建御名方命が建御雷之男神と力比べをしたときに持っていた千引の石があること
をすっかり忘れておりまして、今回それを詣でて参りました。
上の写真が「それ」ですが、「想像を絶する巨石」などとは無縁に思える
身の丈のサイズの石でありました。
もっと言えば力比べをするにちょうどいいサイズでしょうか。
で、当神社へ詣でる前に、県立図書館が休館だったので石井町公民館内の
図書室で下調べをしておりました。
「浦庄村史」には「阿府誌」よりの引用として当神社について
多祁御奈刀弥神社ハ諏訪村ニ在リ、諏訪大明神也、大己貴命ノ御子ナリ
御母ハ阿波ノ高志ノ沼河姫命.........
その後の段で阿波に生まれた云々の記述がありました。
前にも書きましたが建御名方命は阿波の名方郡の生まれです。
本居宣長の「古事記伝」にも記述があります。
母親である沼河姫命は現在の石井町高志の生まれ。
つまりは父親である大国主命も阿波にいたということなのです。
つまり阿波は........
えー、詳しくはこんなブログよりもっと詳しいサイトとか資料とかで見てください。
ところで石井町公民館で面白い資料を発見いたしました。
「高天原天孫降臨と神武天皇軍久米軍団の実地研究調査」久米勝夫著 巻1、巻2
すごいですね。かの「久米軍団」の実地調査ですよ。
なんと手書きです。
まだ全部読めていませんが、八倉比売神社などについての記述もあり
神社裏の築山から慶応3年頃まで水銀朱が染み出ていたとか、戦時中必勝祈願に皇室より
奉弊使が来ていたなど書かれています。
公民館には高原村史、高川原村史などもあり、何度か通うことになりそうです。
「高天原天孫降臨と神武天皇軍久米軍団の実地研究調査」
返信削除面白そうですねえ。
久米さんが書いてるんですものね。
ご先祖に対する興味がつき動かしたんでしょう。
岩利大閑氏を支援したキョーエイの埴渕氏も、埴安比売の血をひく可能性が影響を与えたと思われますし。
そうなんです、久米さんなんです。
返信削除ほんとに全編手書きなんです。文章の巧拙とかはともかく、すごい意欲で書かれたことが伺えます。多分昭和50年代後半に記されたと思われます。
もし、石井公民館に行くのならば、図書室をはいってすぐ右側のソファの向かい側、奥の書棚の一番下にあります。