2011年3月2日水曜日

浦島太郎についての備忘録

今回は阿波の話でもなんでもありません。
各国の風土記を調べてて、ちょっと面白かったので備忘録のつもりで
書いておきます。

童謡 浦島太郎


むかしむかし浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ

決定盤 懐かしの唱歌
乙姫様のごちそうに
鯛やひらめの舞踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち

遊びにあきて気がついて
おいとまごいも そこそこに
帰る途中の楽しみは
みやげにもらった玉手箱

帰って見れば こはいかに
元居た家も村も無く
みちに行きあう人々は
顔も知らない者ばかり

心細さに蓋取れば
あけて悔しき玉手箱
中からぱっと白けむり
たちまち太郎はおじいさん

童謡、浦島太郎からですが、知ってる人は知ってるでしょうが、「丹後国風土記」
逸文が原典となっていて、「釈日本紀」巻第十二に記されています。


丹後の国の風土記に曰はく、

与謝の郡、日置の里。この里に筒川の村あり。ここの人夫、日下部首等が先祖は、名を
筒川の嶼子と云いき。人となり姿容秀美しく、風流なること類なかりき。こはいはゆる
水江の浦の嶼子といふ者なり。こは旧の宰伊預部の馬養の連が記せるに相嶼くことなし。
故、略そ所田之旨を陳べむ。長谷の朝倉の宮に天の下知ろしめしし天皇御世、嶼子独り
小船に乗りて、海中に汎び出て、釣すること三日三夜を経て、一の魚だに得ず。乃ち
五色の亀を得たり。心に奇異と思ひて舟の中に置きて、やがて寝ねつるに、忽ちに
婦人となりぬ。その容美麗しく、また比ふべきものなし。

と、始まっています。
ここでは、浦の嶼(島)子というものが、亀を捕まえたら、麗しい婦人となったとの
ことです。(いいなあ)
で、いつの事かと思いますれば「長谷の朝倉の宮に天の下知ろしめしし天皇御世」
とありますので、泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)におわしました、第二十一代
雄略天皇の御宇でございますね。

日本書紀の雄略天皇記に

二十二年春正月己酉朔以白髪皇子為皇太子 

秋七月丹波国余社郡管川人水江浦嶋子乗舟而釣遂得大亀便化為女於是浦嶋子感以為婦相逐入海到蓬莱山歴覩仙衆語在別巻


(丹波国与謝郡の筒川の人、水江浦島子が、船に乗って釣りをしていた。そして大亀を
得た。それがたちまち女になった。浦島は感動して妻とした。二人は一緒に海中に入り、
蓬莱山に至って、仙境を見て回った。この話は別巻にある。)

とありますので、間違いないでしょう。

そして、浦の嶼子は「蓬莱山」(仙境)に連れて行かれ、そこで

門を開きて内に入りき。すなわち七たりの竪子来て、相語らひて、「是は亀比売の夫なり」といひき。

と、告げられ、女性の名が「亀比売」である事を知ります。
あとは知っての通り、「亀比売」と夫婦の契りを交わし、三年ほど仙境で過ごした後
玉匣(たまくしげ)を持たされて地上に帰ります。

帰ってみれば

ここに郷人に問ひしく、「水江の浦の嶼子が家の人は、今、いずくにあるか」と問ふに、
郷人こたへらく、「君はいずこの人なれば、旧遠の人を問ふぞ。吾が聞きつらしくは、
古老等の相伝へていへらく、先の世に水江の浦の嶼子といふものありき。独り蒼海に
遊びてまた還りこず。今にして三百余歳をへつといへり。

いつの間にか三百年も経っていたと言う訳です。
ここらまでは、知ってる人も多いでしょうけど、WEBとかで探してみても、書かれて
ないのが、この浦島伝説、鎌倉時代初期(1195年頃)の歴史物語「水鏡」にも出ています。
高校の日本史の授業で「四鏡が『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』」ってあったでしょ。
その「水鏡」に下の一文がありました。

水鏡
天長二年十一月四日丙申、帝、嵯峨の法皇の卅の御賀し給ひき。
 今年、浦嶋の子は帰れりしなり。
 持たりし玉の箱を開けたりしかば、紫の雲、西ざまへまかりて後、いとけなかりける
容姿たちまちに翁となりて、はかばかしくあゆみをだにもせぬほどになりにき。
 雄略天皇の御世に失せて、今年三百四十七年といひしに帰りたりしなり。



天長二年(825年)「今年、浦嶋の子は帰れりしなり」
いやあ、衝撃の一文ですね。
さらに「雄略天皇の御世に失せて、今年三百四十七年といひしに帰りたりしなり」
と続きます。
天長二年から347年前は確かに雄略天皇の御世で計算は合うのですが、丹後国風土記の
成立が和銅6年(713年)以降である事を考えると、丹後国風土記に浦島子が帰ってきた
ところまで記載されてるのは、おかしいような気もします。
ただ、どちらの文書を信用するかで変わってきますが、水鏡では今年三百四十七年なんて
いやに詳しい年数が書かれてて唸ってしまいます。

玉匣(たまくしげ)のこととか、「亀比売」の事であるとか、いろいろ考えてしまいます
が、詳しい考証は地元の人に任せて、ワタクシめは乙姫様の夢でも見て、休む事と
いたしましょうか。
うっ。乙姫様ってこんなの?

4 件のコメント:

  1. サクラサク48692011年3月4日 0:57

    ぐーたらさん、こんばんは♪
    只今、時刻は0時45分。
    乙姫様の夢をみられている頃でしょうか(笑)

    浦島太郎は単なる昔話と思っていましたが、
    丹後国風土記が元になっているのですね。
    何に対しても当たり前と思わず、疑問を持つことが大切ですね。
    いや~ホントに勉強になります。

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  2. to サクラサク4869 さん
    まるまる一日遅れのコメントで失礼します。
    乙姫様は今夜は出てきませんでした(笑)
    風土記は何かと面白いので解説書があれば見ておくのもいいと思います。
    特に「出雲国風土記」はね。

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  3. う~~む。
    徳島に留まらず、丹後にも領土拡張を図っておられたとは。
    実は我が父の家系の田舎は、丹後の宮津でして、
    母方は大江山辺りなんです...
    確かにこの辺り、浦島さんもありますが、
    子供心にはやはり「安寿と厨子王」でしたね。
    何を言ってるか自分でもよく分からなくてスミマセン。
    再来週の高知行きが心を支配しておりまして...

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  4. to 猫の兄弟 さん
    子供向けの「安寿と厨子王」はともかく説話の「さんせう大夫」は強烈ですね。
    ちょっと資料がどっかに行っちゃったんですが、最後に山椒大夫が処刑される
    所の「えいさらえいと挽くほどに・・・」の辺りは頭から離れません。

    は、さておき、いい季節なので高知は楽しんで来てください。

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