本当なら『前置その4「大宜都比売命と埴生女屋神と丹生都比売大神」(上)』の続き、(下)を書くべきなのでありますが、諸般の事情でペンディングにさせていただいて
前置その5「大宜都比売命は海を渡ったか?」
を書かせていただきます。
前置き4の(下)については、「まとめ」の中に書かせていただこうと思っております。
で、
前置その5「大宜都比売命は海を渡ったか?」なのですが
鳴門市瀬戸町堂浦の「阿波井神社」をご存知ですか?
この堂浦の「阿波井神社」、本社は対岸の島田島にあり祭神は
「天太玉命」と「大宣都比売命」となっております。
忌部氏の祖神である「天太玉命」と「大宣都比売命」が一緒に祀られているという、稀有な神社であります。
淡路にも南あわじ市(旧三原町)榎列上幡多に「阿波井神社」がありますが、これはここ阿波井神社の分社ということです。
この「天太玉命」と「大宣都比売命」は祀られているということはどういうことなのか。
「阿波誌」を確認してみれば
阿波井祠
在堂浦天正中自古跡谷移舊作粟井或曰粟凡直之廟也....
云々とありますが、「粟凡直(あわのおおしのあたい)」を祀ったのではなく「粟凡直」が「天太玉命」と「大宣都比売命」を祀ったのだということは容易に推測できます。
なぜ「粟凡直」が祖神ではない「天太玉命」を祀ったのか、また祀る場所も「粟凡直」の本拠地である神山近辺でもなく、忌部氏の本拠地である山川、木屋平近辺でもない場所であるのか。
この辺りからは想定の域に入ってしまうので、反論もあろうかと思いますが、あるいは「大宣都比売命」は海を渡ったのではないか、ここから。
渡す手引きをしたのは忌部氏、あるいは忌部氏の祖先。
なぜ、そう考えるのか?
それは、海を渡った先にある神社、泉大津市に鎮座する「大津神社」その現在の境内社である「粟神社」、ここの存在があるからです。
御祭神を公式ホームページより確認すると
御祭神
大津神社は、合祀以前の各社の御祭神、全十七柱をお祀りしています。
本社
もと若宮八幡神社の御祭神
息長帯姫命(神功皇后)
品陀別命(応神天皇)
もと宇多神社の御祭神
素戔嗚尊(お天王)
もと神明神社の御祭神
天照大神
船玉神
もと菅原神社の御祭神
菅原道真公
摂社
粟神社(忌部氏の祖神)
天太玉命
事代主神社
事代主神
「
武甕槌命
経津主命
表筒男命
もと事代主神社の境内神社、住吉神社の御祭神
中筒男命
底筒男命
息長帯姫命
天兒屋根命
もと事代主神社の境内神社、広田神社の御祭神
比咩大神
天照大神
広良神社(もと若宮八幡神社の境内神社)
彦五瀬命
末社
稲荷社
宇迦之御魂大神
となっております。
「粟神社」の祭神は「天太玉命」ということです。
この「粟神社」も由緒を確認いたします。
式内粟宮の由緒
『続日本紀巻三十四』に、
寶龜七年六月甲子。近衛大初位下粟人道足等十人賜姓粟直。
とあります。粟氏は忌部(斎部)氏の一族で、四国の「阿波」、千葉の「安房」など太平洋沿岸に勢力を誇っていました。この粟氏の一派、粟直の人々が、大津に来住して忌部(斎部)氏一統の祖神、天太玉命をまつったものが即ち、粟神社です。
天太玉命は、天照大神が天岩戸におこもりになったときに、岩戸の前で太占(ふとまに)と呼ばれる卜占をし、大きな勾玉を連ねた玉飾り、大きな鏡、楮(こうぞ)で織った白和幣(しらにぎて)と麻で織った青和幣(あおにぎて)を下げ垂らした真榊を捧げ持って大神の出現を願ったと伝わります。
爾来、占いの神、祭具の神として敬われてきました。
『延喜式巻第九』に、
和泉國六二座 和泉郡廿八座(並小) 粟神社
とあります。粟神社はその昔、地方一円の鎮守として栄え、また式内社として広く崇敬を集めていたといいます。しかし、明治の初め頃には境内地も縮小し て後にはわずかに一小祠があるだけとなり、明治新政府により明治41年4月に大津神社に合祀。社殿は境内の現地に移築されました。
「この粟氏の一派、粟直の人々が、大津に来住して忌部(斎部)氏一統の祖神、天太玉命をまつったものが即ち、粟神社です。」
との記載です。
途中に通過点があったのでしょうが、鳴門より泉大津まで渡っております。
が、この由緒は間違っております。
「粟直」の祖神は「大宣都比売命」なのです。
もし、ここに「粟直」の一族が来て「天太玉命」を祀ったのであるならば「阿波井神社」と同様に「大宣都比売命」も祀られていなくてはならないのです。
と、いうことは御祭神から「大宣都比売命」が抜けてしまった、あるいは「大宣都比売命」を「天照大神」として祀っているのかもしれません。
どちらにしても、個人的には「粟直」一族と「忌部」一族が「大宣都比売命」を連れて行った経由地だと考えられるのです。
どこに連れて行ったのかって?
最終目的地は、あそこなんですが、その前に、京都府城陽市市辺字粟谷にも式内社「粟神社」があり、「神社覈録」によれば祭神は「粟直祖神」なので、あるいはこの地を経由して行ったのかもしれません。
といわけで、鳴門→(洲本)→泉大津→城陽市(京都府)
というルートを考えてみたのですが、いかがでしょうか?
ちなみに鳴門には「大津」があり、泉大津は昔「小津」と言っていたのが「大津」に変わったそうです。
いわくありげでしょ(笑)
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