2010年3月13日土曜日

ΕΥΡΗΚΑ(見つけた!!)

えー、前回投稿が2月24日なんでタイトル通り「ぐーたら」しておりました。
で、前回の続きとなるんですが(もう忘れちゃったよ)
「風土記編纂掛名面」ですが探せば出てくるもので

「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
なる資料に

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明治二年に徳島藩のもとに小杉榲邨(すぎおみ)などが中心となって
「阿波国風土記編輯御用掛」が設置され、阿波の歴史と地誌の大規模
な編纂が企てられたが、同五年の廃藩とともに廃止された。
この編輯掛には多田をふくむ多くの国学者・儒学者が出仕していた。
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と、あります。
つまりは徳島藩を挙げての一大プロジェクトだった訳です。
ただ、前回の記事で書いた中の「風土記編纂掛名面」には小杉榲邨の
名が上がってなかったのが気になります。

で、ここからが本題
この「風土記編輯御用掛」が編纂した「阿・波・国・風・土・記」ありました。
タイトル通り「ヘウレーカ!!!(見つけた!!!)」と叫ばしてください。
全五冊、筑波大学附属図書館所蔵です。
タイトルもずばり「阿・波・国・風・土・記」
そのうちの何冊かに「風土記編纂掛」の印が押されているそうですので
間違いないでしょう。

上記の「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
の記載を基に筑波大学附属図書館検索システムで検索した結果です。
筑波大学附属図書館に直接メールで問い合わせてみると、当然ながら
原本の貸し出しはできない。ただしマイクロフィルムがあるので印刷は
可能であるとの回答でした。
ただ、個人からの請求は受け付けていないとのこと。
本日、この回答メールを持って徳島県立図書館に問い合わせをお願いに
行ってきました。
やはり、相互利用制度としての貸出請求は県立図書館と大学図書館の間
では行っていないので、マイクロフィルムの印刷請求を代行してもらう
事になりそうです。
無論費用は自費となります。
県立図書館での購入を依頼しようかとも思ったのですが、それでは全頁
の複写をする事ができません。
パブリックドメイン扱いとしてもらって交渉すればいいのかなとも考え
ましたが筑波大学附属図書館の規約に再印刷の禁止事項がありましたの
で、馬鹿正直にこの方法もあきらめ自費購入をするつもりです。
まだ、徳島県立図書館よりの回答が無いので何とも言えませんが。

さて、どうなることでしょうか。
個人的には大量の逸文が記載されている事を望んでいるんですが。
前回書いたようにとんでもない所に足を突っ込んでしまいそうな気配です。

6 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    すごい展開になってるじゃありませんか!
    是非、私にもコピーください!!
    何なら半額負担します。
    (って、値段聞いて青ざめるかも)

    実はずっと夢見てたんですよ。
    知人のおやじの本棚を整理してたら、阿波風土記か小杉榲邨の本が埃を被って出てきて、その価値がわからない知人から私がが貰い受ける、っていうストーリーを。

    続報楽しみにしてます。

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  2. 該当ページ見ました。
    麻植郡川田村神主早雲兵部所藏
    神主で早雲氏というのは、たしか忌部神社の神主の一人ですね。
    興奮してます。
    嫁が茨城なので、最悪、親戚を筑波大学附属図書館に侵入させようかと思います。

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  3. 現在でも地誌を出すときに「◯◯風土記」とタイトルを付けることがけっこうあります。
    私もこの風土記にいっぱい逸文が載っていることを期待していますが、
    「ウラに「右置文麻植郡川田村神主早雲兵部所藏」「天保十年三月木内茂臣が写せし本をもて校合」「天保十年四年四月八日野口とし長」等の朱墨による書き入れあり 」
    とあるということは、天保十年=1840年。
    もしかしたら、原本の写本かもしれませんね。

    親戚の親戚に筑波大学関係者が見つかりました。
    何とかならんか訊いてみます。

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  4. ども、ごぶさたです。
    そーなんです自分でも訳の分からないうちにこんな展開になってしまってます。
    なにか、薮の中を歩いてたらふっと道が開けたような感じです。
    費用は1頁70円で400数頁あるので送料込みで3万少しです。
    もちろん手に入れましたらコピーは進呈いたします。ご期待ください。
    もちろん一番わくわくしてます。
    親戚の方が茨城ですか、いいですね。うちは親戚の最北端が神戸辺りまでなんで、ほんとに最悪の場合お願いするかもしれません(うふ)

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  5. 原本の写本であれば超ラッキー(死語)ですね。それにしてもこのきっかけとなった「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」なんですが研究代表者が奈良大学文学部教授....となってます。平成16年6月の資料です。多分徳島県あたりが調査依頼したものだと思われますが。後半の脚注に筑波大学附属図書館に所蔵され....と簡単な記載があるのみ。なんなんですかこれは。
    ここまで書くならと思ってしまいました。
    奈良大学というところでちょっと穿った考えが浮かびましたが、それはさておきましょう。

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  6. それではもう少し待ってみます。
    半額負担します。(笑)
    ちなみに、こんなのがありました。

    在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学史的研究

    江戸時代から明治維新期にかけて活動していた阿波の在村儒学者・国学者たちの古代・中世地域史研究にかかわる自筆文献を基礎に、
    吉野川下流域南岸に広がる名方郡域の古代から中世にかけての郡・郷域変動について、同じく吉野川下流域南岸になたる麻植郡における忌部神社所在地論争について、
    調査・分析を実施した。

    取り上げたのは、多田直清「村邑見聞言上記」、後藤尚豊「阿波国名東郡郷名略考」、上田寧悳「名方郡産土神郷名考」、久富憲明「麻植郡風土記」、
    さらには小杉榲邨、野口年長などである。

    名方郡域は、寛平八年には名西・名東両郡に分かれるが、さらに十一世紀から十二世紀にかけての時点で、両郡の中間に以西郡が新たに設定される、
    かつその以西郡の領域も後に変動するようである。しかし、文献史料の少なさのために、この郡域変動の複雑な過程には解明されていない部分が多い。

    しかし、上記研究者らの埋もれた研究成果に光を当てることで、あきらかになる事項が多い。
    これら研究者は条里・余剰帯・地割などという近代学術用語に対応する直線道・古官道・見通しなどという用語を用いながら、条里設定のあり方とその特質、
    あるいは郡域の変遷などについて、現在でも十分に批判にたえうる優れた論を展開している。

    また、麻植郡域について、明治初期に起こった当郡鎮座の忌部神社所在地にかかわる論争には上記研究者をふくめた多くの在村研究者が参加している。
    そこでは古代および中世における忌部氏および忌部郷について、優れた論点が多く提出されているが、それ以降の徳島地域史研究ではそれらは生かしきれていない。
    この論争についての再整理をおこない、論点を明確にしながら、今後の研究の基礎作りをおこなった。

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