2016年2月7日日曜日

私信:阿波市阿波町新開 賀茂神社

あくまで私信ですので、意味がわからなくてもすいません。

阿波市阿波町新開 賀茂神社
祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
   意富加牟積尊(おおかむすみのみこと)
   天穂日命(あめのほひのみこと)
由緒
もと蜂須賀公の崇敬社であった。『阿波志』に「別雷祠 朽田村に在り 旧中野村に在り 貞亨元年ここに移す 越智通玄偃月刀一枝を納む 備中水田源国重造す・・・」とあるとおり、元、中野村に鎮座していたが伊沢市の住人河野六郎太夫という者の発願により貞亨元年(1684)現在の地へ移し祀ったといわれている。
徳島県神社誌




というわけで、徳島県神社誌にも記載のない「天津久米命」の神名が境内の石碑には刻まれております。

 あるいは、ここなのか。
 ここに祀られているのか?
そこまでは不明です。
それと久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料から上記の書籍が出版されております。
この書籍についての詳細は、阿波古事記研究会にお問い合わせされるのがよろしいかと思います。
原典となった「久米一族の調査研究」については石井町公民館内の図書室にあり、相当な大部となっております。
一部しかないはずなので、貸し出しおよびコピーは不可のはずです。

で、この久米氏の調査によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずですが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっておりました。
徳島県内では徳島市と石井町に集中しております。
さらに言えば、国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうです。
要は全国の久米姓の本拠地は石井近辺なのです。
ひとつ注意していただきたいのは、阿波の久米姓は
古代大和朝廷で軍事的な役割を果たしていた久米部に由来する名字。『日本書紀』の天孫降臨では、大伴氏の遠祖にあたる天忍日命(アメノオシヒノミコト)が、大来目命(天久米命)を率いて瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を先導して天降ったとあり、大伴氏のもとで軍事的な役割を果たしていたことがわかる。
であって、
1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)の職能集団である「久米三十六姓」
とは全く別であるところです。

とすれば、阿波町に「天津久米命」それも「鴨神社」に祀られているのはなぜか?との疑問が出てきます。事代主や味鋤高彦根神(賀茂大御神)ならば納得はするのですが。
この辺りは後日の宿題とさせていただきます。


なお余談にはなりますが、このような古い由来の姓に「日下(くさか)」姓があります。
これは大阪、南堀江のお直し屋さん(リフォーム)である「木津屋」さんのサイトに詳しく載っておりますが

日下姓の由来

日下姓の起源
 先の理由により、聖徳太子様の時代には存在していた名前でございます。更に、「古事記 中つ巻」の冒頭に日下の名前が登場いたしますので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在した名前でございます。即ち、古事記によるところ、人代の時代の始めから存在していた名前ということになります。勿論、日本書紀にも出て参ります。
であり

日下の由来は、いくつか有ると思われます。
阿波国
 阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られます。また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がございます。現在西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県か香川県等、四国地方を起源にしているのではないでしょうか。

各地方の日下姓
【徳島市】
 徳島県としては、そこそこなのですが、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い町でございます。
【高松市】
 香川県としては、そこそこなのですが、高松市に集中しており、徳島市に続いて「日下姓」が多い町でございます。

ということだそうです。
以上でございますが、いかがでしょうか。

13 件のコメント:

  1. 電話帳で久米姓を調べたことはありますが、日下は無いです。また、暇潰しに調べてみたくなりますね!(^^ゞ

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  2. 電話帳で久米姓を調べたことはありますが、日下は無いです。また、暇潰しに調べてみたくなりますね!(^^ゞ

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    1. ぜひお願いします(笑)
      結構面白くなるんじゃないでしょうか。

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  3. 有難う御座いました  1枚目の石碑の写真が私の手元の写真と同じものでした
    何か他の情報があればお教えください  気長にお待ちいたします
    余談ですが、私が通う茨城のゴルフ場の近くにあんばさま信仰の本山と言われる大杉神社
    がありますが住所が阿波町です  霞ヶ浦の東南になりますが、その丁度北岸に
    久米姓の集落があり、彼らは何故かこの大杉神社の氏子さんだそうです
    大杉神社では今でも御輿の先導として天狗が努めています
    子供時代に見た徳島のお祭りが蘇ります  御祭神は奈良大神神社と関係があるようです

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    1. でも「あんばさま」は「阿波(あんば)様」なんですよね。
      ならば「久米氏」が祭事を司っていても不思議はないと思いますが(笑)
      関東は阿波の神々が開拓した土地です。
      あるいは阿波忌部が。

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    2. 「あんばさま」が「阿波様」とは知りませんでした
      ただ阿波と深い関係があると知人たちには話しておりました
      房総半島南部の館山市では社会科副読本にて中学生に阿波忌部と安房との古代の
      関係を教えています
      阿波では忌部族と海部族が話題となりますが久米族は忌部の範疇なのでしょうか?
      かねてより疑問に思っております

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    3. 阿波と安房の関係はこちらのページ
      「阿波と安房」の各神社のページを見るのがわかりやすいと思います。
      http://www.geocities.jp/ba3tuchiura/awatoawa/index.html
      安食大鷲神社
      布良崎神社
      阿波神社
      鷲子山上神社
      安房神社
      鷲神社
      静神社(倭文は忌部です)
      阿波山上神社
      沓見莫越山
      州崎神社
      宮下莫越山
      等々...
      いかに阿波忌部の形跡が安房に残されているかがよくわかります。
      で、
      瓊瓊杵尊が高天原から天降った時に連れ添った天忍日命が率いたのが、来目部の遠祖である大来目命(天久米命)。
      忌部氏は同じく瓊瓊杵尊が高天原から天降った時に連れ添った天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とする一族なので系統は違います。

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  4. お久しぶりです。
    古い由来の姓について書かれていたので、以前見つけた面白いのが有ります。
    それは、半田町誌”兵助日記”にこんな事が書かれていました。

              言伝之事
    大昔神代々人代々此所ニおのころと言人有けるに死後は此西
    にほふむる今ハ氏神とて人々参る也
    おのころと言ヘハ先祖故夜々燈明を上げ春分手透の日を祭礼
    として膳杯をそなへ人々を参らせしと也
    子孫おのを姓とせしなり猶後々代々之者此書加ふべし
     貞観十七乙未年二月
              小野家次書之


    小野孫右衛門  応和三亥年七月死
    此人先祖おのころの墓を氏神八幡と付る


    おのころが島の名前ではなくて、人名として出てきます。
    それも神々の時代からいたと・・・
    半田町小野にある八幡神社は"元祖おのころ神社"と言う事になります。


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    1. いや〜主さま、お見限りっ!!(今日はハイだなぁ)
      なんちゅう、面白い書き込みをしてくれるんですか(笑)
      「おのころ」という人有りける...ですか。
      で、小野家ですか...
      これはぜひ行かなくては(笑)

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  5. 桃太郎童話は考霊天皇皇子吉備津彦がモデルで、朝廷の家臣であった犬飼・猿飼・鳥飼部の人を引き連れて中国地方に遠征した話であるとの説を読んだことがあります。
    徳島市八田町に犬飼、貞光町・貞光川沿いの山の中に猿飼の地名がありますが、
    他に「鳥飼」に類する地名はありますか?
    犬養毅元首相は「犬飼氏」の流れだそうですが・・・

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    1. 徳島には見当たりません。
      ただ、淡路には洲本に鳥飼があり鳥飼八幡神社もあります。

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  6. 日下は親類に3軒あります

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    1. 凄いですねぇ。
      古事記前文にも出てくる「日下をくさかという」の日下氏ですね。
      字面を見ただけでも「日ノ下(本)」ですものね。
      どなたか建国の秘密をご存じでないですか(笑)

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