さて「ぐーたら」の運命やいかに!ってか。
は、さておき今回は支離滅裂だぞ。
うん、やっぱし「歓喜天」だなあ。
阿王塚山歓喜天と言うようです。
で、早速なんですが、これが「亀山天皇陵跡」の塚と思われます。
ピンぼけでしょ。「阿王塚山歓喜天」で撮った半分以上の写真がこのようにピンぼけ
でしか写ってません。(これは冗談じゃないです)
それにしても「阿王塚」って何なんでしょうかねぇ。
いくつか考えられます。(ここから、支離滅裂)
一つは「阿王」は「倭王」ではないかということ。
もう一つ。
香川に東讃では神櫛王、西讃では武卵王のこととされている讃留霊王(さるれお)が
いましたが(ノラネコ大先生の「倭建命と讃留王」参照)
阿波の関連でそれに相当する名を持つものとして「阿久留王」が思い浮かびます。
これが千葉県の伝説なんですねえ、つまりは安房の国。
阿久留王が景行天皇の皇子の居城である高坂城を攻めたことに対し、天皇の命をうけた日本武尊はが東征軍を率いて安房攻め入り、阿久留王を倒したというものです。
忌部建国の安房、そこに伝わる「阿久留王」伝説、「阿波に久しく留まる王」ですよ。
通説では「悪路王」が転じたことになってますがねぇ。
安房の伝承「阿久留王」はこの近辺の話か?
証明、傍証等々一切ありません。
どちらも倭建命に関係してるところだけです。近くに白鳥神社があるのは書きましたよね。
で、傍証でもなんでもないんですが、地図を見てください。
水没地図。水面上昇5mで表示してみました、板野近辺です。
霊山寺、極楽寺、金泉寺、全て水際だったことが見えるでしょうか。
大麻比古神社は港の神だったことは皆様ご存知でしょうから今更ですよね。
倭建命が伝承の残る金泉寺近辺から東征するならばこのルートですか。
またこの付近の神社の御祭神に倭建命が多いのも事実です。
余談の余談になりますが、これ又のらねこ大先生のブログで高知の「桂浜」は「勝浦浜」
が転じたものとの記載がありましたが、もしかして、もしかしたら
「葛城(かつらぎ)」は「かつら城(かつらぎ)」→「勝浦城(かつらぎ)」か?
イコピコさんにもいわれましたが、ここらは建国に繋がった、大きな謎があるのは
間違いございません。
あ、もう一つだけ、「金泉寺」は板野町大寺地域全てと言えるほどの寺領を持つ
巨刹でございました。
と言う訳で、「ごめんなさい」訳が判らなくなったと思います。
自分でも支離滅裂な文章だと思いますので、今回のは忘れてしまいましょう。
おまけ
八万町近辺の水没地図5メートル上昇版
宅宮神社近辺まで海岸が迫ってるでしょ。
ぐーたら先生。おはようございます。(ぺこり)
返信削除今回の板野町亀山神社扁(上下)は本当に面白かったです。
かなりマニアックな取材と検証ですが、
真実味のあるお話しです。
なにしろこの地域の方々、今でも「古語」なまりが消えないでお使いになってる方々が、すこぶる多い。
地域みんなで「古語研究会」ってことはないでしょうし・・・。
つまり、我々が学んだ「古語」の多くは、この土地の普通の言語なんです。ってことは・・・。
京都や奈良に遊びに行って、「古語」なまりを聴くことは、そう多くないのですが、「板野」周辺は、明らかに「古語」使いが多いのも事実なんです。
でも、「悪路王」にされてしまう歴史のいたずらですよね。
お疲れさまでした~。勿論、傑作です。(勘違い)
to イコピコちゃん さん
返信削除ごめんなさいって言っときます。
細かい傍証がいっぱい、いっぱいあるのに全然書ききれてません。
それこそ、やりかけのジグソーパズルのピースをひっくり返しただけです。
葛城(かつらぎ)は勝浦城(かつらぎ)ではなかったかとか
板野近辺にどうも「伊勢」がありそうだとか、全ておきざりにして
しまいました。
もっと言えば上板の大山は大山祇ではないかとかあるんですが、風呂敷を
広げすぎるとロクなことになりませんので。
ちょっとづつ、書いて行きますね。
あせび温泉へ行く時に、よくこの「阿王塚」の看板を目にし、なんじゃらほい?と思っていました。
返信削除阿波の古代史は勉強したいことが多すぎて一筋縄ではいきませんね。
「細かい傍証」楽しみです。
あ~、早く読みたいなあ。
to のらねこ さん
返信削除「阿王塚」って字面からして意味深ですよね。
で、「はよ書け」「さっさと書け」とおっしゃるワケですね(笑)
それにしても、ホントにいくら時間があっても足りませんね。
(もっと時間があったらナンニモしないのは判ってるんですがね)
決まり文句ですが、ちょっとずつ書いて行きます(涙)
お久しぶりです。亀山神社と阿久留王とは大変面白いですね。
返信削除阿久留王に関しては、阿波国造祖、伊許保止命の孫にあたる伊甚国造、伊許呂止命=建許呂命ではないかと考えています。徳島のタケミナトミ神社の建美奈命=長国造家の人=本当の建御名方と諏訪上社の系譜を繋ぎ合わせ、弟武彦命から房総の阿波国造に系譜を繋げると、長国造が、阿波国造の祖、伊許保止命に綺麗に繋がります。更に、能登の伝承を合わせると、伊許保止命は伊が接頭語でカブト彦であり、伊許呂止命はコロト、あるいは建許呂命であることが分かります。建許呂命の一族は石城直を持ち、高国造=阿波国造同族ですから、建許呂命は、天津彦根命の家に養子に入ったものと見られます。阿久留王は畔蒜郡の地域の領主であったと考えられ、畔蒜郡=馬来田国造は、建許呂命の子がなっています。
阿は接頭語で、クル=コロ で音が通り古代の名前としてはよくある話です。
ちなみに、亀山神社は阿久留王とヤマトタケルが戦った地域にも鎮座していますね。
徳島の粟国造には、応神朝に千波足尼がなっていますね。千葉っぽい名前ですね。
ごぶさたです。
削除毎度、レベルの高いコメントありがとうございます。
>亀山神社と阿久留王とは大変面白いですね。
ありがとうございます。まあ、思いつきなんですけどね(笑)
>亀山神社は阿久留王とヤマトタケルが戦った地域にも鎮座していますね。
これは知りませんでした。関係がありそうで面白いですね。
また
>徳島の粟国造には、応神朝に千波足尼がなっていますね。千葉っぽい名前ですね。
千波足尼が千葉っぽいと言うのも何かありそうですね。