2012年8月19日日曜日

8月18日「石井古事記研究会」より(1)

えーと、先日に8月18日(土)石井古事記研究会様より、「なんぞ話をせい!」という
お達しをいただきまして恥ずかしながら参じてまいりました。

石井の方々の前で地元の話をすると言う、ほとんど自殺行為のような場ではありませんか。
そんな所へのこのこ出て行くなんて我ながら感心してしまいます(笑)

とはいいつつ、最初は鴨島町「向麻山」の話と言う事で、その線でまとめてたので、修正
が効かずに、そのままお話させていただき、石井の話が少なく、心苦しい所でした。

で、今回はその内容をブログ用に編集しまして、上梓させていただきます。
「なんだ、この程度かい」と思われるでしょうが「その通りです」(笑)
ま、そんなもんですので。

鴨島町の「向麻山(こうのやま)」と言いますと、以前にも書いておりますが
「天日鷲命」の御陵があるという伝承がございます。
麻植、鴨島といえば忌部の里で有名でございますが

天日鷲命の御陵は麻植塚にあった?

でも

天日鷲命(あめのひわしのみこと)といえば言うまでもなく阿波忌部の
祖神であり、徳島県麻植郡山川町高越山に高越神社としてまつられています。

岩戸の神事を司った神である天太玉命(あまのふとだまのみこと)が
忌部の祖神であり、阿波忌部氏の系図によると、天日鷲命は太玉命の
義理の兄弟であるということです。
徳島県鳴門市の大麻比古神社は、天日鷲命の子孫が祀られ、忌部
神社にも天日鷲命が祀られています。

で、最近見つけた資料によると、この「天日鷲命」の御陵が
徳島県吉野川市鴨島町の麻植塚にあるというではありませんか。
確かに「麻植塚」とは「麻」を「植える」「塚」の意味でしょうし

「阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして
 十代崇神天皇第二王子なり、
 母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり、
 大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、
 麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」

と、書き出しております。
まずはパクって来た鴨島町の史蹟地図を出しておきます。


右の囲いの中が「向麻山」で
忌部が麻を加工していた「麻搗石」「麻晒石」の名前が見えますが、麻名用水工事の際に取り除かれたそうです。山頂には、竜眼神社・御嶽神社が祀られております。
 この木の向こうを廻った辺りに「麻搗石」「麻晒石」があったようですが
今回も行ってみましたが、跡形も見つけられませんでした。
 山頂は公園になっております。
クリスマスシーズンはイルミネーションが美しゅうございます。
「竜眼神社」ですね。

そして、元となった資料が、これ
「麻植郡麻植塚村舊跡傳」
コノ郡ノ名ハ麻植ノ神社ヨリ起コレリ麻植ノ神社
トハ延喜式ニ曰ク忌部ノ神社大社或ハ麻植神
ト号スト云々則此神ナリ
麻植ト号スルノ地ハ内原中村森任飯尾敷地牛島上下島鴨島

西麻植ノ十ヶ村ヲ云ナリ此レ古、麻植ノ本地也
故ニ神代ノ日鷲ノ命麻ヲ植エ荒妙ノ衣
ヲ織シメ給ワ古跡ニテ川ヲ麻漬川ト云イ
其山ヲ神(カウ)ノ山ト云 麻晒石 麻搗石ナント今ニ存セリ
是ヨリ西ノ方ノ縣名川島射立忌部
等麻植ニ属シテ一郡ト成ル
東鑑第六曰文治二年閏七月十二日前廷尉
平康頼法師照西恩澤ヲ浴シテ阿波ノ国ノ

麻植ノ保トナルト云々

右康頼法師ノ古跡ハ森任村ニアリ森任村ハ則
麻植ノ中村也此所ニ康頼ノ勧請セシ俊寛僧
都ノ塚アリ俊寛僧都ハ薩州鬼界島ニテ死ス
トモ云 国而康頼法師其菩提ヲ吊ラヒ此處ニ
塚オ築ヒテ祭レリト云傳フ

麻植塚村ト称スルハ天ノ日鷲ノ命ノ御陵アルガ故ノ名ナリ
其ノ處ハ麻植郡麻植塚村



ト云麻植塚ノ御陵アルヲ以テ知ルベシ
古老ノ傳ニハ上古御塚 神(カウ)ノ山ノ麓ニアリシガ
川水ノ為ニ潰毀セシユエ今ノ所エ移奉ルト云



麻植塚
コノ御陵ノ後ロハ一面ノ大藪ナリシヲ中古、開墾シテ
民地トナレリシ天正十九年御検地ノ御帳ニモ麻植塚前
同地トアリ
神ノ山北面麻植ノ古宮ノ地字ヲ堂床ト云此神中北五社神
ト云神体五ツアリ此宮ノ後ニヲカダマノ木ト云テ萬葉集
ニ見エタル木アリ享和年間新宮ウツスト云

以下略

という訳で、当日は当然、資料の内容まで読んで説明している時間はありませんので
機嫌良く、すっとばして行きましたので、も一度見といて下さいね。
なお、話の合間に、くーだらない、くーだらない、オヤジギャグを交えているのは
内緒という事にしませんか(笑)

そんで、

神ノ山北面麻植ノ古宮ノ地字ヲ堂床ト云此神中北五社神
ト云神体五ツアリ此宮ノ後ニヲカダマノ木ト云テ萬葉集
ニ見エタル木アリ享和年間新宮ウツスト云

というのは、前に赤っ恥かきましたが、下の写真の「五所神社」(通称ゆうがさん)
のことですので、念のため。
御祭神 大麻綜杵命(おおへつきのみこと) 

「麻植郡郷土誌」に大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」とあります。


後先になりましたが

二軒屋町 忌部神社 由緒より
太古天日鷲命は、穀木(かじ)麻を植え製紙製麻紡織の諸業
を創始され特に天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時
白和幣(しろにぎて)をつくり神々と共に祈祷(いの)られ天の岩戸開きに
大きな功績を挙げられた。
その子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典を掌どり
神武天皇の御代阿波国に下りこの郷土を開拓し代々朝廷に荒妙御衣(あらたえみそ)を貢上した。
それは大嘗祭(天皇即位の大礼)の用に供された。
麻植郡の名も麻を植える事から起きたものである。
このように天日鷲命を奉祭する忌部神社は忌部族すなわち徳島県民の
祖神を祭り古来阿波の国総鎮守の神社として朝野尊崇篤く延喜の制には
官幣大社に列せられ、且つ名神祭の班幣に預かり(名神大社)西国随一の
格式の大社として、四国一宮とも称せられた。

とありますので「忌部とは?」の「通説の」ご紹介とさせていただきますが
ここらは次回以降でちょっと突っつきます。

ではまずは、この辺りまで。


6 件のコメント:

  1. きよっさん2012年8月19日 22:51

    ぐーたら先生(ニヤニヤ 悪意の笑)お疲れさまです。

    なかなか楽しい催しだったみたいですね。ふふふ。
    唐突ですが資料にあるヲカダマノ木とは向麻山の北側(R192南側道沿い)にある祠がある木ですか?(2番目の写真の木) 五社神社の後ろに位置しますし。もうあの木が昔から木(気)になって木(気)になって。(ギャグで対抗)

    それではその2も楽しみにしております〜。
    (。ゝω・。)ゞ

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    1. >ヲカダマノ木とは向麻山の北側(R192南側道沿い)にある祠がある木ですか?
      あれ、そうなんですかねぇ?
      祠もあるし、いかにもそれっぽいですけど,
      樹の寿命ってどんなんですかねぇ。
      「麻植郡麻植塚村舊跡傳」は多分100年ちょっと前のものですので
      問題ないと思うんですが。

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  2. お疲れ様でした♪
    知っていたら聴きに行ってたのになぁ・・・残念!!
    18日は仕事だったのですが・・・(>_<)!!
    石井古事記研究会の皆さんも頑張っていらっしゃいますネ!!
    (*^_^*)♪

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    1. おいでになったら、絶対逃げ出してたと思いますよ(笑)
      すえドンさんの前で忌部の話なんかできる訳が無いじゃ
      ないですか(笑)
      それとも、全然違う話で誤摩化したかも(笑)

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  3. サクラサク48692012年8月20日 17:12

    ぐーたらさん、こんにちは。
    18日はお世話になりました。
    とても勉強になりました。
    ところで「ゆうがさん」にそんな重要な木があったのですか?
    形のきれいな楠木(だったかな?)があったのは、覚えているのですが・・・
    もう1回、行かなくっちゃ!!

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    1. んと、「ゆうがさん」じゃなくて国道をはさんだ「ホンダ」の南側の辺りです。
      向麻山のすそ、いかにもって感じで木が一本あります。
      それがヲカダマノ木かどうかはよく分らないんです(涙)

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