tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post3925287562117359622..comments2024-02-27T03:02:49.317+09:00Comments on ぐーたら気延日記(重箱の隅): 阿波国は本当に粟国なんですか?ぐーたらhttp://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comBlogger56125tag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-57389912876694322692014-09-05T21:48:32.710+09:002014-09-05T21:48:32.710+09:00ありがとうございます。
ご意見などあれば、書き込んで下さいませ。ありがとうございます。<br />ご意見などあれば、書き込んで下さいませ。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-68471960957022630732014-09-05T10:22:40.747+09:002014-09-05T10:22:40.747+09:00とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!とても魅力的な記事でした。<br />また遊びに来ます!!封筒の書き方http://www.mensetsu-check21.net/fu-to-.htmlnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-64080878680866862892013-01-25T20:12:48.007+09:002013-01-25T20:12:48.007+09:00回向、でしょうね。
私たちの回向にも、どこか“安らかに”眠って出てこないでねという意識がありますもの...回向、でしょうね。<br />私たちの回向にも、どこか“安らかに”眠って出てこないでねという意識がありますもの。<br /><br />不比等のあがきの理由を探れば、きっと蘇我氏のことも浮かび上がってくるのではないでしょうか。<br />そのへんの探索、ぜひ曽我氏神社のお近くにお住いの皆様方にお願い申し上げます。<br />理由不明ですが、なぜか蘇我一族が好きなんです、私。ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-3091166574204970582013-01-24T22:21:37.950+09:002013-01-24T22:21:37.950+09:00遅くなりました、すいません。
不比等は何かあがいてるように見えて仕方ないです。
(どこがと云われたら...遅くなりました、すいません。<br />不比等は何かあがいてるように見えて仕方ないです。<br />(どこがと云われたら困るけど(笑))<br />確かに1番から8番までの直線ルートと比べると10番切幡寺から11番藤井寺へはひじょーに不自然ですね。<br />それと遍路には、回向の意味もあったのではないかとか、思ったり思わなかったり。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-15861080086255629742013-01-23T13:42:26.454+09:002013-01-23T13:42:26.454+09:00なるほど、そうですね。
メシア降臨を主導したエッセネ派のことが聖書にはまったく書かれていないのと似て...なるほど、そうですね。<br />メシア降臨を主導したエッセネ派のことが聖書にはまったく書かれていないのと似ています。<br /><br />それにしてもここまで天武帝が呪われた帝だったのだと主張されると、『日本書紀』の編纂のうしろにいた藤原不比等と子供たちが、天智系と自分たちの正当性、そして大倭への遷都の正当性を訴えているのは明らかでしょう。<br />泉涌寺に今も天武系の帝たちが祀られていないのは“残して封印してきた”からなんですね。<br />四国遍路には、その封印(結界)が解けないように、という意味もあったのかもしれません。<br />となると、高野山を押さえたことにも別の意味があったかも。<br />切幡寺まで西に進み、(郡里廃寺あたりを避けるように)一気に南下するコースの不思議さの答えも…?<br />あ~止まらない…<br /><br /><br />ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-3034774069047563112013-01-21T21:27:22.217+09:002013-01-21T21:27:22.217+09:00ああああぁぁぁ、やっと分ったぁぁ。
物わかりの悪い弟子ですいませんねぇ。
みんながこれだけ核心につい...ああああぁぁぁ、やっと分ったぁぁ。<br />物わかりの悪い弟子ですいませんねぇ。<br />みんながこれだけ核心について書いてくれてるのに、今の今までイメージにならんかったとわぁぁ。<br />検証不可能ですけど、歯車がはまってしまいました。<br />ありがとうございます。<br />やっぱ、あそこは霊験あらたかだわ(笑)<br />ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-72863707557963637322013-01-20T22:33:18.929+09:002013-01-20T22:33:18.929+09:00いやいや、この記録で何も記されていない全てが「記録の主体地である倭国」、すなわち阿波国ですから、わざ...いやいや、この記録で何も記されていない全てが「記録の主体地である倭国」、すなわち阿波国ですから、わざわざ国名を書いていないだけですよ。<br />「寺塔、神社、破壤之類」とありますが、白鳳時代建立という美馬の郡里廃寺もこのとき崩壊したかもしれませんね。<br /><br />「伊豆嶋」「信濃國」「紀伊國・牟婁」だって、倭(阿波)内の「諸國」かもよ?っていう話です。<br />長野「信濃國」、和歌山「紀伊國」っていうのは、8世紀頭の命名でしょう。<br />この記録は7世紀後半のものです。<br /><br />「遷都(故地)を隠す」ということに関しては、もっと検証が必要ですが、まあ、四国全体を「呪われた島」と「感じた」わけですからね。<br />いうなれば、しめ縄を張り巡らせて「禁断禁足の地」としたわけです。<br />それを完成させたのが空海ということになりますが。<br />これを理解するためには古代人の祟りに対する感じ方を実感するしかないです。<br />現代人のように地震や津波のメカニズムを理解しているわけではない人々が、それらをどう感じたか?ですね。のらねこnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-27224970264869272382013-01-20T21:54:48.153+09:002013-01-20T21:54:48.153+09:00>amaつながりですね
ふーむむ、ということは「安曇」は「海(あま)曇」
「海部」はそのまま「あまべ...>amaつながりですね<br />ふーむむ、ということは「安曇」は「海(あま)曇」<br />「海部」はそのまま「あまべ」ってことで、同じ阿波国(ややこしいな)に住んでた地区が違うだけのお隣さんだったわけですね。(なんちゅう比喩じゃ)<br />なんかイメージ湧いてきたなぁ(間違ってるかもしんないけど)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-61085943433969597582013-01-20T21:49:15.588+09:002013-01-20T21:49:15.588+09:00なるほど、それならば、大麻比古神社の祭神が猿田彦から大麻比古に変わったことの説明がつきますね、納得で...なるほど、それならば、大麻比古神社の祭神が猿田彦から大麻比古に変わったことの説明がつきますね、納得です。<br />>井開氏の大宮八幡神社には、天石門別豊玉比賣神社が境内に大切に祀られていて<br />それは間違いないです。豊玉比賣命は安曇のいわゆる綿津美族ですので、長国とは同系列でしょう。<br />時代による力関係で祭神とか呼び名が変わってくるのは承知していたつもりなんですが、こうやって指摘されるまで気付きませんでした。<br />何度もありがとうございます。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-5307794726241545192013-01-20T19:35:10.766+09:002013-01-20T19:35:10.766+09:00安曇は「アズミ」ではなく、「アヅミ」で、「アマ-ツミ」の略ですから
ama-tumi ama-be、...安曇は「アズミ」ではなく、「アヅミ」で、「アマ-ツミ」の略ですから<br />ama-tumi ama-be、でamaつながりですね。(^^)のらねこnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-42334722223382749072013-01-20T06:16:14.035+09:002013-01-20T06:16:14.035+09:00天ノ日鷲の子大麻比古命(津杭耳命)の妻ですので、会ったかも
しれないですね。大麻比古と縁のある猿田彦...天ノ日鷲の子大麻比古命(津杭耳命)の妻ですので、会ったかも<br />しれないですね。大麻比古と縁のある猿田彦は富家では稲田宮主須<br />賀之八耳命の事と言われていて、阿曇氏(出雲族)の影響があった場所に<br />忌部族の方が影響力が強くなって、大麻比古を祀ったと考えられます。<br />ご存知と思いますが、井開氏の大宮八幡神社には、<br />天石門別豊玉比賣神社が境内に大切に祀られていて、<br />豊玉比賣命は阿曇氏の人ですから阿曇と長国造の<br />井開氏は繋がっているように思います。<br />姓氏録に阿曇連等の祖天造日女命(旧事本紀の天道日女尊の事か?) <br />とあって出雲族と同じく女系であった事も伺えますね。<br />筑摩の安曇犬甘氏は大伴氏流とも言われますが、<br />富家の伝承では、本来大伴は、天村雲命にお供をして倭に行った<br />と言われていて、大名持系の神門臣です。天道姫は大名持の娘です。<br /><br />天富命は太玉命の後裔と言われますが、海部氏の系譜にも<br />天富命ではないかと思われる、阿麻刀弥命(笠島系図)があります。<br />天忍(海)人-阿麻刀弥命(姪に孝昭帝の后世襲足媛)<br />系譜的にも、阿麻刀弥命と天富命は近いところにあります。<br />阿曇が出雲系で、海部が忌部系ではないかと思います。<br />昌幸http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14784689.htmlnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-56324963996088562732013-01-19T22:40:57.665+09:002013-01-19T22:40:57.665+09:00だって、今回の記事のコメントとその検証だけで一冊できちゃいますぜ、ホントに(笑)
とてつもないコメン...だって、今回の記事のコメントとその検証だけで一冊できちゃいますぜ、ホントに(笑)<br />とてつもないコメントが集まってしまいました。<br /><br />確かに「日本書紀」の記事には「阿波」が震災を被った記事がありませんよね。<br />阪神淡路のときも、徳島は70㎞はなれていただけで、ほとんど被害はありませんでしたので、土佐、伊予で地震があっても、被害は無かったんでしょう。<br />逆に記事があれば、首都が壊滅した記載などがあるはずなので、言い方悪いですけど「惜しい」ですよね。<br />で、「次」は阿波かとビビったんでしょうか?各地の「阿波」から進言があったんでしょうか?<br />もひとつだけ疑問なのは、地震で遷都を決めたとすれば、それを隠す必要はあったんでしょうかね。<br />そこらで「唐」が攻めてくるっていう理由が加わるんでしょうか。<br /><br />あああ、こんなの言ってると、終わんないよぉぉ。<br />でも、いつまでもこの記事で書いてられないから、一応次へは行きますよ(笑)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-55685090202638613862013-01-19T22:22:46.154+09:002013-01-19T22:22:46.154+09:00なるほど「ア」は「アズミ」ですか。
ここら、ボクの頭の中ではぐちゃぐちゃです(笑)が、
振魂命-武位...なるほど「ア」は「アズミ」ですか。<br />ここら、ボクの頭の中ではぐちゃぐちゃです(笑)が、<br />振魂命-武位起命-椎根津彦命ときて、椎根津彦命と天日鷲命が出会ってる(日本書紀)ということでいいんでしょうか?<br />信濃にも安曇犬甘(いかい)氏があり、東へ圧されて行った様が見て取れますね。<br />忌部と阿曇氏の協力関係があれば「粟国」と「長国」の「合併」がスムーズにいったことは納得できます。<br />物部/越智氏と当初、敵対関係にあったこともイメージとして分ります。<br />多分、そこらの理解のレベルが違うんで、的外れかもしれませんが、「ア」が「アズミ」なら色々妄想できる事があって嬉しくなってきます。<br />深いお話ありがとうございます。<br />ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-74748403716160857962013-01-19T11:43:43.430+09:002013-01-19T11:43:43.430+09:00ぐーたら先輩が店仕舞いされるまえに (^J^)
天武時代に起こった最大のが「白鳳地震」と名付けられ...ぐーたら先輩が店仕舞いされるまえに (^J^)<br /><br />天武時代に起こった最大のが「白鳳地震」と名付けられている南海(東南海)地震。<br />のらねこ先輩があげてくださった日本書紀の翻訳・解説が Wikipedia にありましたので転載させてください。<br />漢文は苦手なので:<br /><br />684年11月26日(11月29日;天武13年10月14日)<br />白鳳地震M8.25、死者多数。<br />亥時(午後9時 - 11時頃)になって大地震があった。<br />土佐で津波により大きな被害。<br />伊予温泉(道後温泉)は埋没して出なくなり、田園(約 12 km²)が海面下へ沈下。これは『日本書紀』の南海地震の最古の記録である。<br />地質調査によれば、ほぼ同時期に東海・東南海地震も発生。<br /><br />発掘調査 <br />『日本書紀』による記録は、南海地震を示唆するもののみであるが、発掘調査によりこの南海地震の発生が裏付けられ、さらに同時期に東海地震や東南海地震の発生を示唆する痕跡が発見されている。<br />東海・東南海地震の痕跡 静岡市川合遺跡では7世紀中頃の遺構と埋土が砂脈に引裂かれ、8世紀の遺構は砂脈を削り込んでいることから、7世紀中頃から8世紀の間に砂脈が生成したと考えられる。<br />1989年末から行われた発掘調査では、静岡県袋井市の原野谷川の自然堤防上にある坂尻遺跡において、7世紀後半と推定される液状化の痕跡が発見された。<br />1992年には愛知県一宮市の田所遺跡において、噴砂の痕跡が発掘された。<br />2011年には志摩半島沿岸のボーリング調査で海洋生物の死骸を含む津波堆積物が9層発見され、上から3番目のものが白鳳地震の時期に一致した。<br />2000年には三重県尾鷲市大池で合計10層の津波堆積物が発見され、上から4番目のものが7世紀の14C年代を示した。<br />南海地震の痕跡 和歌山県では紀ノ川北岸にある川辺遺跡から、7世紀後半から8世紀初頭と推定される砂礫層の液状化現象の痕跡が発見された。<br />奈良県明日香村の酒船石遺跡では石垣が7世紀後半に達磨落しの様に崩壊した痕跡が発見された。<br />淡路島の汁谷遺跡では7世紀後半に当時の住居が砂脈で引裂かれた痕跡が発見された。<br /> <br />これらの調査により、東海地震・東南海地震もほぼ同時期に起きたことが裏付けられた。<br />また『日本書紀』にはこの夕刻に伊豆嶋の西北で噴火があり島が生じたとする記録もあり、伊豆諸島の噴火を誘発した可能性も考えられる。<br />大分県佐伯市間越龍神池で発見された津波堆積物から、白鳳地震は、正平地震および宝永地震と並ぶ大規模連動型地震であったとも推定される。<br /><br /><br />日本書紀の“最古の地震記録”が土佐と伊予の細かい話を載せているですね。阿波に首都があった傍証のひとつになりそう。<br />伊豆の話も、海伝いに都に伝わってきたのでしょう。<br /><br />天武天皇七年の際、「是時百姓一家有岡上」って、岡上に百姓一家が居た?<br />山の人々は揺れたけれど被害はなく、あとで驚いたってことでしょうか。<br /><br />ともあれ、100年一度の割で太平洋岸でM8クラスの地震が起こっているんですね。<br />白アリに食われたウチの柱、まずい。耐震補強を考えなくちゃ。ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-90333987298382733982013-01-19T01:05:25.033+09:002013-01-19T01:05:25.033+09:00「ア」とは「アズミ」ではありませんか。
古代氏族系譜集成の阿曇氏の系譜に、振魂命の子に黒島磯良御気
...「ア」とは「アズミ」ではありませんか。<br />古代氏族系譜集成の阿曇氏の系譜に、振魂命の子に黒島磯良御気<br />姫(津杭耳命妻、由布津主母)<br />とあって、忌部と阿曇氏の協力関係が見て取れます。<br />阿曇氏には阿曇犬養(いかい)氏がいて、海犬養氏とも言います。<br />長国造の後裔、佐奈河内の井開(いかい)氏は長国造系譜に出<br />てくる御間都比古神社や大宮八幡の社家ですよね。<br /><br />物部族に海部族と出雲族の王朝が負けて東に少しずつ<br />押されていったと聞いております。初期阿波王朝<br />からすると、物部/越智氏は敵ではないかと。<br /><br />富家の話では伊香色雄命の子、十千根命が出雲を攻撃し、<br />同時に倭を攻撃したと聞いております。<br />伊加加志神社は、攻撃者の記念碑ではないかと。<br /><br />昌幸http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/14784689.htmlnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-30463267531234819952013-01-18T23:48:38.881+09:002013-01-18T23:48:38.881+09:00はよ、次の記事書かにゃ、えらい事になっちゃいますな。
(ひとりごと)
はよ、次の記事書かにゃ、えらい事になっちゃいますな。<br />(ひとりごと)<br />ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-30703612098521200562013-01-18T23:45:54.497+09:002013-01-18T23:45:54.497+09:00やっぱ、忌部、海部の関係でしょうね。
大杉神社の祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。
「阿波(あば...やっぱ、忌部、海部の関係でしょうね。<br />大杉神社の祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。<br />「阿波(あば)」から「アンバ様」へ変わったと云う事です。<br />アンバの語意は不明ということですが、忌部の東征を知ってる人には明白じゃないっすか。<br /><br />それにしても、今回は誰がどこに何のコメントを書いたか、ぜ〜んぜん分んないっすね(笑)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-87569288773505655382013-01-18T23:37:23.720+09:002013-01-18T23:37:23.720+09:00いやイヤ、面白いですね(笑)
「イヨの二名島」はご同様に前々から気になっておりました。
というか「伊...いやイヤ、面白いですね(笑)<br />「イヨの二名島」はご同様に前々から気になっておりました。<br />というか「伊予」は秦氏の関連だと。<br />もっとトンデモ説を出すと徐福の関連であるかとも。<br />徐福の「徐」を分解すると「イ」と「余」。<br />うそ、ウソ、嘘、ピョーン。<br />アメリカンジョークですって(笑)ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-27637393190095820682013-01-18T17:09:22.962+09:002013-01-18T17:09:22.962+09:00ぐーたらさん、コメント入れ過ぎですが、すみません。
ご存知かもしれませんが、アンバ様(阿波様)という...ぐーたらさん、コメント入れ過ぎですが、すみません。<br />ご存知かもしれませんが、アンバ様(阿波様)というのを見つけました。<br />千葉、茨城、福島、岩手など太平洋岸の漁村で信仰される神様で、<br />常陸阿波村の大杉大明神とも言われていたり、船霊様の親神様だと言っていたりする所もあるそうです。<br />一定の祠を持たぬものが多く、船乗りの若者が休みを要求したりする時にアンバ様を祀るのだとか。<br />漁具を船から取り外してアンバ様を飾ると、船を出すことが出来ず、<br />無理に出せば難船すると信じられているということです。<br />アンバの語意は不明とのこと。漁網の浮子とは関係があるかどうか明らかでない。(民俗学辞典より)<br /><br />海の人たちの本拠地は九州のように一般には言われていますが、海の人たちが信仰する神様が<br />阿波様という、このことだけでも九州じゃないって思います。<br /><br />サクラサク4869noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-90138171358662632322013-01-18T00:38:07.719+09:002013-01-18T00:38:07.719+09:00古事記は時系列的にはいいかげんなところがあるし、現在の文章感覚での国史ではありませんから、本当に国生...古事記は時系列的にはいいかげんなところがあるし、現在の文章感覚での国史ではありませんから、本当に国生みがあった(と表現されている)時代には、まだ粟国や讃岐国といった国名は無かったでしょうね。<br />あくまで古事記を書く時点での呼び名を使って国名表記しただけじゃないでしょうか?<br /><br />五穀の発生は、あくまで大宜都比売が食の神だということを表現しただけで、シャンプーのない時代の頭髪を蚕に、まつ毛を稲に、耳毛を粟に、鼻くそを小豆に、陰毛を麦に、○ん○を大豆に例えただけで、一部の先生が言うような深い意味はないと思います。<br /><br />でも、もともと、<br /><br />イヨはあったでしょうね。<br />ナカもあったでしょう。<br />ツサ(トサの前はツサだったらしい)もあったかも?<br />あとが問題です。いろいろ説があるけど「これだ!」という感じがしない。<br />阿波に「イ」のつく国名があったのは間違いないでしょう。<br />「イヨの二名島」の真の解読が鍵ですね。<br /><br />やはり女神の名が付く二国の関係が全てです。<br />二国の王家は同族だったかもしれません。<br />イヨと呼ばれた女王(王女?)はいた気がします。<br />イヨの語源がイヤという説があることは書きましたが、イヤの西側がイヨで東の端はイツ(イヅ)。<br />イの国の王が定まらない時にイヨに来てもらったのかもしれませんね。<br />瀬織津姫の秘密もそこにあるというイメージを持っています。<br /><br />どんどん、話がアッチの方に行ってアレなんでコレくらいにしときます。のらねこnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-89521116700104563592013-01-17T22:54:41.440+09:002013-01-17T22:54:41.440+09:00もう、誰のコメントで何をいうやら、ミカンやら。
粟でもう一点だけ気にかかるのが、大宜都比売と粟国との...もう、誰のコメントで何をいうやら、ミカンやら。<br />粟でもう一点だけ気にかかるのが、大宜都比売と粟国との関係。<br />大宜都比売がスサノオに殺されて「頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた」訳なんでしょうが、古事記では国産みで粟国ができたのが先のように見えるんですが?<br />どうなんですかね。<br />ボクが古事記を書くのなら(笑)<br />「スサノオ、大宜都比売の産みし食物汚しとて、其の比売を殺す。<br />その身より五穀生ず、頭より蠶。目より生稻種、耳より粟を生ず、また鼻より小豆。<br />耳より漏れし粟の実りし国より粟国と名づく。」<br />とかね(笑)<br />でも、国産みの方が先っぽいでしょ。<br />ここらどう考えたらいいんでしょうか。<br />教えて下さい。ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-26600011572656083532013-01-17T22:39:24.033+09:002013-01-17T22:39:24.033+09:00伊勢では五月と十月の十四日、皇大神宮及び荒祭宮で行われる神御衣祭(かんみそさい)に備えて
この神御衣...伊勢では五月と十月の十四日、皇大神宮及び荒祭宮で行われる神御衣祭(かんみそさい)に備えて<br />この神御衣の素材である荒妙(あらたえ)、和妙(にぎたえ)が奉職されます。荒妙とは麻の布のこと。<br />松阪市井口中町の神麻続機殿(かんおみはたどの)神社で織られ、和妙とは絹のことで、<br />松阪市大垣内町の神服織機殿(かんはとりはたどの)神社で織られます。<br />麻と絹。<br />和妙(にぎたえ)は十月なので秋、だから白。<br />荒妙(あらたえ)は五月なので夏、だから赤。<br />ですね。OK?<br />ぐーたらhttps://www.blogger.com/profile/17983995401005232758noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-26782563427365401192013-01-17T17:23:37.186+09:002013-01-17T17:23:37.186+09:00ほんとに、それが日本の(お近所の国と違って)すごいところなんですよね。
農耕技術をもった弥生系の人口...ほんとに、それが日本の(お近所の国と違って)すごいところなんですよね。<br />農耕技術をもった弥生系の人口が増えた地域で、同時に縄文系の人口も増えているという研究をどこかで読んだことがあります。<br />(うろ覚えばっかし)<br /><br />負けたら“九族皆殺し”なんていう風習の国との違いを王自身も認識していたからこそ「大和」という漢字を当てたのかもしれないなんて想像しています。<br />日本で敵を皆殺しなんて信長一党くらいじゃないのでしょうか。<br /><br />異なる人種、部族間の婚姻も盛んにおこなわれた結果、多くの民族のNDAが現・日本人に受け継がれて、それはすなわち“優勢遺伝”の法則というものを信じるなら、結晶のような優れた民族となった根拠になるのではないでしょうか。<br />現れやすい特性が優れているとは限らないので「顕性遺伝」呼ぶ向きもあるようですが、少なくとも文化的な交流・蓄積は間違いなく洗練されていきますよね。<br /><br />ぐ~たら先輩、あちこちに書き込んですみません。<br />ブログの仕組みがまだよくわかっていないもので…。<br />整理、よろしくお願いします。ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-44937908989638960452013-01-17T16:00:28.505+09:002013-01-17T16:00:28.505+09:00地震の“活動周期”の山が来ていたわけですね。
現代人でもこれほどビビってるんですから、当時は大変だっ...地震の“活動周期”の山が来ていたわけですね。<br />現代人でもこれほどビビってるんですから、当時は大変だったでしょう。<br /><br />しかも壬申の乱が起こったのは、その9年前の天智2(663)年に白村江で完敗して以来、唐が攻めてくるぞっていう噂が絶えなかったはずの頃ですし。<br /><br />守りを固めると同時に、東へ、そして内陸部へと勢力範囲を広げていったのも、それら両方の動機があったのではないでしょうか。<br /><br /><br />それにしても方言っておもしろいものですね。<br />ama に y がつくと yama、山の神 へもつながるかも。<br />たとえば“イヤ+ママ”で、イヤマ→ヤマ?<br />ヤマの語源は諸説あるようですが、ヤマタイ(ヤマト)のルーツにもつながるかも知れない大事な言葉ですよね。ALI 爺noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-718874097527579234.post-30572985775611522332013-01-17T11:22:07.185+09:002013-01-17T11:22:07.185+09:00ぐーたらさん、こんにちは。
尾張で作られる「にぎたえ」は簡単な字では「和妙」と書き、
阿波で作られる...ぐーたらさん、こんにちは。<br />尾張で作られる「にぎたえ」は簡単な字では「和妙」と書き、<br />阿波で作られる「あらたえ」は「荒妙」と書きますよね。<br />「和」と「荒」<br />布目が粗い、細かいの違いだけではなさそうに思いますが合ってるかな?<br />「和妙」は赤引きの糸から作られるようで、伊勢のおみやげ「赤福餅」=「赤服」(和妙は赤色ではないですが)もここからきたのかな?なんて・・・(笑)<br />辰砂が採れた長国=海国<br />ニギハヤヒ(海の人)が天孫族より早く阿波に居たというか、那賀川流域居たと思う私にとって、<br />「和妙」の「和」は「本当は海の人たちが古くから居住し開拓して行ったから「和」なんだよ」とのメッセージに取れます(笑)<br />やっぱ、私お得意のトンチンカンな話かなぁ~・・・・自信なし(T_T)サクラサク4869noreply@blogger.com