2021年10月10日日曜日

備忘録:桜間の池

えー、本日 山川の人に
「最近更新が無いではないか、一体どうなっておるのかね。この様なことで済むと思っていたら大きな間違いで有るぞ。このままでは知り合いの理髪店で坊主になってもらわなければならんぞ」
との、きついお叱りを受けましたので「仕方なく😝😝😝」更新します。
とは言っても「『ヤマトタケル』って誰?」のシリーズと関係ないわけではなく、ある意味非常に重要なことなのかもしれないのです。

で、以前にも書かせていただいた「桜間の池」についてですが

石井町高川原の桜間神社にある高さ4・2メートル、周囲10・2メートルの巨大な石碑。刻まれた文には、かつて「桜間の池」と呼ばれる全国でも有名な景勝地が、この地にあったことを伝えている。1969(昭和44)年に県文化財に指定された。

 文中には、鎌倉時代に編集された夫木(ふぼく)和歌集で桜間の池は「鏡のように美しい池」と詠まれている、とある。正式な記録はないが、池の面積は両端が見えないほど広大だったと伝えられている。しかしその後、吉野川から流れる土砂の堆積(たいせき)で江戸時代には小池ほどになった。

往時はこうだったらしいですけど・・・


現在は


まあ、ねえ・・・。

これ「阿波志」の記載を求めますれば

 
「桜間池 在桜間西村今廃有溝通洗舌池・・・」
桜間池は今は無くなったけど洗舌池(舌洗いの池)と溝(水路)でつながっていたんだよ〜
との記載です。
「阿波志」が文化12年(1815年)完成、『夫木和歌抄』が延慶3年(1310年)頃に完成したと推定されているんで、あるいは「延慶」の頃は完全に繋がっていた可能性もあるのかなって思ったりします。

舌洗いの池については


源義経が元暦2年(1185年)2月17日に小松島付近に上陸し、この地で小休し、馬に水を飲ませたと云われている。義経は里人に地名を尋ね「勝間の井戸」という答えに、幸先が良いと喜んだという逸話が残っており、このことから現在の地名となったとされる説がある。
です。
詳しい説明は、今回略。

この古地図で桜間→池尻→観音寺の位置関係がわかると思います。
舌洗いの池は「観音寺」付近ね。

ちなみに国府町池尻は桜間の池の端っこの位置であったことからの地名で場所は下の地図
丸印が桜間神社なので池の大きさは300mから800m程度、ちょっと幅がありますが舌洗いの池とつながっていたならもっと大きくてもおかしくない、と言うところです。

ちなみのちなみに夫木(ふぼく)和歌集撰者の藤原長清は、
遠江国榛原(静岡県牧之原市)の勝間田城城主で、勝間田長清ともいう。
そうです。

知ってる人には結構面白いと思います。でもねこの話、結構すごいミステリーが隠されてるのよ。まだ調べがついてないんで書きませんけどね。

こんなんでいいですかね、S様。


次回こそ「『ヤマトタケル』って誰?」に戻ります。

1 件のコメント:

  1. 失礼いたします。徳島在住の阿波説学習者です。ブログ拝見させて頂いております。本ページとは直接関係ない事で恐縮ですが、ぐーたら様は ヤマトの国(邪馬台国)は徳島のどの辺にあったとお考えでしょうか? いくつかの候補地があるようですが、まだ特定できてはいないようですのでできればぐーたら様のような方の意見をお聞かせ願いたいと思っています。また簡単にでもその根拠をお聞かせ願えれば幸いです。

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