2016年9月21日水曜日

まとめ:大宜都比売命の裔(11)

まとめ:大宜都比売命の裔(1)
まとめ:大宜都比売命の裔(2)
まとめ:大宜都比売命の裔(3)
まとめ:大宜都比売命の裔(4)
まとめ:大宜都比売命の裔(5)
まとめ:大宜都比売命の裔(6)
まとめ:大宜都比売命の裔(7)
まとめ:大宜都比売命の裔(8)
まとめ:大宜都比売命の裔(9)
まとめ:大宜都比売命の裔(10)
というわけで
まとめ:大宜都比売命の裔(11)再開いたします。
前回より粟飯原家に伝わる伝承の幾つかを紹介してまいりましたが

曰く
家主ト為ルベキモノニハ必ズ身体ニ三日月形ノ痕跡アリト謂フ
曰く
子守ヲ雇シ時誤テ児ヲ跨ギタルニ忽チ體スクミ動クニナラス
曰く
宅地ノ裏ニ庵室アリ御庵(ごあん)ト称ス
等々の他、神山というか、大粟山近辺に伝わる伝承として「岩肩彦」あるいは「笑子岩(えびすいわ)」の伝承があります。
大粟氏の著す「大粟比売尊考證」には



神領村高根山に人面嶽といふ処あり
 数十丈の大巖を人面のかたちにきざみたり 目鼻口眉其あさやかに上作なるる見る内に語を問ふのと思ふどおりにて春のうららこのなる日にてみると笑ふめんにみえ天上自然のわざと思へとも必神作又は上代の作なるへし 是等の作者にて岩肩彦と名を伝えし

とあり、粟飯原家住宅近辺より高根の山を撮影したのが下の写真でありますが、四角い枠で囲んだ中を見ていただければ



四角い枠の中を拡大いたします。
「春のうららこのなる日にてみると笑ふめんにみえるところを撮影いたしました。

いかがでしょうか?
「目鼻口眉其あさやかに上作なるる見る」「岩肩彦」がこれだというのです。
さらには、この「岩肩彦」粟飯原家のある栗生野近辺、ほんの2百メートル程度の範囲でしか見られないそうなのです(確認はしてないですけどね)。
粟飯原家当主によれば、これは粟飯原家の守護神であり、大粟家文書によれば、これは「味鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)命」であるというのです。
大宜都比売命こと阿波女神が自分の御夫の像を岩に彫らせたと....
阿遅鉏高日子根神は別名「迦毛大御神(かものおおみかみ)」とも呼ばれ、「古事記」では、葦原中国平定の段で現れる下照姫の夫であり、鴨氏が祭っていた大和の神であるとの理解が一般的であろうと思いますが、ここでは阿波女神の御夫であるとの記載であります。
この通説と異なる件についての説明は無論「十分に」可能なのですが、相当長くなりますので別稿とさせていただき、本稿ではこういう説が伝わっているとまでにさせていただきます。

さらには大粟家文書によれば
味鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)命ハ阿波女神ノ御夫ニテ粟国造粟直凡等之父神也
名東 名西 板野 阿波 勝浦 那賀 海部等七郡本来ノ人種ハ皆此神ノ氏子ナレハ何レノ人モ詣テ来リテ此神石ヲ拝スヘシ

いわゆる「長の国」に該当する(あるいは重なる)地域が挙げられており、「麻植」などの「粟の国」であった地域は書かれておりません。
これが何を意味するのか。
あるいは「阿波三國説」の傍証となるのか、そのあたりも別稿とさせていただきます。
ただ「個人的」には「大宜都比売命」は長国の出自であると考えており、賀志波比賣命との関連性を検証しております(「今出せ」と言われても困っちゃいませけどね)。
下の写真は 阿南市鎮座の式内社「賀志波比賣神社」と「小門(おど)神社)。



ヒントだけ書かせてもらうと、
下の神社の存在が確認されたから、なんですけど、考証は先が長そうなんで...
千葉県成田市
延喜式内社 麻賀多(まかた)神社
摂社 加志波比売神社(祭神:賀志波比賣命)

ちょっと話が逸れてしまいました。
次回でホントにまとめてこの稿については一旦終わらそうと思います。
でも、ワタクシのビョーキが治ったと思ったら、それは金露梅(県外の人は知らんやろ〜)並みに「あまーい!」。

最終回に続く

12 件のコメント:

  1. グータラさんお加減ちょっと良くなってよかったです。もう出るかもう出るかと、コロコロシマリスの様にカウンター回し回し待っていました。(TwT)我ながら忠犬ハチ公並みですよ!
    金露梅懐かしい。金露梅、ぶどう饅頭、鮎焼き。ぶどう饅頭も懐かしい。昔のおばあちゃんの財布にあの一億円のぶどう饅頭紙幣が入っていたのを思い出しました。
    写真も外付けドライブかと一瞬思ったら猫だった。「何をやらせてんだか」って猫の声が聞こえてくる様です。
    このまままあまあ元気でいて下さいね。(まが多いな��)

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    1. お待たせいたしました。
      まあまあ元気が続くよう頑張ります(笑)
      ところであんまりカウンター回していただいてもなんなので、Twitterのアカウントがあれば
      @goutara_t
      https://twitter.com/goutara_t
      をフォロー下さいませ。
      こっちでブログの告知やってますので、よろしければ。

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  2. 初めましてデスラーと名乗っています 2年程前からブログを拝見させてもらっています。
     近所の賀志波比売神社に興味を持ち追っている者です。
     大宜都比売のお話にもついに賀志波比売神社が出て来ました。
     なるほど賀志波比売神社の分祀は麻賀多神社だけの様ですね 「津乃峰神社ではない」という所が
     より古い時代を感じさせますね。 724年に津乃峰神社になったそうですから…
     (津乃峰神社の分祀は小松島市坂野の春日神社にあります)
     最終話を楽しみにしています。(^-^)ノ

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    1. 初めまして。
      2年前からとはありがとうございます。
      でも、その頃の記事はちょっと恥ずかしいかも(笑)
      麻賀多神社は社伝によれば、景行天皇42年の創起ということなので、単純には津乃峰神社より相当古いということになりますね。
      賀志波比売も賀志波比売神社も一筋縄ではいきませんので、ここらは稿を変えて書きたいと思っております。
      とりあえずは一旦、大宜都比売のカタを近々つけますので、よろしくお願いします。

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  3. ぐーたらさん(12)はなかなかですね(-.-)体調を心配しております(ーー;)僕の予想どおり(15)ぐらいまで頑張って欲しいんですけど・・・

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  4. この記事には関係ありませんが、画像をお借りしました。快く承諾して頂き感謝しております。(*^_^*)
    もし、宜しかったら拙記事、ご覧下さいませ。m(_ _)m


    月船物語 水月

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    1. どういたしまして。
      記事は読ませていただきました。
      瀬織津姫をお調べなんですね。
      ならば「愛姫伝」
      http://makild.exblog.jp/

      のサイトはご存知でしょうか?

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    2. 早々、ありがとうございます。m(_ _)m
      たまたま故郷のお宮に瀬織津姫がお祀りされていたので興味深く思い…。調べる等というまでもありませんが。(汗)

      愛姫伝様のブログは時々お勉強させてもらっています。が、じっくりとはまだ読みきっていませんので折を見て熟読させて頂きたく思います。
      ご紹介、ありがとうございました。m(_ _)m

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  5. ぐーたらさんお元気ですか師匠も走る12月、病体に鞭打って走っておられることと思います。
    つい最近、アメノコヤネノミコトの古墳ってどこなんだろうと思いました。あれだけ隆盛を極めた藤原氏だったらなーくここかなと目星のついてる場所もあるのかなぁと。ぐーたらさんお元気になったらでいいのでまたご意見お聞かせ下さい。(まだよくわかりませんがツイッターフォローしてますよ)

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    1. 鞭打たれております。
      もう、ストレスでムチムチです(笑)...いや笑えない。
      >アメノコヤネノミコトの古墳
      ですか。
      えらい難問ですね。
      ちょっと考えてみます。

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    2. おお!師走でこっちが疾走しノーマークの時に記事が出ていた!(^O^)ムチムチになってるけどお元気で良かったです。なーんとなくの"んとな"がとんでましたね。(信じられない飛び方ですが)失礼しました。おおひるめも、タジカラオも、カモノオオカミも、古墳かなってとこがあるなら、アマノコヤネだってそれらしい聖地っぽいとこもあるんじゃないかなと思ったものですから。あれだけ続いて栄えている一族がまさか知らないなんてあるのだろうかと。
      風土記になんか書いてないかなぁとか思ったりして。よろしくお願いします。

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