2012年5月6日日曜日

おーい、石井の武市さーん

何の事だか分らないでしょうが、高松のキタジマさんから
石井町国実 武市神社」にコメントをいただきました。
失礼とは存じますが、一部引用させていただきます。



>河野家のゆかりと思われる、
>折敷三文字の家紋がついた甲冑を譲りうけたのがきっかけで、河野家のことを調べているうち、
>こちらのブログに行き当たりました。

>石井町つながりでも奇遇ですが、さらに驚きなのが、

>問題の甲冑の家紋(折敷三文字で三の字が毛筆書体)と
>武市大明神の由緒書にある家紋がそっくりだったからです。
>甲冑の制作年が江戸中期頃なので、これまでは河野家諸流の稲葉家の関係と思っていましたが、
>出所が徳島なので、武市家の関係の可能性が大きくなってきました。

>ぜひ、ご子孫の方とコンタクトを取り、お話を伺ってみたいと強く思っています。
>現地に行って地元の方に聞けばよいのでしょうか?(もしくはご存じでしょうか)


ということなのです。
一応マップは大画面で載せておきます。
中央マークの武市大明神近辺は武市姓の方々が集まっている地域です。
先にコメントをいただいた「タケイチ」様
もしご覧になっていたら連絡くださいませ。


より大きな地図で 武市大明神 を表示


それと徳島の「河野家」関係で(もちろん伊予の河野家の系列として)何か情報を
お持ちの方、いらっしゃればご連絡ください。
ワタクシも鴨島に「河野」氏の知り合いがいるのですが、そんな話した事もなかった
ので、その辺りが不明なのです。

ホントにこのご近所の方、見てたらご連絡下さいませ。
すんません、ワタクシにできるのはこの程度かも。
もちろん、何か情報が入ればお知らせいたしますが。

20 件のコメント:

  1. 千葉県に現在住んでいますが、武市常三の子孫です。GWに帰郷し
    叔父に家系について聞きました。実家は既に有りませんが、石井町高原字関でした。河野姓と家紋は同じです。女性の家紋は菊の枝丸とのこと。

    返信削除
  2. to 匿名さん
    ご遠方から情報ありがとうございます。
    叔父様は石井のこの近辺なのでしょうか?
    高松のキタジマさんが訪問してもいいものでしょうか?
    よろしければ、再度ご連絡いただければ幸いです。
    コメント欄で都合が悪ければContactよりメールでも結構です。
    もちろん高松のキタジマさんと直接連絡が取れるのが
    一番なんですが。

    返信削除
  3. ぐーたらさんへ

    この度はお世話になります。
    上の匿名(武市家のご子孫)さんからレスあったのですね。。
    改めてインターネットってすごい!と感動しました。
    (ただアホな私、前の記事ばかり見ていて、この記事に本日気が付いた次第で・・
    またまた痛恨のニアミス?)

    なお、その後に何かご連絡はありましたでしょうか?
    もしないようでも、この土日に行って現地であたってみますので。

    しかし、この度は、私の投稿に対して、なんと1テーマ裂いてまで呼びかけていただき、
    本当に感謝しております。
    お礼になるかどうかわかりませんが、何かわかればこちらにご報告させていただきます。
    ありがとうございました。

    返信削除
    返信
    1. to キタジマさん
      それが残念ながら連絡は無いんですよ。
      マイナーなブログなんで見に来る機会が少ないのかも。
      連絡があれば、何か書きますので気長にお待ちください。
      あ、現地へは行ってみて下さいませ。
      一番早いと思いますので。
      知り合いの河野氏へも聞いては見たんですが、その河野氏
      祖先の事、あまり気にしない人でよく知らないとのこと(涙)
      でも、石井にも河野姓は多いようです。
      余談ですが、石井町では「久米」「武市」「武知」「遠藤」とかの
      姓が多いようです。ただ武知は木留近辺だけのようですが。

      何か分れば、ぜひご連絡ください。

      削除
    2. ぐーたらさん

      本日、武市大明神に行ってまいりました。
      おかげさまで、ご子孫の方にも出会え、いろいろなお話を伺えました。
      義父も同行したので、同じ町内に住んでいるということで、
      ローカル話題でも盛りがったりも・・・。

      ご子孫の方のお話の中で、特に興味深かったのは、
      主君の蜂須賀家がもともとキリシタンで、常三もキリシタンだったという話です。
      そのことが、後に幕府のお咎めを受け、孫にあたる三代目当主が処刑されるという
      非業の死を遂げたそうです。

      知られざる歴史秘話があるのですね・・・。

      それから、目的でした当方の鎧の家紋と、武市家家紋を比較することもできました。
      「三」の字体が若干違うだけで、非常に似ており、不思議な縁を感じました。

      ぐーたらさんのおかげで、今日は本当に有意義な1日を過ごせました。
      本当にありがとうございました。


      *別途、公開には支障あるかもしれないことも少しあり、
       コンタクトで詳細をお送りさせていただきました。

      削除
  4. おー、よかったですね。
    長老が対応してくれたようですね。

    石井町の堂学寺にキリシタン燈籠があります。
    キリシタン燈籠のことは知っていましたが、常三がキリシタンだったというのは初耳です。
    子孫ですけど・・・。(聞いてないぞー)
    なんで孫だかひ孫だかの時代にキリシタン燈籠?と思っていたので、驚きの発見です。

    高原関の武市さんは本家です。
    明治の頃に移住したと聞いていますよ。

    返信削除
    返信
    1. タケイチさん

      はじめまして。この度は長老様にはお世話になりました。
      突然の訪問にもかかわらず、ご夫婦で歓待していただき、感激いたしました。
      嫁の実家が同じ石井町で、これまた不思議なご縁を感じずにはいられません。

      問題でした、鎧の家紋の謎についてですが・・・
      江戸時代から伝わる「折敷三文字」がついた祭祀用のたれ幕を拝見し、
      「三」字体は少し違うものの非常に近いのに驚きました。
      また、鎧の仕様からわかることとして、
      ・大名まではいかないがかなり位が高い人物
      ・鎧の出所が徳島
      ・制作年代は江戸中期頃
      これらの条件からして、武市家のものであった可能性は十分あり、否定できない・・
      というところでしょうか。(たぶん永遠に特定はできないかも)

      長老様ご夫妻には良くしていただき、本当に感謝しております。
      「八本松の北島」がお礼を申していたと、よろしくお伝えください。
      (嫁の実家が八本松のほうなので・・・)

      削除
    2. 長老の所に行くように伝えたのがうちの父です。
      私はあいにく不在でした。
      武市家って最初はいいけど、途中からあんまり禄も高くなかったようだし、なんでだろって思ってました。謎が解けたような気がします。
      ありがとうございます。

      キリシタン灯籠は武市左馬之助という人が寄進しました。
      検索したら簡単に徳島新聞の記事にたどりつきますよ。

      削除
    3. 補足

      徳島城博物館の企画展(昔)で同じ家紋の火縄銃を見たことがあり、もしやうちのちゃうん?って思ったことが…

      物がいわれをしゃべってくれたらなと思いました(笑)

      削除
    4. タケイチさま

      あのトラクターに乗っていた方がお父様ですか!?
      いや~、これは絶対にご先祖様のお導きですね。

      新聞記事、読ませていただきました。
      武市左馬之助という人のことが、記事では不明みたいに書かれていましたが、
      きちんと由来書を書いておくべきでは、と思いました。

      それと、長老様が「鎧があったけどだいぶ前に売った」と言われてましたよ。
      もったいない・・・(+o+)
      火縄銃ももしや・・・聞かれてみては?

      削除
  5. to キタジマさん
    どうもお疲れさまでした。
    でも、こんな事があった日は高揚してて疲れなんか感じないですよね。
    多少なりともお役に立てたのなら、幸いです。

    >知られざる歴史秘話があるのですね・・・。

    なかなか表に出てこないお話ありがとうございます。
    すぐ上でコメントいただいた子孫の方も知らないんですから(笑笑笑)
    武市一族のみならず阿波史の深いところが伺えますね。
    また、面白そうな(失礼)お話がでてくれば、教えて下さい。
    こちらも楽しみにしています。

    返信削除
    返信
    1. ぐーたらさんへ

      いや~ホントに・・・、昨日は感激してしまい、興奮冷めやらぬって感じです。

      キリシタンの話は意外な話でしたが、当時はタブーだったので
      永くフタをされていたのでしょうね。
      タケイチさまご紹介の、石井町の堂学寺のキリシタン灯篭も、今度見に行こうと思います。

      また、何かわかればご報告させていただきます。

      削除
  6. to タケイチさん
    いや、ホントによかったです。
    でも一発で出会えたっていうのも凄いですね。
    一族の縁ってのを感じてしまいます。

    あと、一番上のコメントをいただいた千葉の匿名さんがもう一度
    連絡くれたりしたら面白いんですけどね(笑)

    そしたら、このブログ武市家の連絡用掲示板として明け渡しましょうか(笑)

    返信削除
    返信
    1. ぐーたらさん
      キタジマさん

      お世話になりました。
      興味をもっていただいて嬉しいです。
      ありがとうございます。

      削除
    2. 今晩は、千葉の武市です。多分国実に住まわれていた武市明さんが平成二年に作成した四百年記念写真集も我家にあります。系図・鏡の実物は叔父の家に有り、武市大明神を祭っています。武市左馬之助の燈籠のある場所は「童学寺」ですよ。誤字の指摘ですみません。武市一族のお会いできて良かったですね。

      削除
  7. 驚きました。すごいやり取りが載っていますね。私も少し武市大明神について聞いたことがあります。結論を言えば、武市大明神は2つあるということです。一つは写真の神社です。もう一つは写真の神社のすぐ南300メートルくらいにある神社です。この神社は鳥居があり、建物も60年以上たっています。そして、その間ずっと地元の人によって10月に祭祀が行われています。この神社のいわれも写真の神社のいわれとほとんど同じのようです。そして、その神社の周りはすべて武市姓です。地元の80歳くらいの方に聞いたことがあるのですが、写真の神社はもともとブロック塀がなく、建物もなかったと聞いています。何時できたのでしょうか?。地元でもっといろいろ聞いたほうがいいかもしれませんね。写真の神社は「武市常三の墓」とも書いてありましたが、常三の墓は徳島市寺町にある寺にあると聞きました。
    時間があれば、もっと詳しく調べたらどうですか。ただ言えるのは、このあたりの武市姓は常三の子孫であることは間違いないように思えますが・・・・。どこが、本筋の家系かというのは、いろいろ言っているようですが、実際はわからないというのが本当ではないでしょうか。実際にその時代に生きていた人はいないのだから。すいません、いろいろ勝手なことを書いてしまって。

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。
      武市大明神は2つあるのですか。
      確かに南西100メートルくらいのところに無銘の神社がありますが、そこのことでしょうか?
      南に300メートルだと国道付近まで行ってしまいます。
      どのあたりか詳しく教えていただければありがたく思います。

      削除
  8. そうだと思います。長老と呼ばれる方の家の付近には、その長老の家を含め、3件、武市姓があります。その100メートル南の集落は全部武市姓です。そのため、各々屋号で呼び合っています。その集落の真ん中にその神社はあります。長老宅の北の方にこの集落の新宅が数軒あるようです。南の集落ではこの神社があるので、この集落には今まで火事のような不幸はおこっていないというお年寄りがいます。昔は武市大明神といえば、この神社のことだったと思います。武市常三の家は3代で、徳島市の常三島宅を家来(名前、忘れた)に譲ったと嘘か本当か知りませんが、聞いたことがあります。もし調べて詳しいことが分かれば、私のほうが知りたいです。もし、機会があれば、南の集落のお年寄り何人かに聞けばいろいろ知っているかもしれませんね。
    ps 確認という画像が小さくてよくわからない。適当にいつも押しています。これを最後にしたいです。面倒なことはしたくありません

    返信削除
  9. 前回は、公開を押すと、訳のわからない写真がたくさん出てきて、イライラしてしまい、「PS」で愚痴ってしまいました。すいません。本当にもうここへ書き込む気持ちはなかったのですが、3つだけ連絡しておきます。
    1、長老(あき〇さんという人だと思いますが)は亡くなりました。不幸が続き、息子の奥さんがな くなり、次に息子もなくなり、最後に長老がなくなり、今は長老の奥さんが一人生活しています。 写真の武市大明神は長老の家だけでいろいろしていたので、少し今は寂しい感じがします。もうひ とつの100メートルくらい南の集落の中央にある武市大明神は60年以上前からほとんど変わらず、 10月にみんなで祭祀を行っています。
    2、童学寺の話が出ていましたが、その童学寺は最近火事で本堂が燃えてしまいました。
    3、地図の中の加賀谷醤油というのはつぶれ、森田醤油に変わっています。
    以上、3点を連絡しておきます。
    時代とともに、状況は変化するので、正しい過去を見つけていくというのは大変です。「キタジマ」という方がよく登場しますが、聞いた話がすべて正しいと思わず、少し疑いながら、できるだけ多くの人や資料から、判断をしていくことが大切だと思います。いろいろ情報を入手し、興奮しているのではないかと思いますが、そして、水を差すようなことを言って申し訳ありませんが、インターネットの情報は世界中駆け巡ります。書かれている内容が、正しい情報なのかもしれませんが、老婆心ながら書かせてもらいました。

    返信削除
    返信
    1. もう書き込みはされないということなので、こちらも書きっぱなしにいたしますが、
      >いろいろ情報を入手し、興奮しているのではないかと思いますが
      とおっしゃられても、この記事2012年でもう5年も前の記事なんですよ。
      加賀屋醤油にしても、2017年4月3日より加賀屋醤油株式会社として復活してます。
      それと、インターネットの情報は世界中駆け巡りますので、誰々がなくなったとか、個人のプライバシーに関わるような話は書かれない方がいいと思います。
      老婆心ながら御注進申し上げます。

      削除