2018年5月13日日曜日

倭の神坐す地(4)

倭の神坐す地(1)
倭の神坐す地(2)
倭の神坐す地(3)
より続けます。

倭の神坐す地(3)で「大国魂(大国玉)」の名がつく神社を下の様に示したわけですが

大國魂神社(武蔵国) - 東京都府中市鎮座。武蔵国の総社。
大國魂神社 (いわき市)(磐城国) - 福島県いわき市鎮座。
大国魂神社(大黒さん)- 堺市堺区 開口神社の境内外社。
大国玉神社 (桜川市) - 茨城県桜川市
大国玉神社 - 三重県多気郡。(式内社)
大国玉神社 - 長崎県壱岐郡。(式内社)
大和大国魂神社 - 兵庫県南あわじ市
尾張大国霊神社 - 愛知県稲沢市
島大国魂神社 - 長崎県対馬市。(式内社)
会津大国魂神社 - 福島県会津美里町。

皆様もよくご存知の様に「倭大国魂神」を祀る神社として挙げられるのが「三社」

まずは言わずと知れた「大神神社(おおみわじんじゃ)」
大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。式内社(名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称を「三輪明神」・「三輪神社」とも。
wikipedia
大神神社は古墳時代以前、纒向一帯に勢力を持った先住族が崇敬し、諸説あるが、代々その族長により磐座祭祀が営まれたとされる、日本でも古い神社の一つで、皇室の尊厳も篤く外戚を結んだことから神聖な信仰の場であったと考えられる。
旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社と呼ばれた。
三諸山そのものを御神体(神体山)としており、山中には上から、奥津磐座(おきついわくら)、中津磐座(なかついわくら)、辺津磐座(へついわくら)があり、本殿をもたず拝殿を江戸時代4代将軍徳川家綱によって再建された。拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。
中略
全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。
wikipedia
念のためこれもwikipediaより「大神神社」「三輪神社」「美和神社」の一覧を記載すれば
大神神社 (栃木県栃木市) - 下野国都賀郡の式内社
大神神社 (愛知県一宮市花池) - 尾張国中島郡の式内社(名神大社)
大神神社 (岐阜県大垣市) - 美濃国多芸郡の式内社。
大神神社 - 遠江国浜名郡の式内社
大神神社 (奈良県桜井市) - 大和国城上郡の式内社(名神大社)「大神大物主神社」
大神宮社(京都府相楽郡南山城村)
大神神社 (岡山県岡山市中区) - 備前国上道郡の式内社
三輪神社 (入間市) - 埼玉県入間市中神
三輪神社 (三郷市) - 埼玉県三郷市高洲
三輪神社 (飯能市) - 埼玉県飯能市高山
三輪神社 (名古屋市) - 愛知県名古屋市中区大須
三輪神社 (津幡町) - 石川県河北郡津幡町北中条
三輪神社 (岐阜市) - 岐阜県岐阜市三輪
三輪神社 (揖斐川町) - 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪
三輪神社 (高槻市) - 大阪府高槻市富田町
三輪神社 (三田市) - 兵庫県三田市三輪
三輪神社 (総社市) - 岡山県総社市三輪1347(百射山神社に合祀)
美和神社 (群馬県桐生市宮本町) - 上野国山田郡の式内社
美和神社 (山梨県笛吹市御坂町) - 甲斐国の国史見在社
美和神社 (長野県長野市三輪) - 信濃国水内郡の式内社
美和神社 (岡山県瀬戸内市長船町東須恵) - 備前国邑久郡の式内社
美和神社 (岡山県瀬戸内市長船町福里) - 上記式内社の参考地
となりますが、これらの御祭神は
大神神社 (栃木県栃木市)は「倭大物主櫛𤭖玉命 (やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)」
大神神社 (岐阜県大垣市)は「大物主櫛甕玉命」
などとなっておりますが無論、徳島市国府町の「大御和神社」は無視されております(笑)

御祭神 大己貴命(大国主命)
延喜式内小社で「府中の宮」と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代 の祭政の中枢となり、その国府の鎮守として、 累代国司の崇敬が厚かった社である。
本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし 神徳により印鑰大明神とも称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の宮印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。
明治三年大御和神社と奉称し同五年郷社に列せられ昭和十一年県社に昇格した。
ということで、御祭神が「大己貴命(大国主命)」社名が「大御和(おおみわ)」であること、また先に紹介した土成町の「奇玉神社(薬王子神社)」から移されたとの説もあることより、実際は「大物主」が祀られていることがわかります。

話を戻します。
そして先ほどの「大神神社(おおみわじんじゃ)」の境外摂社に「率川神社(いさがわじんじゃ)」という神社があるのですが。




この率川神社末社の住吉神社と春日神社の合間に鎮座するのが、これも有名な「率川阿波神社」


摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)
御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)
例祭日 6月17日
大物主大神の御子神さまである事代主神さま(恵比須さま)をお祀りし、『延喜式』にも見える古社。
社伝によれば光仁天皇の宝亀年間(770~780)に藤原是公(ふじわらこれきみ)が創祀したと記されています。当初は奈良市西城戸町に鎮座していましたが時代と共に衰微し、明治期には小祠を残すのみとなりました。その後、大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し、昭和34年の率川神社境内整備に伴い末社の春日社・住吉社と共に現在の位置に遷座となりました。
奈良市最古の恵比須社であり、毎年正月4日の宵戎(よいえびす)、翌5日の本戎(初戎)には、商売繁盛を願う多くの参拝があります。
率川神社公式HPより

とありますが、社殿前の立て札には

社伝によると宝亀二年(七七一)藤原是公が、夢のお告げにより阿波國より勧請したと伝えられています。
とあるのが見ていただけると思います。
ちなみに、この「藤原是公」の祖父は「藤原武智麻呂」であります
   藤原是公

では「奈良市最古の恵比須社」が何故に「阿波國」から勧請されなければならなかったのか。

通常「恵比寿」は「蛭子」なのか「事代主神」なのかとの議論もありますが、いずれにしても「蛭子」ならば兵庫県西宮市の「西宮神社」、「事代主神」ならば大阪市浪速区の「今宮戎神社」等でなければならないのが「阿波國」。
そして「大物主大神の御子神」であると説明されているのです。

ならば「事代主神」は阿波にいたのか?
「大物主神」とは何なのか?
ちょっと短めになりましたが「続く」とさせていただきましょう(笑)。
(あ、あと2回くらいね)


日々精進中(笑)





2 件のコメント:

  1. チラリズム感が……
    何とも見たいなあ〜〜
    聴きたいなあ〜〜
    を、あおりますね🎵

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    1. 先を考えてないんで、こうなっちゃいます(笑笑笑

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