2012年5月20日日曜日

板野町 岡上神社

うだうだ書きますと嫌がられるのは承知の上なんですが
いいんです、ボクのブログなんだから。
はい、忙しいです。疲れてます。オヤジです。
神社とか史蹟とか行く暇ないです。ブログなんか書く体力残ってません。
書いてもロクなもん書けないの自分で分ってます。資料なんて調べる気力も無いです。
下り坂のオヤジです、ウダウダうだうだ。

さてと
板野郡板野町大寺字岡山路に鎮座まします「岡上神社」でございます。
ちなみに今日とか行った訳じゃないんですよ、もう大分前になります。
場所はここ

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見てお分かりのように、かの板野郡の「大寺」そして「岡山」です。
マップを見ると近くには「吹田」地名。
また「亀山神社」など、あり〜のえらい場所でございます。
御祭神 豊受姫命

配祀
奧津比賣命  猿田彦命  草野姫命
市寸島姫命  日本武命  楠正成公

延喜式内小社
無精の尊崇厚く、源義経屋島に向かう折、当社に詣でて武運長久を祈願したと伝えている。
藩主蜂須賀公の崇敬社で、毎年初穂米五石を奉納されたという。
また、当社は農業神として近在の農民からも厚く信仰されていた。
明治四年(1871)に村社に列せられ、大正四年(1915)近在の王子宮、若宮神社、山神社
楠木神社を合祀し、更に大正七年(1918)郷社に列せられた。
徳島県神社誌
とのことです。
さてと、写真は、と。

 創立年代は不詳

元々は岡のふもとに祀られていたが、寛政元年に、岡の上に遷座されたようです。

 つまりは「岡の上」だから「岡上神社」ではないのです。
先にネタバラしをしてしまえば、「岡上」は「おかのうえ」とは読まず「おかのかみ」
なのです。
こーんなオヤジ殺しの石段を上りますが「丘の上」じゃない。

そして「おかのかみ」か「うかのかみ」の訛りであります。
御祭神が「豊受姫命」であること
農業神として近在の農民からも厚く信仰されていたこと
神紋が「丸稲束」と書かれていることより
「宇迦の神」つまりは「宇迦之御魂神」であることは間違いないでしょう。
「阿波学会研究紀要」などには、はっきり「倉(うかの)稲魂(みたま)命」って
書いてあるけどね。
ならば、元はどこに祀られていたのか。
これはもう推測でしかありませんが
岡上神社から100m程南に、古くから「岡宮の塚穴」として知られていた古墳があります。
(まだ、行ってないけどね、テヘ)
この古墳は、昔、この地方の人々が婚礼や法事のため沢山の食器を必要とした時、入用の
食器の種類と数をお願いすると、約束の時間に全部整えられていたという伝承があります。
時には銭まで準備してくれることもあったので土地の人々は大変重宝で感謝していたそう
ですが、ある時、村の一人が借りた食器を返さなかったので、その後はもう村人の願いを
きいてくれないようになったと伝えられています。
 また、この古墳から祭祠用の須恵器類が多量出土しております。



あるいは、ここが宇迦(うか)の山の麓ってか、などと考えてみたり、みなかったり
(どっちだよぉ)。

冒頭に徳島県神社誌から引用しましたが

大正四年(1915)近在の王子宮、若宮神社、山神社、楠木神社を合祀し


此の中のどこかの神社に「日本武命」が祀られていたのでしょうが場所が分からない。
(誰か板野郡史見て来てよぉ、行く間が無いんだよぉ)
「樫原神社から熊野神社」と「亀山神社(近くの白鳥神社)から宇志比古神社」の
間の空白を埋めるのではないかなと、思ったり思わなかったり(そればっか)。
何の空白かって?
もういいじゃない、はっきり書くの嫌いなのよ(笑笑笑)。

さて、この「徳島県指定天然記念物『岡の宮の大クス』」は何を見てたんでしょうね。
「変なオッサン、はよ帰れ」とか(涙)
いかん、書き忘れてた。
この大クスのことは「御神鏡」と呼ばれているそうです。
大正3年、参道の石垣を改修しようとした時、曲玉管玉水晶玉、藍色珠数などが出土した
そうである。また、石段の竹林の中に、のぼり窯の跡があり古代瓦が焼かれた所かも知れ
ないとのことである。

もう、構成もなんもない書き方だなぁ。
いや、今まで構成なんてあったか何て突っ込まれても困るんですが。

13 件のコメント:

  1. 神社を廻るとき・・・車をどこに停めるか・・・悩みます!!
    気が小さいので・・・身体は大きいけど・・・(笑)・・・
    出来るだけじゃまにならないオートバイで行くようにしていますが・・・(笑)!!
    うろ覚えですが・・・岡の上の住宅地が造成された時・・・工事で古墳が破壊されたと聞いたような・・・?!
    このあたり・・・古墳だらけですものネ・・・!!
    (*^_^*)♪

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    1. to すえドンさん
      ここも車を止めるところが無くて困りました。
      その上、ちょうど行った日がこの辺りの一斉清掃日で
      近所の人たちが攻めて来て逃げ惑っておりました(笑)
      >岡の上の住宅地が造成された時
      あの住宅地ですね、見るところまんま古墳跡の雰囲気ですね(笑)
      八万の恵解山古墳も造成で無くなりましたしね。
      美馬の開発計画かなにかあったのはどうなりましたか?

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  2. こんばんは。香川のLEDです。2回目のお邪魔です。(相変わらずプロフィール欄は匿名としか入力できませんが)「碗貸し」の話が残る古墳は香川にもありますね。善通寺市の「吉原椀貸塚」だったと思います。
    昔私のお師匠さんに「ここが石舞台だよ」と連れて行かれた所で、規模は小さいですが構造と配置は奈良の本家を彷彿とさせるものでした。昔と違い現在は公園としてきれいに整備されています。伝承されている御伽噺の中に込められた真実とは何か考えると、とても面白いですね。又ほぼ同じ内容の伝承が違う土地に残っていることも非常に興味深いですね。

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    1. to 匿名(香川のLED)さん
      こんばんは、そこ「吉原椀貸塚(大塚池古墳)」も多分祭祀用の須恵器類の出土があったんでしょうね。
      土器、須恵器などの製作に長けた一族の長、もしくは作物の豊饒を司る神の裔が祀られているのでしょうね。
      奥壁鏡石に刻まれた六名の人物、西側の三名の武人が無茶苦茶気になりますね。
      ご存知ならば、ぜひぜひ書いて下さいませ(拝礼)。

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  3. 伊古彦ちゃん2012年5月21日 19:22

    ぐーたら先生。こんばんは。(ぺこり)
    実はねぇ。板野町は私の「テリトリー」だったんです。
    若かりし頃ね。(笑)
    まあ、そのあたりを縦横無尽に徘徊?してましたが、
    日本武命はきっと、もう少し東方の「阿波川端駅」北方の
    「諏訪神社」に合祀されていると思われます。
    「精神的」に板野町に育てられた青春時代でした!
    他の地域に行っていたなら、また違う人生を送ったでしょうけど、
    板野で良かったって思います。
    じゃないと、今の家族も想定その2・・くらいに消えてしまう
    でしょうからね。
    かなりレアな情報も記憶しておりますので、
    お疲れでない時、またご質問を承りますよ。(笑)

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    1. to 伊古彦ちゃん
      こんばんは、お待ちしておりました(笑)
      >板野町は私の「テリトリー」だったんです。
      どんなテリトリーなんですか(笑)
      >「諏訪神社」に合祀されていると思われます。
      うわー、あんましヤバそうな事は小出しにしませんか(笑)
      大麻、板野、土成近辺マジ、ヤバいんで書くのに気を使いますぅ。
      レアな情報もぜひお聞きしたいんですが、引っ張り出すのにまた
      勉強、調査が必要だという罠が待っております。
      最近、またまた八万近辺をうろつこうと画策しておりましたが、手前の
      七ツ山辺りでビビってしまいました。
      その辺りもご教授いただければ望外の喜びでございます(笑)

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  4. あぁ、「ウカのかみ」か!
    先日お参りに行きましたが、ほんまに岡の上の神様、だわいと…。ウカつなことでした。
    それにしても、造成のまえに発掘調査しないものなんですかねえ。たいしたモノが出るわけないと思い込んでいるんでしょうか。

    ひとつ気になったのが、あのオヤジ殺し(たしかに)の石段が真南ではなく少し東寄り(東南東)だった点です。社殿のうしろの広場に立ってみると眉山を越えて中津峰山~那賀地方を見つめている感じで、そんなつながりがあったのかな、と想像しました。どうでしょう。

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    1. to ALI爺さん
      そっすね。「宇迦の神」で間違いないでしょう。
      少し南に下れば古城から中富(中臣ね)で板野町中久保には気比神社(仲哀天皇を祀る)が。
      少し北へ戻って「香殿神社」は「天忍穂耳命!」を祀っておられます。
      なかなか想像しがいがあるでしょ(笑)。

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  5. 造成中に本殿の北北西30~40mに青石の石棺があったので、
    町が石碑でも建てるのかなと思いましたが、
    商売に障りがある為か、跡らしきものはない。
    直上を分譲宅地としないで、何もない草地となっている様だ。
    韓崇山古墳群(字岡山路おかやまじにある古墳時代中期―後期にかけての一一基からなる古墳群)
    というらしい。 https://kotobank.jp/word/%E9%9F%93%E5%B4%87%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4-3092011
    塚穴は岡上神社の石製鳥居から50m東南東にあって、私の父も幼年期に塚穴で遊んだようだ。

    この西隣村の犬伏の諏訪神社にも塚穴があったが、
    跡形はなく近所の水路の橋となっている。
    二畳大の天井石らしき青石で、町の歴史巡りの表札が建っている。
    この諏訪神社から300m西北西に久米神社があるが、
    この久米神社は清和源氏の小笠原氏を祀っているので関係者の久米さんに尋ねると、母方が久米姓だが父方は小笠原姓らしい。
    阿波の久米の系図には、犬伏系と芝原系などがあるらしい。

    久米氏考 (ek1010.sakura.ne.jp)

    久米直五郎, 冊子全体 (tokushima-u.ac.jp)

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    1. 10年も前の記事にコメントありがとうございます。
      久米氏は非公式にはもう一系統ある様で石井町に久米庄(くめのしょう)と言うところがあった様です。
      石井町の久米勝夫氏による調査では、昭和55年時点で全国の久米姓は5461戸、徳島県には540戸と10%もの割合だったそうです。

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  6. 岡の宮の久米氏は、犬伏の久米と株が違うらしい。
    岩津の淵までの虫送りの伝承が残されていたようです。
    また、祭神が保食神で、境内が五角形だったので、阿波国で地神碑が免ぜられたのは、ここだけです。
    、、、と、小林茂夫さんが、仰られていたようです。
    岡の宮の久米氏は、阿波町の川人と縁組があったので、昔から何かの縁があったと思います。

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  7. 210-犬伏の久米神社 (ぐうたらさんへ)

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  8. 画像が送信出来ないようです。すみません。

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