2012年1月22日日曜日

阿波國文庫について再び

ぶるぶる、寒いですねぇ。
まあ、本当なら旧正月まで冬なんで寒いのも当たり前ですか。
で、御霊(みたま)の冬ともいいますが、冬は「増ゆ」からきておりまして
何が増えるのかと言いますと、春に萌える生命を生み出す「御霊(みたま)」が
増えるんですね。ちなみに春はその生命が「張る」んです。

さて、またもやえらい前の記事の続きなんですが
「光慶図書館」と「阿波国文庫」で全国有数の集書を誇った「阿波国文庫」
について書いてみたんですが、この「阿波国文庫」昭和25年3月13日
天皇巡幸の「直前」火災により焼失いたしました。

ワタクシめがなぜにしつこく「阿波国文庫」を追っかけてるかと言いますと
「小杉榲邨」や「池辺真榛」らがどんな資料を基に国史の研究を進めていたかを
知りたいからなのです。
また「阿波國風土記」に関する手がかりもないかとも思っております。

で、ひとつ見つけたのが
>詳細な目録カードが編成せられ、神田喜一郎・長沢規矩也・川瀬一馬など
>新々の専門学者によって書誌学的に学会に紹介せられ、稀観本は漢籍
>二百六十六部・和書三百四十部・計六百六部を数えた。

このうちの「長沢規矩也」氏の手による
「阿波國文庫焼亡貴重書目録」
長沢規矩也氏は説明するまでもなく、日本トップクラスの書誌学者。
長沢漢和と呼ばれるほどの『新撰漢和辞典』を刊行し、以後も長く漢和辞典の編纂を行い
その後も明解漢和辞典 新版(三省堂1959)や大明解漢和辞典(三省堂1960)を著した方です。
阿波國文庫の目録は光慶図書館にも残ってなく、長沢規矩也氏による目録が唯一の
手がかりとなるようです。
この「阿波國文庫焼亡貴重書目録」残っていたのが、なんと「東北大学附属図書館」
無論「東北大学附属図書館」まで資料を請求した訳ではありません(笑)
徳島県立図書館にコピーがありました。
「それ」によれば
太平洋戦争の末期、昭和二十年六月館長岡島幹雄君の英断によって貴重本六百六十三冊と目録四冊を自ら荷車を引いて八万町長谷に疎開し、さらに十月これを名東郡佐那河内村嵯峨に運搬した(この段は羊我山人著「粟之抜穂」より)

ことによって戦災を免れた貴重図書は

戦災をまぬがれたものの、天覧に供すべく陳列準備をした日に館が全焼
(「阿波國文庫焼亡貴重書目録」前書きより)

したのです。
普通に疑えば(笑)天皇御覧の準備をしていた時に火災が発生するなど考えもできません。
昭和天皇の御前に供して都合の悪い書籍があったと考えるのが妥当でしょう。
それは漢籍ではないでしょう。類書、仏書でもないでしょう。
考えられるのは「国史」。
館を燃やさねばならなかったほどの書籍があったのでしょうか?
「国史」の部より一部を掲示いたします。 

さて、これは最初のページだけですが、この貴重本六百六十三冊と目録四冊中に
天皇御覧に供せなかった「何か」があったのでしょうか。
あったとしても、「それ」は今や烏有の闇の中に消えてしまいました。
あるいは蜂須賀家東京本邸書庫に残っていた「それ」が、今まだ東京神田どこかの古書店の棚の奥に眠っているのかも。
(ギィィィィ、バタン←ドアの閉まる音)



8 件のコメント:

  1. おはうございます♪
    火事で焼失なんて・・・(@_@;)!!
    焦げ臭ささが漂ってきました・・・!!
    どこかには、きっと残っているのでしようネ♪
    そう信じたいです(*^。^*)♪
    毎回ご苦労様です♪
    (●^o^●)♪

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  2. ふ~ん  結構、徳島って神秘的なのねん
    まぁ 内容とかはおバカなオレにはサッパリですがw
    ただのド田舎だと思ってましたが少し郷土を見直さねば・・・
    「邪馬台国は阿波だった」「ソロモン王墓は剣山」とか眉ツバ系ばかりかと思ってたのになぁ
    そのうち ぐーたらさんが吉野ヶ里遺跡発見者の七田忠志氏のような発見したりして♪

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  3. to すえドンさん
    そんなの多いですよね。
    盗難にあったとか、前日に火事になったとか。
    不思議なことばっかりです(笑)
    でも、ホントにどこかの古書店に眠ってたらいいな、と思います。

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  4. to たろさん
    ド田舎なのは最近になってから(笑)
    明治期には日本有数の大都市だったざんす。
    大阪には阿波座ってのこってるでしょ、阿波の藍商人の市場。
    お江戸(東京になっても)でも、えらい商売やってて、豪商が
    たっぷり寄付したんで、浅草、浅草寺の分院が阿波にやってきてます。
    (松茂町にあります)
    最後の徳島藩主の蜂須賀茂韶は公爵三條実美と組んで北海道に大農場を
    作ったりもしてます。
    いまの有様は最近になってからっすよ。
    あ、ボクは体力無いから大発見は無理かも(笑)

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  5. この「古訓古事記」は現存するどの写本とも違ったかもしれないですね。
    粟田道麻呂「神代記」、って、国宝級ですか?

    本当に消失したか現存するのかは、放火の首謀者しだいですね。
    ああ、読んでみたい。

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  6. babymama2012年1月24日 10:14

    ぐーたら先生、今年も拝読させていただきますね。
    よろしくお願いいたします。

    日本史が謎に包まれすぎて、私には、さっぱりわかりませんっ。
    何かの糸を掴みかけたか、と思えば、返り討ちで。
    (糸ではなくゴミかもしれませんが―っ!)

    消失やら焦げ跡、虫食い。
    ああ、出来すぎですねぇ。

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  7. to のらねこさん
    >この「古訓古事記」は現存するどの写本とも違ったかもしれないですね。
    どうして、そんなに面白いことを言うんですか。
    ワクワクするじゃないですか(笑)
    >粟田道麻呂「神代記」
    ごめんなさい画像が見にくかったですか。
    栗田土麻呂(満)の神代紀葦牙です、本居宣長の一派の方です。
    でも、その前に出てる「元秘抄」もモノによれば国宝級だったかも。

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  8. to babymamaさん
    こちらこそよろしくお願いします。
    これは戦後すぐの話なんです。
    つい最近、こんな面白い(あ、不謹慎)事件が起こってるんです。
    明治からこの頃にかけて、徳島はすっごく謎が多いんです。
    と同時に、文化、経済の中心でもあったんですがねぇ。
    今や........(涙)

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