフロントガラスに団体名がありました。「石井町ふる里の歴史を学ぶ会」の皆様のようです。石井は地元の歴史に関心がある方が多いようですね。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-53907080384336961142022-08-03T21:17:26.916+09:002022-08-03T21:17:26.916+09:00見ました見ました。
えらいことになってますね。
ただ、Ishii kanko bus
って見えるの...見ました見ました。<br />えらいことになってますね。<br />
ただ、Ishii kanko bus
って見えるので地元の方ですかね。<br />
あるいは 法事とか
だったのかも
。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-2568185090377697022022-08-03T19:10:03.571+09:002022-08-03T19:10:03.571+09:00皆さん、こんにちは。久しぶりにGoogleMapを見ていたら、武市大明神前の道がストリートビューに加...皆さん、こんにちは。久しぶりにGoogleMapを見ていたら、武市大明神前の道がストリートビューに加わっていました。しかも、大勢の方が見学なさっているのです。近くには観光バスらしきものも止まっています。ちょっと驚きました。<br />https://goo.gl/maps/6E9sHJWNQtMgibMk9大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-82057434043453304292022-05-11T23:23:21.301+09:002022-05-11T23:23:21.301+09:00ぐーたら様 さっそくのご返信ありがとうございます。訪問の計画を立てたいと思います。具体的になりました...ぐーたら様 さっそくのご返信ありがとうございます。訪問の計画を立てたいと思います。具体的になりましたらまた書き込みさせていただきますね。どうぞ宜しくお願い致します。<br />Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-13265618283804405992022-05-10T21:14:23.206+09:002022-05-10T21:14:23.206+09:00貴重な情報ありがとうございます。
ぜひ一度お越し下さい。貴重な情報ありがとうございます。<br />ぜひ一度お越し下さい。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-39183384539135883442022-05-09T23:45:01.892+09:002022-05-09T23:45:01.892+09:00川辺町の武市と申します。ここに書かれている400年ぶりの子孫対面は川辺町の武市家の菩提寺で行われ、当...川辺町の武市と申します。ここに書かれている400年ぶりの子孫対面は川辺町の武市家の菩提寺で行われ、当時の記事が町報に残されています。自分自身は徳島に行ったことがないこともあり、コロナ感染が一段落したいま、訪問してみたいと思っているところです。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-23182534209965566522022-01-01T23:20:41.476+09:002022-01-01T23:20:41.476+09:00久しぶり。暇だったので、覗いてみました。さびしいですね。想像力豊かな人はいないのかな。期待していたの...久しぶり。暇だったので、覗いてみました。さびしいですね。想像力豊かな人はいないのかな。期待していたのに。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-43318840303247036612021-02-07T21:40:18.667+09:002021-02-07T21:40:18.667+09:00よ~さく様。コメントありがとうございます。先祖は「名東郡北新居村」から分家して今の土地に来ました。そ...よ~さく様。コメントありがとうございます。先祖は「名東郡北新居村」から分家して今の土地に来ました。その際に家紋を変えた可能性もあるのですね。色々と調べていきたいと思います。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-77764207105107683222021-02-07T21:30:31.211+09:002021-02-07T21:30:31.211+09:00ぐーたら様。温かい言葉を下さりありがとうございます。うちの宗派も大阪では比較的少ない真言宗であるとい...ぐーたら様。温かい言葉を下さりありがとうございます。うちの宗派も大阪では比較的少ない真言宗であるというのもあって、いつか徳島を訪れてみたいと思ってきました。新型コロナウイルスが収まるよう祈る日々です。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-33822045838060692362021-02-07T17:20:51.216+09:002021-02-07T17:20:51.216+09:00回答ありがとございました(^^)。回答ありがとございました(^^)。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-63386924255531856132021-02-07T17:20:04.562+09:002021-02-07T17:20:04.562+09:00初めまして。
新居村なら昭和27年に新居町になってますので、それ以前でしょうか。
折敷三文字について...初めまして。<br />新居村なら昭和27年に新居町になってますので、それ以前でしょうか。<br />折敷三文字については、よ〜さくさんが下でコメントしていただいてます。<br />ぜひとも一度おいでくださいませ。<br />日程が合えばご案内いたします。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-58964265499273129612021-02-07T16:42:03.035+09:002021-02-07T16:42:03.035+09:00大阪の武市さん、横から失礼します。その家紋なら、1つ前の匿名さんのコメントにある「板野郡中原村 越智...大阪の武市さん、横から失礼します。その家紋なら、1つ前の匿名さんのコメントにある「板野郡中原村 越智姓 武市・・・」「阿波常三島 小千姓 武市・・・」の紋のようですね・・・ただし、分家は三の字体を変えていったと河野氏を調査した論文にありました。<br />よ~さくhttps://www.blogger.com/profile/00662529369646803351noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-21594375940677731822021-02-07T11:18:59.545+09:002021-02-07T11:18:59.545+09:00ぐーたら様、始めまして。大阪の武市と申すものです。「武市大明神」について興味深く読ませていただきまし...ぐーたら様、始めまして。大阪の武市と申すものです。「武市大明神」について興味深く読ませていただきました。私の先祖は徳島の新居村というところから大阪に移り住んできました。家紋も「折敷に三文字」なのですが三の字がゴシック体のようで、同じ大きさの長方形三つなんです。石井の武市家の皆様とは異なる一族だと思いますが、いつの日か武市大明神を訪れてみたいと思っています。はやく新型コロナウイルスが収束しますように。大阪の武市noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-62505677531283722342021-01-18T15:44:30.504+09:002021-01-18T15:44:30.504+09:00 ぐーたら様
ご無沙汰しています。
以前書き込みをしました何にでも興味を持って書きまくる匿名です。... ぐーたら様<br />ご無沙汰しています。<br />以前書き込みをしました何にでも興味を持って書きまくる匿名です。久しぶりに見ましたが、誰も書いていないので少し寂しい気持ちになりましたが、一年に一度この時期に聞いたこと、見たことなどを書いて楽しんでいる者として、今回もいろいろ想像し、思い出しながら、頑張って書いてみたいと思います。<br /> 一つ目は徳島新聞に武市常三について書かれた記事がありました。読んでみて本当によくわかりました。書いた人は徳島城博物館の根津寿夫という方です。わかったことは次の通りです。<br />① 美濃国 河辺郷の領主の三男 ②戦国大名 斎藤道三に仕え十五歳で初陣<br />③ 豊臣秀吉が丹波国で一万石を与え大名に取り立てようとした。<br />まとめとして、常三の人柄は、無欲で律儀な歴戦の勇者ということでした。いいですね~。<br />常三は本当に素晴らしい。こんな人物だから、みんな言いたいのでしょうね。自分は常三の子孫だと。わかります、その気持ち。<br /><br /> 二つ目は北の武市大明神の灯籠(現在はどうしてかわかりませんが、解体してあります。)の紋がおかしいのです。どうおかしいのかというと、その紋が南の武市の紋と同じだと言うことです。前回、南の大明神の灯籠が一つ行方不明と書きましたが、どうやらその無くなった灯籠ではないかと言うことです。長老が持って行ったという噂もありました。<br /><br /> 三つ目は南の集落で10月に行われる武市大明神祭の時に出して使われる紺色の幕に書かれている文字です。 「文政十一・・・・八月二十日」「板野郡中原村 越智姓 武市・・・」「阿波常三島 小千姓 武市・・・」よくわかりません。そばを通ったとき、ちょっと見ただけなので。興味のある人は調べてみてください。そして、何かわかったら、この日記に書いてほしいです。<br /><br /> 最後に、残念なことですが、長老の家で一人生活していた奥さんも、現在、介護施設に入っていると聞きました。子ども達が交互に家に来て掃除をし、奥さんが戻ってこれるようきれいにしているようです。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-43349860888037705792020-01-09T15:11:10.005+09:002020-01-09T15:11:10.005+09:00 その5
忘れていました。年末に寿量寺の近くを通ったので、久しぶりに寄ってみました。武市常三の墓地に... その5<br />忘れていました。年末に寿量寺の近くを通ったので、久しぶりに寄ってみました。武市常三の墓地に「太田家累代墓」と書かれた墓石がありました。これはどうなっているのかな。常三が太田家に婿養子に入ったのかな。でも、家紋は南の武市の家紋がついていたけど・・・・。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-69457452905291525842020-01-08T15:19:17.031+09:002020-01-08T15:19:17.031+09:00その4
最後に、少しいやなことを聞きました。それは北の大明神に教育委員会の石碑ができたくらいから、北...その4<br />最後に、少しいやなことを聞きました。それは北の大明神に教育委員会の石碑ができたくらいから、北の方で不幸なことが起こったというのです。長老の家も若い人から順になくなっていき、今は長老の奥さんだけ、(時々娘さんがきているようですが、)また近くの家では里帰りしていた人が自宅の庭に止めてあった車の中でなくなっていて、警察が来て大騒ぎになったと聞きました。常三が勝手にどこが本家とか子孫とかわからないのに決めるなといっているのかな。Anonymousnoreply@blogger.com