tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post3238915759517807191..comments2024-02-27T03:02:49.317+09:00Comments on ぐーたら気延日記(重箱の隅): 安房神社はどこから?ぐーたらhttp://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comBlogger13125tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-23916106127562047662013-08-25T18:28:24.806+09:002013-08-25T18:28:24.806+09:00非常にコメント遅くなりまして、失礼いたしました。
鳴門の土人さんも仰るように、ローカルな由緒書きや口...非常にコメント遅くなりまして、失礼いたしました。<br />鳴門の土人さんも仰るように、ローカルな由緒書きや口伝が、他地方の由緒と合わないことは承知の上で書いてます。<br />全国区主流から言えば山崎村神社記の岩戸神社由緒などは検証にも値しない世迷い言であると見られているのでしょうね。<br /><br />ただ阿波ベースとしての視点で考えた時(大麻比古神社由緒であるとか)全国区の主流意見のニッチなほつれが見えてくるのもあると考えてます。<br />その辺りの延長として事代主や大国主の本地を考えて行こうと思ってますが、こんなペースですので(笑)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-3619227937596160952013-08-21T19:57:11.448+09:002013-08-21T19:57:11.448+09:00素人の感想です。
阿波に生まれ育ったものにとって大麻彦神社の由緒書きに書いてあるから無条件で信じてい...素人の感想です。<br />阿波に生まれ育ったものにとって大麻彦神社の由緒書きに書いてあるから無条件で信じていたことが全国区からすると???なのは興味深い事です。<br />のらねこさんやぐーたらさんの記事を読んでいるものにとってこのあたりの???がかみ合わないのは目に見えています。<br />阿波説はオリジナルという観点でしょうから資料の信ぴょう性ついて語るのでしょうか。<br />阿波説からすれば全国区の高天原が???なのだから???の枝葉の部分について論争してくれてもあまり面白くないなあ・・・<br />阿波から行ったのかあるいは阿波に来たのかこのあたりから論争してくれると面白そうだなあ。<br />資料の信ぴょう性よりもこのあたりの整理のほうが先じゃないのかなあ。<br />このあたりで論争してくれれば阿波説が全国区に乗り出すきっかけになりそうで楽しみです。<br />鳴門の土人noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-62280520011253955112013-08-20T00:40:12.833+09:002013-08-20T00:40:12.833+09:00コメント失礼します。
大麻比古神社の大麻比古神と猿田彦神についての話は???です。
事代主命を祖と...コメント失礼します。<br />大麻比古神社の大麻比古神と猿田彦神についての話は???です。<br /><br />事代主命を祖とする長国造家の系譜や富家の系譜には、大麻比古は<br />出てきませんし、そもそも徳島の二つの国造の一族の氏族比較に、<br />奈良の三輪高宮系図ではなく長国造家の系譜と粟凡直の系譜で見る方がいいと思います。<br /><br />事代主が富家の系譜であることは、富家の最も根本的な言い伝えです。<br />出雲における事代主神や富家について、興味を持たれると阿波との関連で<br />大変面白いと思います。(土師連なども実は事代主の末裔)<br /><br />(古代弾圧された出雲族は、保身を図って穂日の裔と系譜を変更して<br />いますが、ほとんどが事代主か大名持の末裔です)<br /><br />事代主命を祭る出雲の風土記神社には、美保神社と筑陽神社、揖夜神社<br />などがありますが、安来の賀茂神社には、事代主は祀られていません(神武さん。風土記社でもない)。美保神社は元々は富家の神社でした。<br /><br />安房神社は、太玉命の末裔、長国造の一族の神社。<br />布良崎神社は、天富命を祀っています。日鷲系ではないです。<br />天日鷲命の末裔は下立松原神社の高山神主家(由布津主の後)<br />。不思議なのは、松原臣は、高屋神社の高橋氏と同族なのに日鷲系が<br />神主。<br />安房神社の岡島神主家は、太玉命、天富貴命の末裔であって、天日鷲命や大麻彦命の男系の末裔ではないんです。<br />安房国造は、出雲臣がなっていますしこの点でも符合します。<br />http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14629295.html<br /><br />和泉国和泉郡の式内社に、粟神社(太玉命)と和泉穴師神社(天富命)<br />と阿波と安房にかかわりのある神社があって、地名と古代豪族の<br />移動は一致する事から阿波国那賀郡和泉郷からの鎮座とするのが自然かなと。粟国側が天日鷲系、長国側が天富系。<br /><br /><br />昌幸http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14629295.htmlnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-14509707383316523502013-08-19T22:18:15.469+09:002013-08-19T22:18:15.469+09:00ごぶさたしております。
いつもながらの博覧強記に感心することばかりです。
>長国造家と粟国造の一族が...ごぶさたしております。<br />いつもながらの博覧強記に感心することばかりです。<br />>長国造家と粟国造の一族が移住したと見る<br />これは同意見です。<br />天富命については、まだまだ勉強が足りないのを自覚しておりますので(笑)意見は差し控え背させていただきます。<br />が、確かに天富命についても、太玉命についても単に忌部の祖と言われているだけで、非常に引っかかるものがあると思います。<br />ただ、事代主は、富家の人というところは個人的には?です。<br />事代主は鴨氏であり、安来市には賀茂神社あることから出雲神、つまりは富家の人であるという説は承知してますが<br />天日鷲命の子に大麻比古神がいます。この式内大麻比古神社の神「大麻比古神」は阿波では古来「猿田彦神」と言われてきました。<br />賀茂一族系図では猿田彦神の別名を「都美波八重事代主」と書いていますが、その伝で言えば、天日鷲命は大国主命だと言えるというのが、いわゆる阿波説の一部ではあるんですが。<br />また伊豆沖の神津島に阿波命神社があり、安房神社に先立って阿波忌部が進出した形跡が「三宅記」などにも見られます。ここから布良崎に上陸したのは間違いないと思われますので、安房神社に何らかの関連があってもおかしくないと思うんですが、いかがなもんでしょうか。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-24226386272647042592013-08-15T22:08:41.707+09:002013-08-15T22:08:41.707+09:00お久しぶりです。足跡があったので寄らせていただきます。
忌部は、元々は職業であった訳で、氏族として...お久しぶりです。足跡があったので寄らせていただきます。<br /><br />忌部は、元々は職業であった訳で、氏族としては、徳島から千葉に人々が<br />移動したとすると、長国造家と粟国造の一族が移住したと見るのが現実的<br />かと思います。<br /><br />天富命は天富貴命(あめのふき)とも言いますよね。和泉国和泉郡 泉穴師神社二座<br />の神主家は、安房神社の神主家岡島家と州宮神社の社家小野家と同祖の系譜を持ちます。<br />要するに、天日鷲命の系譜とは違う人たちです。<br /><br />では、天富命はどこから来たのか?<br />和泉国和泉郡にも同族が移り住んでいます。長国は、阿波国那賀郡になりますが、那賀郡には、和泉郷があります。<br /><br />長国造家は、紀伊国の那賀郡にも移住しています。那賀郡の郡司は長国造の<br />子孫がなっています。日置首は普通忌部と捉えられますが、紀伊国那賀郡に<br />おいては、<br /><br />紀伊国那賀郡人右大臣家令兼主殿権充日置首永津、弟掃部少属正八位下日置首今津、賜姓菅原朝臣。天穂日命之後、与大江菅原秋篠朝臣同祖也。<br /><br />と富家(出雲臣)の出自なんです。<br />出雲の日御崎神社の神主家小野家は、天葺根命(あめのふき)を祖としていて、<br />中世には日置と名乗っていましたが、出雲姓でもありました。<br /><br />類聚三代格には、<br />假令ば飛鳥神の裔、天太玉(太玉命神社)、臼瀧(飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社)、賀屋鳴比女神(加夜奈留美命神社)四社<br />とあって<br />太玉命は飛鳥神=事代主命の子孫と伝えています。<br />事代主は、富家の人です、富家の系譜では、天葺根命の子が事代主命なんですよね<br /><br />わたしは、安房神社は、土着系出雲臣(富家)の神社だと思います。<br />昌幸http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-8110150080637560032013-07-30T00:11:42.950+09:002013-07-30T00:11:42.950+09:00でも、幼少の砌(笑)なんで安房(アワ)って同じ呼び方するんだろうとは思ってました。
これはマジです。...でも、幼少の砌(笑)なんで安房(アワ)って同じ呼び方するんだろうとは思ってました。<br />これはマジです。<br />あと山城とか大津とか海部とか、那賀と那珂とか。<br />徳島の子供は結構不審に思ってるんじゃないですかね。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-69186762015794445772013-07-30T00:07:53.498+09:002013-07-30T00:07:53.498+09:00まあ、ホントの所は分らないんでしょうけど、ボクは偶然だと思います。
一旦辿り着いたら次の場所に行くに...まあ、ホントの所は分らないんでしょうけど、ボクは偶然だと思います。<br />一旦辿り着いたら次の場所に行くには準備が要りますしね<br />しばし体勢を立て直してってところじゃないでしょうか?<br />いきなり安房方面に行きたかったんだと思いますよ。<br />或は第二陣、三陣のための中継基地だったのか。<br />あるいは太平洋に乗り出したかったのか。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-66138910332177865652013-07-29T00:23:30.716+09:002013-07-29T00:23:30.716+09:00まあ私だって幾度となく安房と聞いても、阿波とつながりがあるとは思ってもみませんでしたから、まさか!で...まあ私だって幾度となく安房と聞いても、阿波とつながりがあるとは思ってもみませんでしたから、まさか!でしょう。<br />大きな波はちょっと…ですが。<br /><br />これからこれから。<br />そのうち、日本中で競うように“ルーツは阿波だった”という騒ぎがおこるようになるでしょう。<br />そのためにも御身ご大切になさってくださいね。<br />ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-37216480872289935782013-07-28T09:09:23.597+09:002013-07-28T09:09:23.597+09:00素人の興味と疑問です。
なぜこんな離島に第一歩を・・・・
偶然に辿り着いたのならなぜ通過しなかったの...素人の興味と疑問です。<br />なぜこんな離島に第一歩を・・・・<br />偶然に辿り着いたのならなぜ通過しなかったのか。肥沃な土地を求めてなら何が良くてここに拠点を置いたのか。<br />初めからここを目ざして来たのなら何があったのだろう・・・<br />こんな疑問を解明する資料なんかはないのでしょうか。<br />歴史に必然を求めるのが無理なのでしょうか。<br />素人の雑学的な知識では神津島が黒曜石の産地でももう鉄器時代になっているのだから関係なさそうだし、海の幸が豊だというだけではわざわざここを選ぶには理由が弱そうです。<br />変な質問をして済みません。<br />鳴門の土人noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-53604201673242815582013-07-26T22:18:34.565+09:002013-07-26T22:18:34.565+09:00すんません、ダウン寸前でコメできませんでした。
確かにこれだけの足跡があるのですが、安房の人たちの意...すんません、ダウン寸前でコメできませんでした。<br />確かにこれだけの足跡があるのですが、安房の人たちの意識が薄いのが残念です。<br />どこかのブログに阿波命神社(だったかな)のことを<br />「阿山は大きな山の意味だが阿波というのは大きな波の意味だろうか」<br />などと意味不明の文を見かけたことがあります。<br />わざとかな?ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-52198860262685548842013-07-23T20:32:09.761+09:002013-07-23T20:32:09.761+09:00なんと明確に足跡を記しておられるのでしょう!
この国を拓いていった先人たちの姿を想像すると感動します...なんと明確に足跡を記しておられるのでしょう!<br />この国を拓いていった先人たちの姿を想像すると感動します。<br /><br />といっても、2,000年のコロッセウムや2,500年前のパルテノン神殿が堂々と歴史を語っていることと比べたら、ほんの1,500~1,600年程前の歴史がまるでおとぎ話のようになってしまった日本史がヘンなわけで。<br />神社や古墳たちが“ホンネ”で語り始めるのはもうすぐ、ですね。<br />わくわく、楽しみにしています。ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-39449030994751897212013-07-18T21:25:09.360+09:002013-07-18T21:25:09.360+09:00ご存知でしたら失礼になりますが
東京都の神津島に「阿波命神社」があり、そこが第一の到達地と思われま...ご存知でしたら失礼になりますが<br /> 東京都の神津島に「阿波命神社」があり、そこが第一の到達地と思われます。<br />http://goutara.blogspot.jp/2010/12/blog-post.html<br />http://goutara.blogspot.jp/2011/09/blog-post_09.html<br />続いて<br />布良の布良崎神社(めらさきじんじゃ)から官幣大社安房神社へ<br />http://goutara.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html<br />そして<br />関東から<br />http://goutara.blogspot.jp/2012/03/blog-post_10.html<br />東北へ....<br />以降がまだ書けてないですぅ。<br />でも、我ながら、よくこれだけ書いたなって思いますね、呆れてしまいます(笑)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-83492593817414966812013-07-17T20:15:50.974+09:002013-07-17T20:15:50.974+09:00お久しぶりです。
ここ、調べていました。ありがとうございます。
道標にしますね。
阿波から安房へ、...お久しぶりです。<br />ここ、調べていました。ありがとうございます。<br />道標にしますね。<br /><br />阿波から安房へ、そして東北へ!<br />なんて、頑張っていましたら、<br />佐伯さん達に連れられ摂津へ。<br />はい、返り討ちです。<br />偶然のタイトルに感謝と感動です。babymamanoreply@blogger.com