たまにはみんなでお出かけでも、ということで神戸市垂水区海岸町にある
三井アウトレットパーク マリンピア神戸に行ってきました。
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天気は快晴、家からでは神戸淡路鳴門自動車道を使ってノンストップなら2時間かからない
距離です。
やたら暑かったですけれど海沿いなので風もあり、この日はさほど人も多くなく、また
ここは店内通路の幅がゆったりしていて買い物がしやすい所です。
で、店内とか海岸付近をうろうろしていましたが
何かが足りない!
しばし瞑目して(こんなとこで瞑目するなよ)竜安寺の蹲(つくばい)に刻まれている
四文字を思い浮かべ考えておりました。
「吾唯足知」ではなく「不足(たらざる)」を知るべきであろう。
そしてポケットから取り出した、この近辺のGoogleEarth画像。
これは!
国道2号線と山陽電鉄本線をはさんで北側にあるこの巨大な建造物は何だ?
この位置関係ならば徒歩でも20分はかかるまい(なんでわかるんだ)。
「いや、いけない。そんなことは許されない」
との思いとは別にいつの間にか足は勝手に駆け出している。
「どこへ行くの」
「ええい、離せ!」
家族の手がつかんだシャツは破れ、足をつかまれた時に靴は脱げてしまったが
そんなことはものともせず走る、走る。
後ろでは
「どうして、どうしてなの」
との絶叫が快晴の青空に空しく吸い込まれていった。
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山陽電鉄本線の高架をくぐり住宅街の中を登っていくと、ぱっと視界が開けます。
五色塚古墳(ごしきづかこふん)
兵庫県下で最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、全長194メートル、高さは前方部11.5メートル、後円部18メートルです。造られた当時の様子に復元されており、表面にはコブシくらいの大きさの石(葺石(ふきいし))が223万個敷き詰められ、1メートルくらいの高さの筒型の埴輪(はにわ/円筒埴輪(えんとうはにわ))が2000個ほど並べられています。4世紀から5世紀にかけて造られたといわれていますが、墓の主が誰であるかは分かっていません。ただ、瀬戸内海の海上交通の重要地点である明石海峡を望む高台に造られていることから、神戸の西部から隣の明石にかけて相当大きな力を持っていた豪族(ごうぞく)の墓ではないかと思われます。
また、すぐ隣には、直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があり、五色塚古墳より少し古い時代に造られたと考えられています。
神戸市ホームページより
前方部分より後円部分を見上げてます。
なんといっても、とにかくキレイに整備されてるってことです。
下の写真は、逆に後円部分より前方を見ています。
先には明石海峡が。
その先には淡路、更に先には徳島が。
地図で見てみると阿南付近を向いているようです。
普通に考えれば、海峡一帯を支配していた豪族が威権を示した証
と行った所でしょう。
後円部分の上は広場になってます。
管理事務所のおばちゃんの話では、最近パワースポットなんたらかんたらで
やってくる若い女の子も結構いるそうです。
おおおおおおおおおお、やっぱ来るものが来た!ということでしょう。
ただ、この日だーれもいなかったのはなぜでしょう。
天は私を見放したのか!それともバチが当たったのか。
詳しいことはあちこちのサイトに載ってるので、これ以上は突っ込みませんが
発掘調査はいざしらず、これほどの整備が必要か?と、ちょっと微妙な感覚です。
無論保存は必要です。それともこんな保存事業をやっていない某県に対する僻かな。
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後のことは語る必要すらあるまい。
快晴の青空と心の闇。
人生を歩む行く末に幸あれ、と願う気持ちさえ失せる長い一日、暑い一日である。
おぉ~五色塚古墳だぁ\(^o^)/
返信削除いいなぁ・・・私も行ってみたいと思っているのですが・・・まだ行けておりません(;一_一)
うらやましい・・・(^◇^)♪
to すえドン さん
返信削除こんなこと言ってはいけないんでしょうけど
ちょっときれいに整備されすぎてる感じです。
県外の古墳、史跡ってそれが目的じゃないとなかなか行けませんよね。
この度は「偶然」にも近かったので寄ってみました。
地図を見ていて・・・「あっ!!」
返信削除今から30年以上になりますが・・・垂水の「ユースホステル」で、高校生の時に3連泊したことがあります♪
「五色塚古墳」のすぐ近くだったんだぁ・・・!!
当時は前は海でした(*^。^*)♪
to すえドン さん
返信削除京都の学校に行ってたんで、帰省する時にはバイクを使ってこの辺りもよく通りました。
南港からフェリーに乗ると3時間半もかかって嫌なので(船酔いする)
垂水か須磨まで走ってから淡路にわたるんです。
確かに30年前は埋め立て地なんてなくて、すぐ海だったように思います。
もっと目の前に淡路が迫ってました。
須磨の港もなんかぼろっちくてフェリーの待合所が汚くて、やだなあって思いながら乗船券を買ってました。