2012年8月8日水曜日

またこんなのを買ってしまった

ウイークデーなんであっさりと。
またしても、こんなのを衝動買いしてしまいました。
明治39年5月31日小山助学館より発行の「徳島市街詳地圖」復刻版。
清水の舞台から飛び降りた気持ちで大枚500円はたいて購入いたしました。
たった百十年程しか経ってないんで、と言うか、百十年も経ってしまったので
と言うか人によって違うんでしょうけれど、個人的には結構変わったなぁとの
感想でございますね。
一枚物の地図の商品なんで、高解像度でアップするのは控えます。
全体はこんな感じですね。
町名とかが結構変わってて、あれって思うような町名が散見されます。
とか、春日神社奥の三重塔がちゃんと載ってて嬉しいです。

とか大道の八幡神社の南。現在「家神社」のある辺りが「多賀神社」だったりして。
なかなか面白いです。
忌部神社のちょっと東に遊郭があったりするのは・・・
はい、どうでもいいことにいたしましょうね。
でも、ホントに町名が今と全然違ってて面白いです。

まだ水曜日なんで、簡単にね。

4 件のコメント:

  1. 休み疲れのなか、アップくださった地図をぼんやり眺めていたら神社・神社・神社…。すごいですね。合祀令を出したくなったのもわかるくらい。暮らしの近くに神社があったんですね。
    明治39年はまさに合祀令が出された年ですから、そのための資料だったのでしょうか。もっとあったはずの寺が載せられていませんから。そうだとすれば、よくがんばって残したほうですね。よかった。
    八幡神社隣りの国瑞彦とはだれ?と思ったら、蜂須賀の藩祖、小六の息子なんだとか。あの伊達政宗に「阿波の古狸」と評されたという人物で、しかも(阿波にかくまっていた?)司祭から洗礼を受けているという、おもしろそうな殿様です。

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    1. >明治39年はまさに合祀令が出された年ですから、そのための資料だったのでしょうか。
      そうかも知れませんね、またここら辺は社寺の密集地域ですしね。
      蜂須賀はもともと「須賀」氏なんですね。
      お江戸の「須賀神社」なんかは
      「スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言ってそこに宮を作ったことに由来する」
      なんて平気で書いてありますが「須賀氏」がそこらに由来すれば面白いんですがね。
      蜂須賀家出自の確証はまだ無いそうなので、色々妄想できますね(笑)

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  2. 明治39年。
    なんだか、重いなぁ。
    ちょっと、泣けてくるなぁ。

    文明開化、鹿鳴館・・・。
    華やかだなぁ。

    妄想が妄想をいざない。闇に吸い込まれそうです。
    空海様は何をお思いか。

    私は今、時の旅をさせてくれた、ぐーたら先生に感謝しています。(ああ、良い生徒だなぁ、私ってば。)

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    1. 明治っていう時代は奇跡のようなもんなんでしょう。
      今となっては資料で見るしか無いけれど
      現在ならば何が起こるか分らない程のとてつもないパラダイムシフトがあり
      それを一般の人々が平然と受け入れているように見えます。
      鹿鳴館落成が明治16年。
      乱暴な言い方をすれば16年前までは宮中では「おすべらかし」で園遊会(笑)
      それが、あっと言う間にソシアルダンス。

      影絵のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。

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