筑波大学附属図書館よりメールが来ました。
全文引用はできないので、部分部分を少し
>3月17日(水)付けで徳島県立図書館から
>の複写申込をお受けし、現在複写作業中です。
3月13日(土)に県立図書館へ行って申し込んできたので
土日はさんで月曜日休館で17日着。こんなもんですかね。
>複写枚数もかなりの量になりますので、ど
>うしても通常よりお時間がかかります。
うんうん、これも説明を受けた通りなんで、まあ
いいでしょう。
>また、別途郵送での提出をお願いした「複写申込書」も、現在到着
>待ちの状態です。
>発送は、この「複写申込書」受領後となります。
なーーーーーーーーーーーにをやってるんだか!
だからお役所は、だからお役所は、だからお役所は(以下30回繰り返し).......
>おおよその目安ですが、複写物は3月中にはお送りでき
>るかと思います。
というわけでございます。
この筑波大学の担当の方はメールの返事も早いし
きちんと調べて対応してくれるのでありがたいの
ですが。
もう長くする首が無いですよ。
このところ一日千秋どころじゃないんですから
一日万秋くらいですね。(面白くないっすね)
徳島県内で見つけた面白い物なんかを紹介できればと立ち上げてみました。 それこそみんなが知らない(知っていても役に立たない)重箱の隅をつついてみようというブログです。 根がグータラなものですので更新はほどほどです。
2010年3月23日火曜日
2010年3月21日日曜日
今日までの復習
風土記編輯御用掛についてここまでの所を復習しようと
もう一度後藤尚豊翁手記を確認しておりました。
震えが止まりません。
「ふるさと阿波」の記載を転載いたします。
誤字があればお詫びいたします。
風土記編輯御用掛 長久館出仕 松浦 宗作
末九月松浦氏へ同勤 士族五人御扶持
常三島 渡辺 圓
同 八木 正典
御弓町 郡 一郎平
佐古 椎宮下神職 生島 瑞穂
南分右同惣而士族御用取扱 板野郡坂東村神職 永井 五十槻
郷学所ヘ出ルニ付除ク 阿波郡尾開村士族 四宮 哲夫
同郡香美村神職 浦上 美澤
美馬郡上野村神職 二宮 香取
三好郡盡間村神職 近藤 忠直
麻植郡山崎村郡付卒 久富 永治郎
名西郡諏訪村神職 多田 義高
明治四年末七月二十三日 名東郡早渕村郡付卒 後藤 麻之丈
勝浦郡小松島浦 八木 佳七
那賀郡吉井村 服部 友三郎
同郡大京原村 高石 延吉
海部郡郡奥浦 桂 弥平
同郡牟岐浦神職 榊 枝直
従事セヌウチニ転 同郡同浦神職 阿部 三豊
ジタラシキニ付除ク
徳島 小杉 榲郎
名東 新居 正氏ヲ脱セルカ
とありました。小杉榲邨氏については「小杉 榲郎」となっています。
先に小杉榲邨氏の名が見えないと書いたのは間違いです。
そうです、全部私が悪いんです。(なんじゃこりゃ)
そして名面の説明です。ここからは書簡でなく阿波国書誌解説」の文書です。
松浦 宗作
仲之町(八百屋町)の人。字は長年、野口年長の門人 国学家、明治十年十月歿。年六八
著書 「土御門院御陵考註」「神輿幽考」「阿波国御風土記」
渡辺 円
徳島市助任村六百三十五番屋敷、士族渡辺六郎長男、文政二年三月二十五日生 神職
明治三十四年二月二十五日歿
生島 瑞穂
庄附近の人 矢三 八坂神社、三島神社の神職 著書「忌部神社者略」瑞穂は繁高と
同一人か。
永井 五十槻
名は精浦、精古の孫、天保七年一月十七日生、大麻比古神社神主、忌部神社主典、
桧愛宕神社社掌、大正二年四月八日歿、年八七(大森絹栄氏報)
四宮 哲夫
初名 哲之助 文政十年二月十九日生、名は利貞 金谷と号す 儒者
晩年失明す、明治二十三年二月七日歿、年六四
浦上 美澤
名は和延 天保九年九月二十三日生、近藤忠直と共に「阿波郡風土記」を遍す。
明治二十三年二月七日歿 年六四
近藤忠直
文政五年十二月二十日生、国学家 明治十二年高知県出 史誌編纂掛り
宝国小志(郡村誌)三好郡之部。井成谷、井川、池田、馬路、白地 各村誌を著す。
明治三十一年五月二十日歿。
久富永字治朗
山崎にこの姓の人なし、知る人なし(吉尾十代一氏報)年七七
多田 直清
兵部近江上浦の人「村邑見聞言上記」(名西、麻植)を著す。
明治九年十二月六日歿、義高は直清と同一人物か。
後藤 麻之丈
尚豊、明治五年二月まで編纂、名東 勝浦据任
大正三年十月九日歿、年七六
八木 佳七
名は直元、俳人、五日庵其家 日野八坂神社神職
明治十三年一月歿、年七〇
服部 友三郎
庄屋で寺子屋の師匠、明治四年里長 明治十三年一月歿
年七〇(佐々忠兵衛氏報)
高石 延吉
絶家 墓所不明(中西長水報)
桂 弥七(弥平?)
文化十一年三月十日、木岐浦若山家の三男に生まれ奥浦村桂家に入った。
明治の初 高知県安芸郡に出稼中死亡した。月日年令不明(元木喜好氏報)
後藤 麻之丈氏については、国府町早渕の人で、後藤家文書にも出てきます。
庄屋を勤め、後藤家文書内では「麻之丞」(出てこない「丞」の水の部分が口の漢字)
となっています。
後藤捷一氏がその子孫です。
名西郡諏訪村神職 多田義高氏についてはきちんと調べてはいませんが、現在の石井町
浦庄近辺の神社、日吉神社、王子神社、斎神社の神主が多田姓の方なので前記の神社の
神職であった方だろうと思われます。
同様に「浦上美澤氏」も現在の市場町、天満神社、若宮神社、八幡神社、住吉神社
八坂神社、建布都神社等の神職が浦上姓の方です。
震えが来ませんか。
大麻比古神社神主の方までいます。先に自分で書いといて何なんですけど
ほんとに藩を上げての一大プロジェクトだった訳ですね。
で、麻植郡川田村神主早雲兵部所藏。
おいおい、身の危険を感じそうな..........
だって筑波大学にあったって事は廃藩の時、明治政府が関連文書を全部回収して東京近辺へ
持っていったものが残ってたとか、そんなシナリオしか考えられないじゃないですか。
もう一度後藤尚豊翁手記を確認しておりました。
震えが止まりません。
「ふるさと阿波」の記載を転載いたします。
誤字があればお詫びいたします。
風土記編輯御用掛 長久館出仕 松浦 宗作
末九月松浦氏へ同勤 士族五人御扶持
常三島 渡辺 圓
同 八木 正典
御弓町 郡 一郎平
佐古 椎宮下神職 生島 瑞穂
南分右同惣而士族御用取扱 板野郡坂東村神職 永井 五十槻
郷学所ヘ出ルニ付除ク 阿波郡尾開村士族 四宮 哲夫
同郡香美村神職 浦上 美澤
美馬郡上野村神職 二宮 香取
三好郡盡間村神職 近藤 忠直
麻植郡山崎村郡付卒 久富 永治郎
名西郡諏訪村神職 多田 義高
明治四年末七月二十三日 名東郡早渕村郡付卒 後藤 麻之丈
勝浦郡小松島浦 八木 佳七
那賀郡吉井村 服部 友三郎
同郡大京原村 高石 延吉
海部郡郡奥浦 桂 弥平
同郡牟岐浦神職 榊 枝直
従事セヌウチニ転 同郡同浦神職 阿部 三豊
ジタラシキニ付除ク
徳島 小杉 榲郎
名東 新居 正氏ヲ脱セルカ
とありました。小杉榲邨氏については「小杉 榲郎」となっています。
先に小杉榲邨氏の名が見えないと書いたのは間違いです。
そうです、全部私が悪いんです。(なんじゃこりゃ)
そして名面の説明です。ここからは書簡でなく阿波国書誌解説」の文書です。
松浦 宗作
仲之町(八百屋町)の人。字は長年、野口年長の門人 国学家、明治十年十月歿。年六八
著書 「土御門院御陵考註」「神輿幽考」「阿波国御風土記」
渡辺 円
徳島市助任村六百三十五番屋敷、士族渡辺六郎長男、文政二年三月二十五日生 神職
明治三十四年二月二十五日歿
生島 瑞穂
庄附近の人 矢三 八坂神社、三島神社の神職 著書「忌部神社者略」瑞穂は繁高と
同一人か。
永井 五十槻
名は精浦、精古の孫、天保七年一月十七日生、大麻比古神社神主、忌部神社主典、
桧愛宕神社社掌、大正二年四月八日歿、年八七(大森絹栄氏報)
四宮 哲夫
初名 哲之助 文政十年二月十九日生、名は利貞 金谷と号す 儒者
晩年失明す、明治二十三年二月七日歿、年六四
浦上 美澤
名は和延 天保九年九月二十三日生、近藤忠直と共に「阿波郡風土記」を遍す。
明治二十三年二月七日歿 年六四
近藤忠直
文政五年十二月二十日生、国学家 明治十二年高知県出 史誌編纂掛り
宝国小志(郡村誌)三好郡之部。井成谷、井川、池田、馬路、白地 各村誌を著す。
明治三十一年五月二十日歿。
久富永字治朗
山崎にこの姓の人なし、知る人なし(吉尾十代一氏報)年七七
多田 直清
兵部近江上浦の人「村邑見聞言上記」(名西、麻植)を著す。
明治九年十二月六日歿、義高は直清と同一人物か。
後藤 麻之丈
尚豊、明治五年二月まで編纂、名東 勝浦据任
大正三年十月九日歿、年七六
八木 佳七
名は直元、俳人、五日庵其家 日野八坂神社神職
明治十三年一月歿、年七〇
服部 友三郎
庄屋で寺子屋の師匠、明治四年里長 明治十三年一月歿
年七〇(佐々忠兵衛氏報)
高石 延吉
絶家 墓所不明(中西長水報)
桂 弥七(弥平?)
文化十一年三月十日、木岐浦若山家の三男に生まれ奥浦村桂家に入った。
明治の初 高知県安芸郡に出稼中死亡した。月日年令不明(元木喜好氏報)
後藤 麻之丈氏については、国府町早渕の人で、後藤家文書にも出てきます。
庄屋を勤め、後藤家文書内では「麻之丞」(出てこない「丞」の水の部分が口の漢字)
となっています。
後藤捷一氏がその子孫です。
名西郡諏訪村神職 多田義高氏についてはきちんと調べてはいませんが、現在の石井町
浦庄近辺の神社、日吉神社、王子神社、斎神社の神主が多田姓の方なので前記の神社の
神職であった方だろうと思われます。
同様に「浦上美澤氏」も現在の市場町、天満神社、若宮神社、八幡神社、住吉神社
八坂神社、建布都神社等の神職が浦上姓の方です。
震えが来ませんか。
大麻比古神社神主の方までいます。先に自分で書いといて何なんですけど
ほんとに藩を上げての一大プロジェクトだった訳ですね。
で、麻植郡川田村神主早雲兵部所藏。
おいおい、身の危険を感じそうな..........
だって筑波大学にあったって事は廃藩の時、明治政府が関連文書を全部回収して東京近辺へ
持っていったものが残ってたとか、そんなシナリオしか考えられないじゃないですか。
2010年3月19日金曜日
2010年3月17日水曜日
ΕΥΡΗΚΑ(見つけた!!)続報
といっても大した記事ではございません。
今日、県立図書館に状況を電話で確認いたしました。
筑波大学附属図書館に依頼済みとの回答でした。
印刷物は間違いなく届くはずです。
ただ、全頁印刷は相当日数がかかると筑波大学附属図書館より
言われたとの事です。
まあ、筑波大学附属図書館のホームページにもマイクロフィルム
からの印刷は最大一ヶ月との記載もありましたので......
もちろん到着次第に連絡はもらえますので首を長くして待ちましょう。
到着し次第このブログを「即刻」更新するとともに、貴ブログへもご報告いたします。
(おっと、すっごく個人的)
あーどうしよう。それまでなんにも手につかないよおおお。
今日、県立図書館に状況を電話で確認いたしました。
筑波大学附属図書館に依頼済みとの回答でした。
印刷物は間違いなく届くはずです。
ただ、全頁印刷は相当日数がかかると筑波大学附属図書館より
言われたとの事です。
まあ、筑波大学附属図書館のホームページにもマイクロフィルム
からの印刷は最大一ヶ月との記載もありましたので......
もちろん到着次第に連絡はもらえますので首を長くして待ちましょう。
到着し次第このブログを「即刻」更新するとともに、貴ブログへもご報告いたします。
(おっと、すっごく個人的)
あーどうしよう。それまでなんにも手につかないよおおお。
2010年3月13日土曜日
ΕΥΡΗΚΑ(見つけた!!)
えー、前回投稿が2月24日なんでタイトル通り「ぐーたら」しておりました。
で、前回の続きとなるんですが(もう忘れちゃったよ)
「風土記編纂掛名面」ですが探せば出てくるもので
「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
なる資料に
-----------------------
明治二年に徳島藩のもとに小杉榲邨(すぎおみ)などが中心となって
「阿波国風土記編輯御用掛」が設置され、阿波の歴史と地誌の大規模
な編纂が企てられたが、同五年の廃藩とともに廃止された。
この編輯掛には多田をふくむ多くの国学者・儒学者が出仕していた。
-----------------------
と、あります。
つまりは徳島藩を挙げての一大プロジェクトだった訳です。
ただ、前回の記事で書いた中の「風土記編纂掛名面」には小杉榲邨の
名が上がってなかったのが気になります。
で、ここからが本題
この「風土記編輯御用掛」が編纂した「阿・波・国・風・土・記」ありました。
タイトル通り「ヘウレーカ!!!(見つけた!!!)」と叫ばしてください。
全五冊、筑波大学附属図書館所蔵です。
タイトルもずばり「阿・波・国・風・土・記」
そのうちの何冊かに「風土記編纂掛」の印が押されているそうですので
間違いないでしょう。
上記の「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
の記載を基に筑波大学附属図書館検索システムで検索した結果です。
筑波大学附属図書館に直接メールで問い合わせてみると、当然ながら
原本の貸し出しはできない。ただしマイクロフィルムがあるので印刷は
可能であるとの回答でした。
ただ、個人からの請求は受け付けていないとのこと。
本日、この回答メールを持って徳島県立図書館に問い合わせをお願いに
行ってきました。
やはり、相互利用制度としての貸出請求は県立図書館と大学図書館の間
では行っていないので、マイクロフィルムの印刷請求を代行してもらう
事になりそうです。
無論費用は自費となります。
県立図書館での購入を依頼しようかとも思ったのですが、それでは全頁
の複写をする事ができません。
パブリックドメイン扱いとしてもらって交渉すればいいのかなとも考え
ましたが筑波大学附属図書館の規約に再印刷の禁止事項がありましたの
で、馬鹿正直にこの方法もあきらめ自費購入をするつもりです。
まだ、徳島県立図書館よりの回答が無いので何とも言えませんが。
さて、どうなることでしょうか。
個人的には大量の逸文が記載されている事を望んでいるんですが。
前回書いたようにとんでもない所に足を突っ込んでしまいそうな気配です。
で、前回の続きとなるんですが(もう忘れちゃったよ)
「風土記編纂掛名面」ですが探せば出てくるもので
「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
なる資料に
-----------------------
明治二年に徳島藩のもとに小杉榲邨(すぎおみ)などが中心となって
「阿波国風土記編輯御用掛」が設置され、阿波の歴史と地誌の大規模
な編纂が企てられたが、同五年の廃藩とともに廃止された。
この編輯掛には多田をふくむ多くの国学者・儒学者が出仕していた。
-----------------------
と、あります。
つまりは徳島藩を挙げての一大プロジェクトだった訳です。
ただ、前回の記事で書いた中の「風土記編纂掛名面」には小杉榲邨の
名が上がってなかったのが気になります。
で、ここからが本題
この「風土記編輯御用掛」が編纂した「阿・波・国・風・土・記」ありました。
タイトル通り「ヘウレーカ!!!(見つけた!!!)」と叫ばしてください。
全五冊、筑波大学附属図書館所蔵です。
タイトルもずばり「阿・波・国・風・土・記」
そのうちの何冊かに「風土記編纂掛」の印が押されているそうですので
間違いないでしょう。
上記の「在村国学者・儒学者の阿波古代史研究についての史学的研究」
の記載を基に筑波大学附属図書館検索システムで検索した結果です。
筑波大学附属図書館に直接メールで問い合わせてみると、当然ながら
原本の貸し出しはできない。ただしマイクロフィルムがあるので印刷は
可能であるとの回答でした。
ただ、個人からの請求は受け付けていないとのこと。
本日、この回答メールを持って徳島県立図書館に問い合わせをお願いに
行ってきました。
やはり、相互利用制度としての貸出請求は県立図書館と大学図書館の間
では行っていないので、マイクロフィルムの印刷請求を代行してもらう
事になりそうです。
無論費用は自費となります。
県立図書館での購入を依頼しようかとも思ったのですが、それでは全頁
の複写をする事ができません。
パブリックドメイン扱いとしてもらって交渉すればいいのかなとも考え
ましたが筑波大学附属図書館の規約に再印刷の禁止事項がありましたの
で、馬鹿正直にこの方法もあきらめ自費購入をするつもりです。
まだ、徳島県立図書館よりの回答が無いので何とも言えませんが。
さて、どうなることでしょうか。
個人的には大量の逸文が記載されている事を望んでいるんですが。
前回書いたようにとんでもない所に足を突っ込んでしまいそうな気配です。