『仮説「素戔嗚尊(すさのおのみこと)の帰還」(1)』
をご覧になってからお読みください。
まあ、読まなくても支障ないんですけどね(笑)
ついでに、内容がタイトルと「全然違う」じゃないかと仰る方がいるかもしれませんが、なぜか、そのうちにつながる予定となっておりますので、ご安心.......
できないっすよね〜www(自分が一番心配っす)
伊加加志神社(いかがしじんじゃ)
徳島県吉野川市川島町桑村1635
御祭神 伊加賀色許賣命 伊加賀色許雄命 天照大神
場所はここ
「阿府志」に
「桑村山ノ麓ニアリ、俗ニ日命大明神、今ハ伊加加志大明神、野老傳ヘテ曰ク、桑村ノ河邊ニ大竹藪アリ、ソノ地ヲイカカシト云フ、今ハ川トナリテ、田少シノコレリ、昔シ是地ヨリ山ノ麓エウツシタリト、ソノ時ヨリ日命ト號ス、近代、神官イカカシト改ムモノハ舊名ニヨルナリ」
とあり、 吉野川の川中島である善入寺島に「伊加々志」の地名が残る。
神社の由緒には
當神社は延喜の制国幣小社に列せられ祈年の幣帛を頂き平安朝以来皇室藩主よりの尊崇頗る厚く本郷の総社として皇室より大明神の号を頂日ノ命大明神と称しました昔より神地 神戸が有り明治庚午年十一月民生廳より現米五石並に幣帛を頂いておりました その為六国史所載の古社であり明治四年神社社格制定の際郷社に指定されました
御祭神の伊加賀色許賣命は第八代開花天皇の妃であられました 伊加賀色許男命は伊加賀色許賣命の弟君でございます
とあります。
主祭神の伊加賀色許賣命(いかがしこめのみこと)については
伊香色謎命(いかがしこめのみこと、生年不詳 - 崇神天皇元年1月13日(前97年2月17日)以降)は、孝元天皇の妃、開化天皇の皇后。古事記には伊迦賀色許売命(読み方同じ)とある。父は大綜麻杵命で、母は高屋阿波良姫。同母兄に伊香色雄命がいる。彦太忍信命(父は孝元天皇。武内宿禰の祖父(記では父)。磐之媛命の高祖父(記では曾祖父))・崇神天皇(父は開化天皇)の母。
孝元天皇2年(前213年)、孝元天皇の妃となった。開化天皇6年1月14日(前152年2月25日)、亡夫孝元天皇と叔母(伯母)・皇后欝色謎命の皇子である開化天皇の皇后となった。崇神天皇元年1月13日(前97年2月17日)、崇神天皇の即位と同日に皇太后となった。wikipediaより
で系図はこうなります。
で、この系図を見ていきますと、まず弟の「伊香色雄命(いかがしおのみこと)」は下の地図に見える「山崎八幡神社」の境内社
下の写真は「山崎八幡神社」
その境内社の恵比寿神社の横に
「伊加加志神社」跡があり「伊香色雄命(いかがしおのみこと)」が祀られております。
その昔,忌部が矢を磨くのに使ったと伝えられている「忌部の矢磨石」が残っています。
これは神社の鳥居の台石に使われている「杯状石」「丹摺石(にずりいし)」とも呼ばれ 水銀朱を精製するのに使われた石です。これは山崎八幡神社の裏手に残る「忌部の矢竹」と呼ばれる、忌部氏が矢を作るのに用いたと伝えられている竹藪です。
竹藪内には「矢神さん」と呼ばれる小さい祠を祭ってあり、例祭日の10月23日には,御輿の渡御を始め,忌部神社の獅子舞、各部落の屋台が出て、にぎやかであったが、現在では神輿の渡御だけが行われているそうです。
要はここに弟の「伊香色雄命(いかがしおのみこと)」が祀られているということです。
そしてもう一度系図を見ていただいて
伊加賀色許賣命と伊香色雄命の父親である、この系図では「大綜杵」と記されている「大綜麻杵命(おほへそきのみこと)」
この「大綜麻杵命(おほへそきのみこと)」が祀られているのが
徳島県吉野川市鴨島町麻植塚字堂の本921に鎮座する「五所神社」
「麻植郡郷土誌 」には
「阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり、
母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり、大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」
下の写真は五所(御所)神社
また
「阿波風土記に曰く、大麻綜杵命の母は伊香色謎命なり按するに大麻綜杵命は阿波忌部族なるべし」
とあり、忌部であることは間違いございません。
お妃の名も「高屋阿波良姫」と、すっごく意味深ですしね(笑)
ただ由緒の碑に「崇神天皇第三皇子大麻綜杵命....」云々と意味不明なことを刻んであるのがちょっと残念。
(余談ですけど、ここまで書いてて寝落ちしてしまいました。23時ごろから書き始めて1時ごろ意識が飛んで、ハッと目が覚めたら3時(泣))
無論、その当時「忌部」と言っていたかどうかは別の話ですけどね。
念のため書いておきますけど、近畿の方は「伊香色雄命」は枚方の生まれであると主張されるでしょう。
サイトを散見いたしましても
伊香色謎は北河内茨田郡で生まれたと考えられる。その名は、かつての伊加賀村、現在の枚方市伊加賀の名を負うものである。和名抄は河内国茨田郡に「伊香郷」を記し、「以加古」と読むと注記をほどこしている。その名の古さを示すものである。地名語源辞典によると「イカ」とは「後ろに山を負う山麓の土地」を云うとあり、伊香保、五十谷(いかだに)などを例として挙げている。
その背後にある香里丘陵の突端なる万年寺山の上、現在の意賀美神社の境内にあった万年寺山古墳は、四世紀中頃の前期古墳であって、彼女、または、その兄伊香色雄の墓であろうと推定されている。
などと書かれておりますが、別にこの説に異を唱えるつもりはございません。
ただ、阿波の地に「大麻綜杵命」「伊加賀色許賣命」「伊香色雄命」を祀る神社が現存し、「大麻綜杵命」から転じた「麻植津賀(おえづか)」「麻植塚」の地名、また「伊加々志」という、そのままの地名が残っているという事実を記すまでです。
ちなみに地元の人は「いかがっさん」といってるそうです(笑)。
追記
「伊加々志神社」には「崇神天皇」を祀る摂社も現存しております。
さて、冒頭にも書きましたがタイトルと、どう結びつくのか分からないこの内容。
次回で本当に結びつくのでしょうか?
書いてる本人が一番分からないという、最悪の状況でございます(笑)。
続く
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