2011年9月16日金曜日

阿波國一之宮 大麻比古神社(1)

大麻比古神社

式内社(名神大)、阿波国一宮で、旧社格は国幣中社。

主祭神 : 大麻比古神
配 祀 : 猿田彦大神
現在、主祭神の大麻比古神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされ、後に古くから大麻山に祀られていた猿田彦大神を合祀したと伝えられている。wikipediaより





神武天皇の御代、天太玉命の御孫 天富命 勅命を奉じて 洽く肥沃の地を求め 阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して 殖産興業の基を開き 国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀ると伝えられる。
延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って、社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。
明治十三年国費を以って本殿以下の造営が行はれた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。 大麻比古神社HPより


場所はここ

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さらにWikipediaによれば

現在、主祭神の大麻比古神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされ、後に古くから大麻山に祀られていた猿田彦大神を合祀したと伝えられている。
『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』によれば、古くは室町時代成立の『大日本国一宮記』にあるように祭神は猿田彦大神とされ、文化12年(1815年)の『阿波国式社略考』にも見られるように、概して卜部系の考え方は猿田彦大神で統一されているのだと言う。これに対し、神社・神主の側では享保14年(1729年)と宝暦4年(1754年)に郡代奉行へ「御神体猿田彦大神と崇め奉り候ふ儀、なおまた秘説これあり候へども・・・」と上書したように、猿田彦大神は大麻山山頂にあったのを合祀したもので本来の主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)であると、猿田彦大神を暗に否定して阿波忌部氏の祖神に付得する努力を続けてきたようだ、と『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』では述べている。
『日本書紀』の神代巻では阿波忌部氏の遠祖は天日鷲命であるとし、『古語拾遺』では天富命(あめのとみのみこと)をして、天日鷲命の孫を率いて、肥饒の地を求めて阿波国に遣わし、穀・麻の種を殖わせしめたとしているが、『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』によると阿波国の国学者野口年長は、安房国下立松原神社に伝わる忌部氏系図から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(つくいみのみこと)と言い、その娘は千鹿江比売命(ちかえひめのみこと)であるとの説を提唱したのだと言う。
明治時代以前は猿田彦大神と阿波忌部氏の祖の天日鷲命とされていた祭神を、明治以後は猿田彦大神と古伝に基づいた天太玉命としたが、『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』によれば、山口定実が忌部氏祖神説の傾向をさらに発展させて唱えた「天日鷲命は阿波忌部の祖先であるから、(忌部神社は)忌部の社または地名により麻植の命と申すのに対して、(当社は)太祖天太玉命を祀って大麻比古神と申す」との説が、現在の大麻信仰の基礎となっているのだと言う。

との説を記載している。
先日の拙著記事「阿波の古代の基礎知識(2)不定期」についても参照いただければ理解の一助となるであろう。

なお、徳島市明神町に「大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)」となる同文字の神社があるが、こちらは「富田大麻比古神社」通称「明神さん」と呼ばれている。


御祭神は「猿田彦命」


由緒として、これについてもWikipediaより引用するが

伊予国河野庄より阿波国に来住し蜂須賀氏に仕えた者の倅の河野弥吉郎が承応2年(1653年)に名東郡一宮から大麻比古神社の神体を迎えて河野家の鎮守としたと伝えられるが、『延喜式神名帳』に記載された式内社「麻能等比古神社」に比定する説もある。元々は、彌吉明神と称していたが、明治3年(1870年)に現在の社名に改称し、村社に列した。

とある。名東郡一宮から勧請した事、式内社「麻能等比古神社」に比定する説のある事からも「入田町 麻能等比古神社」の記事「麻能等比古神社」は「猿田彦神社」の本社(元社)であったことを示す一つの手がかりではないかとも考えられる。


あ〜、肩凝った。こんな堅い文章書くんじゃないっすね。
では(2)をお楽しみに。へっへっへ(キモッ!)

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