大日寺(だいにちじ)は、徳島県徳島市一宮町に位置する寺院。四国八十八箇所霊場第十三番、四国三十三観音霊場第五番札所。大栗山(おおぐりざん)、花蔵院(けぞういん)と号す。宗派は真言宗大覚寺派、本尊は十一面観音。
場所はここですが、出すまでもないっすよね。
江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建され、諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されたときには、その別当寺として同じ境内にあり、管理に当たっていた。
ただ、一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたようである。このことは真念著『四國邊路道指南』(貞享四年・1687)にも記されている。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。
つまり江戸時代には、今の位置でなく道路向かいの(現)一宮神社境内にあったということです。
「四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)」も確認してみましょう。
最近はこんなマイナー本も復刻してくれるんでありがたいですのぉ~。
十三番 一宮寺(いちのみやじ) 平地 東向き、名東郡
と載っております。
つまり一宮神社と一体であったわけですね(場所が)。
では、開基はといいますと、
弘仁六年(八一五)、弘法大師が入田町海見の「大師が森」に堂を結び、護摩修法をされているとき、大日如来が紫雲とともに現れ「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。
大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。
という寺伝のようです。
この海見の「大師が森」を探してまいりました。
「海見」は現在の字名でいえば「海見」です。
狭い道なんでうろうろして、嫌われながら探しました。
(多分(笑))ここでしょう。
山際をほんのちょっとだけ覗くと
ああぁ...そうですか、登れと仰るのですね。
この腰砕けのオヤジに(笑)
やっぱ、ここっぽいですね。
詳しい場所は、民家の隣だし、駐車する場所もないし、お墓もありますので書きません(ごめんなさい)。
でもカワイイ女の子になら喜んで教えますので、直接尋ねてください(うわぁ、オヤジ)。
まあ、あそこらをうろついてたら分ったり分らなかったりするんですけどね。
女装して行ったら教えてくれるのでしょうか?!
返信削除\(◎o◎)/!
しかし・・・凄いところですネ!!
お疲れ様でした(●^o^●)♪
>女装して行ったら
削除絶対教えません(笑笑笑
場所としてはわかりやすい場所なんで、今度教えます。