2012年12月3日月曜日

八人塚古墳見学会報告の追記というか、萩原2号墓について

煮え切らないタイトルですが前回の八人塚古墳見学会報告の資料を繰っているうちに見つけてしまいました。
月曜日ですが、見つけたからにはと、概要だけ出しておきますが
腰が抜けます
ホントに。


萩原墳墓群
位置 北緯34度09分22.25秒
東経134度31分19.75秒
所在地 徳島県鳴門市大麻町萩原山ノ下
築造年代 3世紀前葉
出土品 画文帯神獣鏡・土器・円筒埴輪

萩原墳墓群(はぎわらふんぼぐん)は、徳島県鳴門市大麻町萩原にある遺跡。


鳴門市の大麻山南麓に位置し、1〜4号の4基からなる墳丘墓群で、かつては最初期の古墳の可能性から「-号墳」の呼称が用いられたこともあったが、その後の調査によって弥生時代終末期の3世紀前葉に築造されたと推定されているため、「-号墓」の呼称に修正されている。周辺には天河別神社古墳群や宝幢寺古墳群などの古墳が点在している。
主体部(埋葬施設)の構造などから現在では日本最古の前方後円墳とされるホケノ山古墳の原型との説がある。 wikipediaより



そして
徳島県の萩原2号墓発掘調査記録より

「萩原2号墓出土の赤色顔料-朱-のイオウ同位体比分析」
難しいタイトルですけど怯んじゃいけません。
ここだけ見て下さい。

さて弥生時代末期から古墳時代初頭にかけて近畿圏内での朱(辰砂)の最大生産地は徳島県の若杉山であったことは有名です。
かのキトラ古墳や高松塚古墳にも若杉山出土の朱が使われていた事は事実です。

萩原2号墓はこの徳島県内の朱を使わずに中国産の朱を使っているのです。

また、バカな事をと仰るでしょうが
魏志倭人伝には
景初二年(238年)十二月には
汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各五十斤を賜い
とあるのに
正始元年(240年)には
金帛・錦ケイ・刀・鏡・采物を賜う
と「鉛丹」が入っていない。
どういう事でしょうか。

景初二年以前にも朱が産出していた事は明らかですが、「魏」の賜いものである丹を首長の埋葬に使ったとは考えられないでしょうか。

そしてその首長とは。


一応「萩原2号墓出土の赤色顔料-朱-のイオウ同位体比分析」の1ページ目だけ載せておきます。
興味がある方は言っていただければ全ページ(と言っても3ページ)送らせていただきます。

あ〜、まだ月曜日だぁぁぁ。

20 件のコメント:

  1. おぉ~!
    当時としてはもちろん最高品質の超高価(というよりほぼ入手不能)な朱を使っていたわけですね。
    八人塚古墳といい、萩原2号墓といい、実は“決定的物証”と言わずしてなんとしましょう。

    日本の考古学界はほぼ眠っているわけですね。
    まあ、だからこそ私たちが存分に楽しめるんですが。
    ありがとうございます。

    (全ページください!)

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  2. な、なんと・・・(^O^)!!
    てっきり若杉山のものだと思っていました・・・。
    なんか・・・凄い展開に・・・o(^▽^)o

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  3. もう、ちょっとやそっとでこの事実はひっくり返りませんよ。
    魏志倭人伝はともかくとして(年代がちょっと不安(笑))
    200年から200数十年頃に経路はどうあれ中国からの朱(丹)を埋葬に使える程の首長がここに存在したのです。
    その後の近畿の古墳は若杉山の辰砂を使ったものが大半です。
    これが何を意味するかは明白だと思うんですが。
    それにしても、こんな資料をなぜもっと広めないんでしょうかね。

    全ページは例によってpicasaにアップしておきます。
    数日したら引っ込めますので、お早い目にどうぞ(笑)
    っていうか県内の公立図書館にはたいがいあると思いますけど。

    https://picasaweb.google.com/118125303363335026828/MCFjCG?authuser=0&authkey=Gv1sRgCNP7tcz-wrvWZg&feat=directlink

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  4. ご報告会、ありがとうございます。
    きっと、すんごく沢山の方々が待っていたと思いますよ~!!!

    スンダランド以来、魏もそうなんですが、日本の原形を妄想中でした。
    いやぁ、すんごい事実ですよねっ!

    まさか、くり舟でっ?
    大海原を?

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    1. >きっと、すんごく沢山の方々が待っていたと思いますよ~!!!
      そう言っていただけると、嬉しいです〜。

      それにしても、こうなってくると比べたくなるのが卑弥呼の墓と言われている「箸墓古墳」。

      現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。

      だ、そうです(笑)
      こんなブログですが、以前から見てくれてる方は多分上の行を見て笑ってくれると思います。
      倭迹迹日百襲姫命の墓.......
      卑弥呼の墓........

      掘ってみりゃいいのにね。
      で、出てきた朱(辰砂)を分析すればいいのにね、と思いませんか(笑)
      これじゃ、何か隠してるとしか思われないですよって言いたいトコです。

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    2. >掘ってみりゃいいのにね。
      >出てきた朱(辰砂)を分析すればいいのにね。

      この2行をもうず~っとリピートしたいですよねぇ。
      阿波の調べにのせて、是非。(何を期待しているのでしょう・・!)(笑)

      ぐっとくるフレーズです。
      朱赤の色が
      狂おしい感じに仕上がりそうです。
      あ、余談でした。
      でも、阿波踊りの大ファンですので、お許しを。

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    3. 宮内庁はあくまでも水主神社とか田村神社を無視するんですよね。
      困ったもんです。
      社伝も「大水主大明神和讃」もぜ〜んぶ無視
      いいですけどね(笑)

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  5. ぐーたらさん、ありがとうございました。
    北九州、島根、鳥取、丹後でも中国産の朱が出ているとか。ここに阿波が加わるのが、まず大きな一歩ですね。
    宮内庁も手当たり次第立ち入り禁止にしちゃって、その政策をずっと続けるつもりなんでしょうか。
    税金使って共同幻想を守ろうなんて、困ったもんです。

    吉本隆明は「共同幻想は自己幻想に必ず逆立すると主張する。個人を守るための共同体が、個人を束縛し、弾劾するのである。個人に対する社会的ルールの強制などがそれである。逆立性が極限まで高まると、国家が戦争などで個人に死を強制し、それを殉教である、英霊であると賛美するなどと言う状況も起こる」(Wikipedia)と指摘している通り、改めて先の敗戦の反省を官僚機構がしていない証拠かな。

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    1. そ〜なんです。そして一番大事なのが日本最古クラスの古墳(ホケノ山古墳の原型との説がある)で中国産の朱が使われてるって事ですね。
      宮内庁にはあまり期待できないような気がします。
      箸墓が倭迹迹日百襲姫の墓だって言ってるうちは.......
      ねえ。

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  6. ぐーたらさん、是非にもコピー欲しいです。
    機会ができましたら、頂に行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
    このページ私のブログにリンクを貼らせていただきました。

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    1. スキャン画像はここに貼ってありますので、どうぞご利用ください。

      https://picasaweb.google.com/118125303363335026828/MCFjCG?authuser=0&authkey=Gv1sRgCNP7tcz-wrvWZg&feat=directlink

      全3ページですけど、強烈ですよね。

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  7. ぐーたらさん、ありがとうございます。
    とっても、重要な資料ですね。
    感謝、感謝!!!

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    1. 喜んでいただければ、幸いです。
      ちょっと面白い資料もありますので、出せればだします。
      (話のタイミングで出しにくい時があるんです)
      期待しないでいて下さい(笑)

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  8. ぐーたらさん、調べものしてたらよくこのページヒットしますわ。(^^ゞ さて、真珠って通常は穴を開けて飾るので数量カウントは孔です。で、鉛丹と共に併記されている真珠も斤と記されてありますので、これは辰砂のことだと思います。つまり、辰砂12㎏お持ち帰り~♪ 魏志倭人伝の景初2年に辰砂を貰う以前にもきっと貰っていますよね。萩原からすると200年代初頭だろうから誰がもらったんでしょうかね。いったい誰なんでしょう?

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    1. >鉛丹と共に併記されている真珠も斤と記されてありますので、これは辰砂のことだと思います。
      当然ですよね、安物の「鉛丹」だけを国使として持ってくる奴はいません(笑)
      だれの墳墓かってのは難しいですが、朱を持ってきたのは、時代が微妙なんですがやっぱり「張政」ではなく「梯儁」かな、と思ったりしてます。
      「邪馬臺国」に20年滞在した「張政」は、やっぱピースキーパーの役目で荷運びは「梯儁」なんでしょうかね。

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  9. グータラさん質問です。グーグル見てますが、この萩原の浄土寺あたりから霊山寺までのこ高松自動車道に沿ってのこの不自然な縦長楕円の森の並んでるのって全部古墳ですか? 余りに不自然に見えてしまって。

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    1. 東は宇志比古神社から始まって阿波神社、法幢寺、天河別神社...と続き萩原へと至ります。発掘されているいないは別にして、何らかの古墳・遺跡・墳墓があった跡であることは間違いないと思いますよ。
      この近辺、民家の中に古墳があったりしますので(笑)

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  10. ありがとうございます。どこもかしこも・・・。徳島の発展が遅れているおかげでこれで済んでるなんて。調べ終わるまでは何も建つな〜ですね。ここまでたくさんのあるとそれこそ拝み屋さん総動員して取りあえず記紀有名人の古墳だけでも名札でもを貼っておかないと、うかうか潰されかねませんよね。他県に出て気づいたのですが、四国は霊能者が本当に多いです。善良な人が。卑弥呼やトヨもこんな感じだったのかなと、土地の持つ力みたいなのが昔から特別なんじゃないのかなと思います。

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    1. >徳島の発展が遅れているおかげでこれで済んでる...
      そうなんですよね〜、ただ最近は宅地造成や産廃の廃棄場所等で黙って潰されてるようなところが結構あると聞いてます。
      ちょっと例えが悪いんんですが、文化の森近くの 園瀬川川岸に立ってた王子神社の灯篭、前は川の南にあったのが今は北岸に移ってます。
      残してもらったことはありがたいですが、場所が変われば.....ということを理解して欲しいんです。(余談ですけど)
      >四国は霊能者が本当に多いです。
      危ない話になりそうなので、あんまり書きませんが、◯◯◯◯◯の◯◯◯◯◯◯や◯◯◯◯◯は多いですね。(◯の数に意味なし)

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  11. グータラさん、その〇〇かえって気になるじゃないですか。剣山系?かな、それとも違うかな。ヒントヒントプリーズ。
    霊能者が強く気を感じる場所と、空海が印をつけた場所と、昔の聖地 が、妙に符合するのです。
    四国で厳しい行するあるお坊さんに特筆してすごい気を感じる場所ってどこですかって聞いたことがあるのですが〇〇〇〇と答えられました。

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