うん、今年はおかしいです。いろいろありすぎます。いや、身辺にですが。
もちろん書けませんが。
こんなのも必要な昨今です。
さて、と。
阿波市阿波町新開 賀茂神社
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祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
意富加牟積尊(おおかむすみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
一般的な賀茂神社、例えば京都の上賀茂神社ならば御祭神は賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)である、ところが当神社に関しては御祭神となっていない。
由緒
もと蜂須賀公の崇敬社であった。『阿波志』に「別雷祠 朽田村に在り 旧中野村に在り 貞亨元年ここに移す 越智通玄偃月刀一枝を納む 備中水田源国重造す・・・」とあるとおり、元、中野村に鎮座していたが伊沢市の住人河野六郎太夫という者の発願により貞亨元年(1684)現在の地へ移し祀ったといわれている。
徳島県神社誌
遷宮については臨川寺の住職鉄崖和尚も協力し棟札は鉄崖の書である。
昔鳥居の前にご祭神が落雷した雷を伏せこんだといわれる緑泥片岩の岩板がある。
徳島県神社誌
この伝説については社地内に由来を記したこのような碑があり。
これがその「雷伏石」で、この裏側に雷が落ちて伏せ込まれたという井戸がある訳なんですが。
この伏せ込んだ「雷伏石」見て下さい。なんと見事な「盃状穴」を持っています。
あるいは「丹摺り石」!!!
「丹摺り石」とは「丹」、「朱丹」を精製するために使われた台石の事です。
また、「丹」は「水銀朱」の事で古代祭祀のとき赤色として化粧や葬祭時に使われました。縄文時代から弥生時代にかけて、阿波産の「丹」が全国で使われていたことは周知の事実です。
徳島新聞の「辰砂 神聖さ表す朱色の原料」より
http://www.topics.or.jp/nie/117307666665/122688766452.html
ここまで書けば、何が言いたいのか分っていただけるでしょう。
ある一つの説の傍証になるという事です。
詳しく説明はしません(疲れてるから)。
「祭神怒りて大岩で伏せ込めば」
御祭神が「この岩」で伏せ込んだのです。
この「丹摺り石」で。
次、また間が空いたらごめんね〜。
体力も気力も限界に近いのよ〜。
八人塚古墳はちゃんと行きますよ〜。
こんばんは~♪
返信削除近くまで来ていたのですネ!!
瀬詰橋を渡ったら、すぐ・・・ではないですが・・・近くです(^O^)♪
徳島市の考古博物館あたりかなと思っておりました♪
「銅鏡」も見たいし・・・o(^▽^)o
どこでも構いませんので、前日にでも告知してください(^O^)!!
ぐーたらさん、こんにちは。
返信削除鳴池線に面した賀茂宮さん、阿波史のことをあまり知らない頃にお参りに行っていたので忘れていました。
なにせ便利すぎ、境内の人間臭さが気になって有難みを感じずにいたような記憶があります。
“人間臭かった”のは私のほうであったと反省し、今度の機会にじっくりご挨拶したいと思います。
ありがとうございます。
なにかと落ち着かない24年もあと少し。
なんとか休み休み乗り越えられて、新年を迎えてくださいますようお祈りしています。
賀茂宮は一見俗物じみて見えますね(笑)
削除「雷伏石」だってこれ見よがしですものね。
でも賀茂社で雷神を封じるって言うのは「いかにも」なにかを隠してるようで気になる所です。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
返信削除私は一応ここの氏子でして、去年息子のお宮参りもここでさせて頂きました。その時のお太夫さんの祝詞が素晴しく、つい眉山の忌部神社(一昨年結婚式をさせて頂きました)と比べてしまい、やっぱ急造の新しいとこはダメだな~、と思ってしまったのを思い出しました。(笑)
しかし氏子のくせにご祭神のことは全く知らず、てっきり賀茂別雷大神だと思っていました。
なんでだろう?今度お太夫さんに会ったら聞いてみよーっと。
ご覧になっていただいていたとは、ありがとうございます。
削除いいところの氏子さんですね(笑)
眉山の忌部神社は明治にできたので、まあ新しいですよね(笑)
御祭神の事はぜひ聞いてみて下さい。
また、なぜ越智氏が刀を奉納したのか。越智氏の系統である河野氏がなぜ移転を主張したのか。
ひじょ〜に気になります(笑)