2017年9月12日火曜日

天日桂神社例大祭復活 平成二十九年九月十日

天日桂神社(上)
天日桂神社(下)
天日桂神社 御造営祭
の続きのような感じでありますが。

というわけで、九月十日の善き日「天日桂神社例大祭」が六十数年ぶりに復活いたしました。



◯万円かけて説明書きも建てられております。

が、なぜこのイラストを使わなかったのか?
いいと思いませんか?
で、看板の内容ですが。

天之日鷲(あめのひわし)と神ノ山(こうのやま)(向麻山)

徳島県はむかし阿波の国と呼ばれていましたが、それより以前は粟国(あわこく)と長国(ながこく)という二つの国に分かれていました。その粟国にはのちに忌部(いんべ)と呼ばれる一族が住んでいて、粟国の内だけでなく海を越えて関東にわたり作物をつくったり、織物の作り方を教えたりして、その一帯を開拓しました。
その忌部の一族の祖先といわれているのが「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」と呼ばれる神様です。言い伝えでは、今「鴨島向麻山公園(かもじまこうのやまこうえん)の向麻山(こうのやま)はむかし「鴻ノ山」と書かれたりしていましたが、本当は「神ノ山」(こうのやま)と書き、天日鷲命のお墓(御陵)があったために「神ノ山」と呼ばれていたのですが、長い年月のうちに、理由が忘れられて書き方も変わってしまったとのことです。
ここ「天日桂神社(あるのひかつらじんじゃ)」は向麻山を見上げる場所にあり、天日鷲命と黒高大明神(くろたかだいみょうじん)をお祀りしています。
もしかしたら、「天日桂神社」をおがんだその先に天日鷲命のお墓があるかもしれませんね。

などと書かれておりますが、これには別案が二案あったそうで

案1
現在の吉野川市の旧名である麻植の地名は忌部氏の祖神である天日鷲命が麻種を植えたことから名づけられ、平安時代中期に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)にもその名を見ることができる。
向麻山(こうのやま)は、天日鷲命の御陵があるために神ノ山と名付けられたとの伝承があり「天日桂神社」は天日鷲命の御陵を祀るために建立されたものと考えられる。

案2
大同二年(807年)に斎部広成が編纂した古語拾遺(こごしゅうい)によれば、神武東征において紀伊国の材木を採取し、畝傍山の麓に橿原宮を造営した忌部氏の祖であるといわれる天富命が、肥沃な土地を求め阿波国の開拓をし、穀・麻種を植えたことから麻植郡の名になったという。
平安時代中期、承平年間(931年 - 938年)源順(みなもとのしたごう)が編纂した和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)にもその名を見ることができる。
天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、『日本書紀』や『古語拾遺』に記載される阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏(いんべし)の祖神。
日本書紀によれば天照大御神が天岩屋に隠れた時、天日鷲神と津咋見神が穀(かじ)の木を植えて白和幣(にきて)を作ったといわれ、「麻植(おえ)の神」とも呼ばれる。
「阿波国風土記編輯雜纂」採録の「麻植塚村舊蹟傳」において、吉野川市鴨島町上浦の向麻山(こうのやま)は、もともと神ノ山(こうのやま)であり、天日鷲命の御陵が麻植塚にあるために神ノ山となったとの伝承が記されており、向麻山の一部が麻植塚に属していることより向麻山のいずこかに天日鷲命の御陵が存在し「天日桂神社」は天日鷲命の御陵を祀るために建立されたものと考えられる。

この二案よりストーリー性があるとかないとかの理由で看板の表記になったそうです。







その後、例大祭の後太鼓の奉納となりました、

さて、ワタクシめがこの例大祭のために用意したのは下二つの資料。
一つが「天日桂神社 例大祭復活に於いて」。
これがねぇ、真面目に書いちゃったもんですから、つまんないんです。(笑)
ホントに史料でしかないという。
困ったもんです。


もう一つは「天日桂神社讀本」これは日鷲の会限定とさせていただきましたので、上記「天日桂神社 例大祭復活に於いて」の内容を出させていただきます。
「天日桂神社讀本」については、ごめんなさい。

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天日桂神社 例大祭復活に於いて
平成29年9月10日

1.忌部氏について
忌部(いんべ)氏は、通説的には天太玉命を祖とし中臣氏と共に古来祭祀氏族として天皇家に仕えてきたとされる神別氏族であり、「忌部首(いんべのおびと)」、「忌部連(いんべのむらじ)」、「忌部宿禰(いんべのすくね)」のち中央においては「斎部」と改称され古代朝廷における祭祀を担った有力な氏族の一つです。

2.麻植について
一般的に言われる中央忌部とは別に出雲・紀伊・阿波・讃岐の忌部が知られており、阿波忌部は天日鷲命を祖とし、「古語拾遺」においては「麻植」の郡名は阿波忌部が麻を植えたことにより名づけられたとされています。

3.天日鷲命について
天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、日本神話に登場する神。「日本書紀」や「古語拾遺」に登場する。阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏(いんべし)の祖神をいいます。
「日本書紀」では天の岩戸の一書(あるふみ)に「粟の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿(ユフ)を用い」と記されており、日本建国以前からの神であることがわかります。
「古語拾遺」にも、天日鷲神は太玉命に従う四柱の神のうちの一柱であり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(にきて)を作ったことにより、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神とされています。
阿波国内において天日鷲命を祭る神社は
○徳島市二軒屋町 忌部神社  ○山川町忌部山    忌部神社
○山川町木綿麻山 高越神社  ○つるぎ町貞光字吉良 御所神社
など複数あり、古には本貫地をめぐって訴訟になったこともあり、このことは「忌部公事(いんべくじ)」と呼ばれました。
国学者、小杉榲邨(すぎおみ)収集の早雲家系図等を見ると「天日鷲命」が六代続いているのを見ることができます。「天日鷲命」というのは個人名ではなく、地位や階級を示す呼称であったという考え方をすれば、本貫地(あるいは御陵)が複数あってもおかしくなく、逆に複数無ければいけないのではないでしょうか。

4.阿波国風土記編輯御用掛について
明治二年に徳島藩のもとに小杉榲邨(すぎおみ)などが中心となって「阿波国風土記編輯御用掛」が設置され、阿波の歴史と地誌の大規模な編纂が企てられましたが、同五年の廃藩とともに廃止されました。
この編輯掛には多くの国学者・儒学者が出仕し、「風土記編輯御用掛」と呼ばれたメンバーにより、いわゆる「阿波国(続)風土記」が官製の事業として編纂されようとしており、その最終巻のさらに最後に近い部分、下記の文書が収録されておりました。

  「麻植郡麻植塚村舊跡傳(おえぐんおえづかむらきゅうせきでん)」
  麻植塚村ト称スルハ天ノ日鷲ノ命ノ御陵アルガ故ノ名ナリ
  其ノ處ハ麻植郡麻植塚村ト云
  麻植塚ノ御陵アルヲ以テ知ルベシ
  古老ノ傳ニハ上古御塚 神(カウ)ノ山ノ麓ニアリシガ
  川水ノ為ニ潰毀セシユエ今ノ所エ移奉ルト云
  .
  麻植塚
  コノ御陵ノ南ニ當ツテ麻植塚前ノ同處ト地ノ字ニ残レリ
  コノ御陵ノ後ロハ一面ノ大藪ナリシヲ中古、開墾シテ
  民地トナレリシ天正十九年御検地ノ御帳ニモ麻植塚前
  同地トアリ


私たちはこの伝承を調べているうちに、ここ「向麻山(神(カウ)ノ山)の麓に一つの小さな小さな祠があることを知ったのです。
その小さな祠の名は、地元の方が「くろたかさん」と呼ぶ「天日桂神社」。
5.天日桂神社について
ご祭神は「天日鷲命」と「黒高大明神」。
「天日鷲命」は先に説明した通りですが「黒高大明神」についての由緒は不明です。
「高」は「鷹」の転かもしれず「天日鷲命」の御陵を守る忌部の一族であったかと想像することもできます。

大正11年の「麻植郡誌」には

麻植塚には麻植塚と称する塚があって之に依って地名を生じたのであるとの口碑がある、慶長九年の検地帳にも麻植塚と記してある忌部神を麻植ノ神と称されたると見れば麻植ノ塚があっても差支はないが麻植、塚と称して居る塚を見ると忌部神などの塚とは思はれぬ、忌部神の塚であれば必ず古墳でなければならぬ恐らく後人の附会したる説であらう・・・

と、「麻植塚」に古墳がないとの記載を見ることができます。
確かに「麻植塚」と呼ばれる塚は、古墳と呼ぶには少々規模が小さく「塚」の規模であることは否めません。
「麻植塚」といえば、ほぼ「JR麻植塚駅」近辺を想像しますが、地図と「麻植郡麻植塚村舊跡傳」とを照合してみますと、麻植塚駅は「麻植塚」にはなく「麻植塚」は「向麻山」の一部を含む範囲であり、麻植塚には古墳となるべき山が存在しているのです。
その観点からすれば「向麻山」の頂上には忌部の社である「竜眼神社」が鎮座し、付近にも五社神社等、忌部ゆかりの古跡が散在するこの地に「天日鷲命」の御陵があるとの想定してもおかしくないと思われます。
これまでの想定に基づけば「天日桂神社」は「天日鷲命」の何代目かの「御陵」の遥拝所たる位置にあるのかもしれません。

こうして60余年振りの本日「天日桂神社」例大祭は復活いたします。
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で、例祭と太鼓の奉納の様子を撮ってみましたが、またしても動画のサイズ設定がうまくいかないんで、YouTUBEから直接見た方がいいと思います。



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